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真実の世界からの慈しみ 

以下の文章は私が関わっている

天使ママ・天使パパの会in関西」のパンフレットに載せた文章です。

イラストや文章を自宅のコピー機で数枚の紙に裏表分けてコピーし、

それを冊子にしてホッチキスで閉じるという作業を

一人でやっているので作成するのに長い時間がかかります。

パンフレットは手元にほとんど残っておらず

作成する時間の余裕が今はないですが

文章のみを掲載いたします。

 

前半は3人目の子を死産失い、自身の死にも直面した際の

深い気づきの体験、一瞥体験のことを記しています。

子どもを失ったにもかかわらず、「死」をも超えた中での

いのちのつながり、存在の尊さ、愛されているということなど

心の深い部分で感じ、最も辛い状況でありながら

同時に人生で最も幸せな瞬間でもありました。

後半は今辛い中にある人へのメッセージです。

人生での辛い時期を思い出しながら、

その時の自分へかける言葉を

想像して書きました。

 

 

以下に掲載します。

真実の世界からの慈しみ

◇わたしの気づき

いのちが危うくなり、自分で息をすることすらできなくなった。

 

そのとき、自分にはもう何もできないのだと

 

頑張るのをやめ、運命にゆだねた。

 

おなかの中の小さないのちが失われ、自分の死にも直面した。

 

数日後目が覚め世界が全く違って見えた。

 

どうしてこんなに幸せなんだろう。

 

すべての人が尊く、愛おしい・・・

 

ありがたさがこみあげてくる。

 

たましいで感じる幸せは外の出来事に左右されない。

 

あれ?いつもこんなだったっけ?

 

それはずっとあったはずの自然で当たりまえな感覚。

 

知っていたはずの感覚。

 

初めてであり、思い出した感覚。

 

何も変わっていないのに何かが違う。

 

驚きであり当たり前。

 

わからないようでわかる、わかるようでわからない。

 

誰かに伝えようと言葉にするとこぼれおちる。

 

◇この世は現世(うつしよ)と呼ばれていて、

 

「永遠の今」である真実の世界が映し出されている。

 

「愛の存在」ともよばれる永遠の今。

 

「時」があるとは変化し続けるということ。

 

あらゆるものは最初から存在し、

 

すがたかたちを変えていく ゆっくりまわる万華鏡。

 

過去も未来、すべてが含まれる「今」。

 

今、今、今という一瞬が続いていく。

 

わたしたちの意識が次の一瞬を創っている。

 

平凡であるということが驚くべき奇跡。

 

たった一つの小さないのちの中にも

 

すべてのいのちの情報が含まれている。

 

相似、ひな形、フラクタル。

 

すべてがつながり、それぞれが姿を映しあっている。

 

細胞、身体、植物、生き物、天候、宇宙、人の想いと行い

 

まわり、めぐり、移りかわり、還ってくる。この繰り返し。

 

◇なにもかもがコインの表裏のように陰と陽。

 

陰と陽は常にお互いを含み、力くらべをしている。

 

どちらかが極まったときに、反対側にひっくり返る。

 

人は自分の想いを持っていて自分の意志で行動していると同時に

 

人の想いや行いは万華鏡という歯車の自動反応でもある。

 

その歯車のはたらきは寸分の狂いもなく、いつも完璧。

 

私たちは万華鏡という 彩りゆたかな曼荼羅の中に生きる。

 

人と人とがめぐりあい、関わりあい、

 

みんながお互いに支えあっている。

 

あなたも誰かを支え、だれかに支えられている。

 

何かをしてもしなくても

 

いるだけですでに役に立っていて与えあっている。

 

それはこの世を去った人も同じ。

 

◇仏教を象徴する「はす」。

 

はすのつぼみはもうすでに、中で実を結んでいる。

 

それは不完全に見える人間も、はすのつぼみと同じように

 

すでに心の中には仏性を備えているという仏教の教え。

 

わたしもあなたも同じ。

 

そのままでよかった。

 

心の奥には宝がある。

 

たましいで感じる幸せは外の出来事には左右されない。

 

種がみずからを生きよう花を咲かせようとするとき

 

かたい殻をやぶる。

 

人の心も同じなのかな。

 

これからも心のまま、自然のままに

 

「今」に心を開き、泣いて怒って笑って

 

ああだこうだ言いながら生きていこう。

 

◇悲しみ苦しみを抱えているとき ~わたしとあなたへ

 

心の状態がわたしの身体そして外の世界にも現れていた。

 

五感を通して感じている世界はわたしの心の風景だったんだ。

 

心が壊れるほどの苦しみ、悲しみを抱えていたこと。

 

そんな状態であったことに気がついたのはずっとあとだった。

 

わたしに一体なにが起こったのだろう。

 

苦しくて辛くて 誰かの支えがほしい。誰かを頼りたい。

 

でも

 

「わたしのことなんか、誰も気にかけてくれないのでは?」

 

「悲しみを悲しみとわかってもらえないのでは?」

 

と閉じこもってしまう。

 

「わたしは大丈夫」

 

自分で自分の心をコントロールしようと頑張る。

 

とうとうコントロールできなくなった時、気づきがおとずれた。

 

◇今が辛いならあなたのペースでやっていこう。

 

あなたの心のまま

 

泣いてもいい。

 

怒ってもいい。

 

助けを求めてもいい。

 

閉じこもってもいい。

 

強がってもいい。

 

荒れてもいい。

 

忘れようとしてもいい。

 

助けてほしいといえずに心を閉ざしてしまってもいい。

 

自分を責めないでと言われて、

 

それでも責めてしまう・・・それでもいい。

 

大切な人、ものとの絆を大切にとっておいてもいい。

 

「なぜ、どうして?」

 

出来事の意味を探し続けてもいい。

 

なにをするにも それが精いっぱい。

 

そうせずにはいられないから。

 

そうしないと生きていけないから。

 

人に迷惑をかけたくない、心配させたくないと思うかもしれない。

 

でも人を頼ることが だれかの支えになることもある。

 

なにかをしてもしなくても すでに役に立っている。

 

存在するだけで誰かに何かを与えている。

 

いのちのひかり、愛の存在はすべての人とともにいて

 

さまざまな人の振る舞いや本の中の言葉、周りのものを通して

 

わたしにもはたらきかけていることがわかった。

 

わたしの心の奥もいのちのひかりに つながっていたことがわかった。

 

わたしの中には邪な心もあるけれど優しさや慈しみの心もある。

 

自分だけで培ったのではなく

 

亡くなった人、

 

名も知られずつつましやかな生活を送る人、

 

さまざまな人とのかかわりの中で、

 

一緒に育んできたものであり

 

これからもいのちのはたらきとして生き続けていく。

 

大切なあの人がわたしの中でわたしを通して生き続ける。

 

苦しみ、悲しみにとらわれている時は

 

わからないかもしれないけれど

 

いのちのひかり、愛の存在は

 

いつもそばにいて、辛い時にこそ深くはたらきかけてくれる。

 

それはとてもかすかでもあり、大きくもある。

 

「偶然」「たまたま」と見過ごすことが多いかもしれないけれど

 

心に留めておいてほしい。

 

いつもあなたとともにいるということを。

 

 

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