自分で自分のことを縛っているブロック。幼少期の未完結の感情の影響がとても大きい

タイトルはほんと、当たり前といえば当たり前です。

「今の自分の生きづらさはきっとこういう育てられ方をしたからだ」

「親が我慢ばかりしていて、自分の価値観より社会の価値観を大事にする人だった。

その生き方を気が付いたら自分も受け継いでいるが、最近もっと自由にやりたいようにやりたくなってきた」

「親からのビリーフを受け継いでいて、それがしんどくて何度も修正してきたつもり。なのに自分がもっと頑張らなきゃいけない、足らないところを改善しなきゃいけない、という欠乏の意識から逃れられない」

 

知的レベルでこのことをわかってはいても

実際にその「思い込み」から解放されるにはどうすればいいのかが難しい。

「自分にはこの能力が足らないからもっと努力しなくては」

という欠乏を意識した行動を私たちは当たり前のようにとっていることがあります。

ある時期まではその方法でも努力できるかもしれません。

例えば学生時代に勉強で努力したり、習い事を頑張ったり、資格を取るために一生懸命頑張ったり。

好きで取り組んでいる場合もありますが、

多くの場合は「やらないといけないから」やっています。

本人が「そうやって努力するのが当然で、大変だけれども充実感を感じる」という心境のことも多いです。

「欠乏」が動機になってはいてもそれに対応して頑張ること自体が

それほどしんどい思いをせず、またはしんどいと思ったとしても

その先の目標を達成するということ自体に重きを置いているので

しんどい中でも努力できてしまうという時期もあります。

おそらく根底には「今のままの自分ではダメ。もっと優秀にならなければ」というビリーフがあるのですが

それがさほど自覚されずに、頑張ることの方に重心が言っている状態です。

人生経験の中で色々と学ぶうちに疑問が生まれる

人によって異なるので何歳ごろになって疑問が生まれるのかということは言えませんが

「なんだかしんどい」と感じる人が出てきます。

私もそうでしたが、ある時期までは努力して語学や何かのスキルなどの能力を身につけようと

精力的に情熱を注ぐということができます。

そのことが好きでやっているというという「錯覚」を抱いている場合もあります。

(本当に本心から好きでやっている人、欠乏からではなく充足の意識でやっている人のことをここでは言っていません。)

過去にはあんなに情熱を持って取り組んでいたのに、最近はやる気がでない

前ほど頑張れなくなった

このように感じることが多くなっていき

そもそもどうして私はこのことを一生懸命やっているんだろう

どうしてこんなに努力してもまだまだ足りない気がするんだろう

いつも「もっと頑張らないと」と思ってやってきたが、それって本当はおかしいんじゃないか

あるスキルを身に着けたと思っても次から次へと上の目標が出てきて休まる暇がない

本当は今のままの私で十分通用するのではないか

そうだ、「ありのままで大丈夫」って周りは言っているしそのはずにちがいない

だけどそれが腑に落ちないのはなぜだろう

頭でわかってありのままの素の自分でやっていこうとしているのに

なぜか他人から「もっとこうした方がいい」だとか

「ここは改善した方がいいだとか」ダメ出しや注意をされると

やっぱりそうだその通りだ、今の自分ではダメでもっと良くならないといけない

・・・・・と頭では「ありのままでOK」とわかっているつもりでも

ダメ出しをされるような状況に出くわすと自分を貫くことができず

結局「ああ、やっぱり自分はもっと頑張らないといけない」と

ますます「欠乏意識」を強めてしまったりするのです。

欠乏意識がずっと情熱となり、そのままやっていける人も確かにいます。

しかし、欠乏意識というビリーフが機能しなくなってくる人も出てくるわけです。

「本当はありのままの自分でやっていけるのでは?」という気づきが沸き上がってくると同時に

「やはりもっと頑張らないといけないのではないか」というそれまでのビリーフも同時に存在していて

両方のせめぎあいの中、

「ありのままでOK」という新たな気づきにすんなり移行できずに

結構長い期間葛藤することになります。

この欠乏意識から解放されるには?

行動および内面にあるブロックを解放

素の自分、ありのままの自分を貫く行動を少しずつ続けることも大事かと思います。

行動することで徐々にではありますが、

潜在意識に「ありのままで大丈夫」「今の自分で十分」という意識を少しずつ少しずつ積み上げていくことができます。

しかし行動だけですとまた「もっと頑張らないといけない」というメンタルブロック、ビリーフがまだ残っていることが多く、

結局また同じループを繰りかえすことにもなりかねません。

行動することで徐々に素の自分でやっていけるようになってきても、

またひょっこりとブロックの残存みたいなものが現象化する可能性があります。

現象化してまた引き戻されると結局また同じことの繰り返しです。

ですから行動と同時にこのブロックへの、内面へのアプローチが必要というわけです。

内面へのアプローチ。欠乏のビリーフ、制限のブロックの元を見る

自分は足らないんだという欠乏のビリーフ、自分の行動を制限しているブロック、

これらの大部分は幼少期の家族とのかかわりで出来上がっています。

自分にはこれらのブロックがあるなとわかっていても

「自動反応」してしまうので、それを根底から解放するのはなかなか困難です。

どうしてそのようなブロックができあがっていったのか

いつどのような出来事が影響しているのか

本当はその時、どうしたかったのか、どうしたくなかったのか。

本当は〇〇したかったのに、させてもらえなかった。

本当は〇〇したくなかったのに、させられた。

あの時の本当の気持ちはこうだったのに、誰にも受け止めてもらえずに

我慢せざるを得なかった。

このような状態が繰り返されることで

自分の本心からの願いや希望、欲、イヤだという気持ちは

表現してはいけないんだ、

受け止めてもらえないんだ

というビリーフが徐々に出来上がっていきます。

本心を受け入れてもらえないとなると、

人によってはその本心を心の底で感じてはいても気が付かないように抑えてしまいますし、

無かったことにしてしまいます。

これらは無意識で行われることですが、

生き方に大いに影響します。

本心をそのまま表現しても受け入れられない、

素の自分では生きていけない。

生きていけないなんてこんな辛いことはない。

だったら代わりのもの、仮面や能力を身に着けやっていくことが生きていく上で必要だ

と本当に無意識レベルでやるようになります。

 

確かに生きていく上で必要なビリーフだったのでしょう。

しかし、もう大人になった今そのビリーフはかえって邪魔になる場合もあります。

もう必要のないビリーフ、ブロックなのですが、

長年このビリーフにのっとってやってきたので根強くなかなか外れません。

解放されるには、過去の本心をそのまま「実感として再体験」し、受け入れられなかった本当の思いを自分で受け止めてあげることです。

本当は〇〇したかった。

本当は〇〇したくなかった。

本当の気持ちはああだった、こうだった。

このような気持ちは心の深いレベルに沈んでいて

なかなか一人でそこまで下りて行って

拾い上げるのは難しいです。

しかし、カウンセラーやグループワークでの仲間など

一緒に心の深いところに降りて行ってくれる人の存在がいると

その未完結だった感情が、本当に実感として自分の心に上がってきます

不思議ですが、頭で「ああ未完結な感情があるな」と理解しているのと

「感情の揺さぶりを伴って実感として感じる」のとでは大違いです。

感情の揺さぶりというのは、過去のことなのに

今その感情をありありと感じ、涙が出たり、怒りの気持ちが出たりということです。

まさに再体験です。

カウンセリングや各種セラピー、グループワークというのは

まさにこの「実感として感情が揺れ、過去の未完結な感情を解放する」のに大変役に立つものです。

カウンセラーやセラピストが癒すのではなく、

その人自身が自分で自分を癒すということです。

心の深いところにたどり着けるようサポートをするのがカウンセラーやセラピストということになります。

 

 

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