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相手の最も良いところ、神聖な部分を映す鏡になる

自分はその人のどんなところを映す鏡なんだろう?

現実の世界は心の映し出し。

一人ひとりがそれぞれ、その人自身を映し出す世界に住んでいるので、あなたと私の世界は違います。

そして映し出す世界が異なるというのは、一人ひとりが心の中にどんな可能性をも持っているということ。

どんな世界でも、本心から望んで、それを自分に許せば、現実の世界に現れます。

表面に現れていないだけで、心の奥には様々なものが眠っているのですね。

愛、慈悲、優しさ、ユーモア、喜び、怒り、悲しみ、驚き、畏怖、不安、不満、嫉妬、敵意、自己否定、罪悪感・・・・・

色々な思いを抱えていることでしょう。

今挙げたような感情・思いは誰の心の中にも掘り起こせば必ずあるもの。

どんな悪い人の中にも愛や慈悲はありますし、どんな聖人でも「自己否定」や「殺意」というようなものも、程度はごく小さいかもしれませんが、持っているはずです。

なぜなら地球上の誰かが殺意の感情を抱いていているということは、それはその人だけのものではなく、人類全体が共有しているものだからです。

心にないものは、世界に現れません。

 

愛を放って生きていれば、それはまた愛となって返ってきます。

自分の心が放ったものを世界は映し出してくれます。

あなただけでなく、周りのみんなが同じです。

あなたが日々接する人もまた、心の中に愛や慈悲といった尊い思いを持っています。

それらの思いが奥に追いやられて、感じられなくなると人は苦しくなりますね。

その人の持っている愛や慈悲、遠くに追いやられているけど、そこに光を当てる、鏡として映し出す存在になりたいと思います。

私はAさんの中でどんな役割だろう?

Bさんの中ではどんな役割だろう?

Aさんにとって、優しく接し、気づきをもたらす存在かもしれません。

Bさんにとって、攻撃し傷つけて自己の内面を探るように導く存在かもしれません。

どんな役割であっても、Aさんにとってのあなた、Bさんにとってのあなたの行為にたましいレベルでみると実は責任はありません。

Aさんの世界、Bさんの世界でそれが必要だから、あなたが無意識にそういった行動を取っていて、宇宙の法則が働いているにすぎないということです。

どちらも、大きな視点でみると愛の行為に違いないのですが、自己探求が進み、行動の動機がエゴなのか愛なのかを意識できるようになったのであれば、やはり遠回りせずに直接、愛や慈悲を映し出せるような存在になりたいと思います。

その人が最もその人らしく、生き生きとしていられれるよう、生まれてきて良かったと感じられるように。

どんな人も「フルポテンシャル」で生きられる。その人にしかない才能や個性がある。

天から与えられたものが必ずあって、人間が作った評価基準には当てはまらずとも、それをやっていたら心底幸せというものが必ずあると思うのですね。

それらに気づくためには、まずは自分を好きになり、良いところもダメなところもそれでいいと自己受容することからです。

自分でも気づいていない優しさにあふれているところ、素晴らしいところに気づいてもらうための鏡です。

 

読んでくださりありがとうございました。

 

 

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