岡部明美さんの本。スピリチュアルケアに通じる。

岡部明美さんの著書「約束された道」

今回紹介させていただくのは、「人をサポートする人をサポートする講座」を開催されている岡部明美さんという方の本です。

 

岡部明美さんについて紹介

30代半ばで長男出産後、脳腫瘍と水頭症を発症し、死に直面。3年後に再発するも、ホリスティック医学に出会い、自然治癒力、免疫力を玉ネル数々n太太医療、自然療法、自助療法を実践し克服。この間、意識の変容が治療への鍵であることを知り、様々なワークショップ、セラピー、ボディワーク、ヒーリング、瞑想などを体験。1996年~2000年までは、ワークショップを開催。2001年~2007年までは、感性論哲学創始者の芳村思風先生とのコラボ研修の講師を務める。2008年より、カウンセラー&セラピスト養成講座を主宰。同講座の回数を重ねるにつれ、セラピストと経営差者の受講数が半数になったことから、講座名を「LPL(ラビング・プレゼンス・リーダーシップ)」養成講座と改名。人をサポートする人をサポートする講座になる。現在、個人セッション、ワークショップ、講演、LPL養成講座の講師として全国で活躍中。著書に『もどっておいで私の元気!』(善文社)、『私に帰る旅』(角川学芸出版)がある。

 

一度でも「本当の自分」「たましいとつながった最も自然な状態の自分」「素の自分を生きることこそが、他者貢献にもなると知ってしまった状態」を体験すると、もう以前の自分には戻れない。

この本の113、114ページにはまさに今の私自身が深く共感してしまう文章が書かれてありました。

自分の道を知っている、まだほんの少しかもしれないが、その状態で「生きた」感覚も体験して、それがいかに幸せで、満たされた自分でいられるかを知っている。

この道でやっていくという揺るぎない信念を抱きつつも、一時的に別の仕事に就かざるを得なくなった今の状態。

本当にやりたいことをやりたい。生活のため、親の期待、他人の期待に応えるというような、恐れや不安が動機の決断ではなく、他者への愛、情熱、何より自分自身が喜びを抱けるかどうかを基準にしていきたい。

私の場合は岡部さんが書いてあるように「進んだり、戻ったり」。

今は水を失った魚のようになっています。

こんなに今の自分の状態を言い当ててくれる人がいたとは。

共感してもらったようで心強いです。

慣れない仕事ですがこれも意味のあること。首も肩も痛いですが、しばらくはこの環境で周りの方々の役に立つよう頑張ります。

とにかく目の前のことに集中することを心がけていきます。

そしてグリーフケア、スピリチュアルケアの現場に復帰する意志は持ち続けます。

なかなか理解されない心の痛み、人に言えない苦悩を抱えている人がいるということを忘れたくないです。

以下は岡部さんの本で響いたところ。

p.113~114一人ひとりの「時」がある

ひと夏の「生」を生きた蝉が、夏の終わりと、自分自身の生の終わりをいい音色で知らせている。七年間も土の中にいて、たった一度の夏に、わずか数週間地上で生きるために脱皮して、蝉は「我がいのち」を謳歌している。ミーン、ミーン、ミーン。

本当に自分詩人の「生」を喜びに満ちたものにしようとした時、人は、自力で「脱皮」しようとする。でも、蝉と違って、人間の脱皮は大変だ。古い殻を脱ぎ捨てろといくら言われたって、その時期が来ていない人にとっては、生皮をはがされるくらいに痛くて苦しいことなのだから。

今まで自分がかぶってきたこの殻こそが、この厳しくつらいことの多い現実社会の中で、唯一、絶対に裏切ることなく自分を守ってくれた天使の殻だったのだ。そんな安全で優しい殻をおいそれと脱ぐ勇気など、たいていの人は持ち合わせていないと思う。

でも、自分をずっと守り続けてくれたその殻が、いつ頃からかわからないけれど、重たいなあ、窮屈だなあ、不自由だなあ、なんか自分らしく生きている気がしないなあ、生きていてもちっとも面白くないなあ。自分の人生は、こんな風にして終わってしまうのだろうか。そんなのいやだなあと思う時が突然、訪れることがある。

私はこのままでは終わりたくない。私はまだ本当の自分の人生を生きていない。本当にやりたいことはまだ何ひとつやっていないと、発作的に、それはもうほとんど内側から突き動かされる魂の衝動というかエネルギーのようなものがあふれてくる時がある。

そんな時期にワークショップに参加して、自分で自分を縛ってきた囚われに気づき、自分の中で本当は表現されたがっていたエネルギー、生きたがっていた本来の自分を生きることを自分に許可できると、まさに水を得た魚のようになり、いきいきとその人のいのちは輝き出す。

一回でコロっと変わっていく人。ゆっくり時間をかけて変わっていく人。進んだり、後戻りしたりしながらも、でも確実に昔の自分とは違うな、ということに気づきながらマイペースで進んでいく人。なかなか変われない、進まないと落ち込んだりしながらも、それでも自分なりに新しい人生に踏み出したことだけは実感できている人。一人ひとりのプロセスは本当にみな違う。

新たな自分の誕生の季節に味わう痛みや涙は、まさしく人が本来の自分に目覚める時、人生の意味や目的に目覚める時の魂の産声だ。魂の産声をあげた後、新たな道を自分の足で歩き始めるまでの道のりの遠さに、焦りを感じたり、自信がなくなってしまう時だってある。でも、それさえも、かけがえのない自分の人生を生きるためのプロセスなのだ。

一人ひとりの「時」がある。それぞれの人の中を流れる時間はみんな違う。それぞれの人の独自のプロセスが、かけがえのないその人のいのちの川の流れ、あるがままのいのちの働きなのだ。大切なことは、速度でも方法論でもなく、進む方向なのだから。

人は気づいてしまったらもう元の人生には戻れない。いのちは成長と進化の方向にしか進まないからだ。春が来て、雪が自然に溶けていくように、その人なりのペースで自分の道を歩み始めたなら、少しずつ、でも確かに、何かが動き出していく。

そして、ある日、後ろを振り返ってみると、紆余曲折、七転八倒だと思っていたデコボコ道が、実は、ただ稲穂がさわさわと揺れている風の道だったことに気づいて、一人ふと、静かに微笑む時がきたりする。