アダルトチルドレン、共依存の例。

掃除・片付けの作業をしていると自然と自分の内面と向き合う流れになり、

ちょっとした気づきがありました。

>>>掃除・片付け。やらなくていいことをやっていたという気づき

>>>気づきというか、今までにも気が付いていて「やっぱりそうよね」と再確認したといった感じかもしれません。

他人がやるべきことまで、「私がやらなきゃ」と代わりにやってしまいがちになることがありますが、

それはやっぱりおかしいということ。

他人のためになにか手助けをしたいな、役に立ちたいなという優しさや思いやりの心で

「自分もそうするのが嬉しいからやる」というのは全然問題なく、健全です。

しかし、どこか自己犠牲的になってしまったり、

断りたくてもそれがいけないことのように感じ、自責の念を感じるのが嫌だから

我慢してやるというのはやっぱりおかしいです。

私の場合は掃除・片付けの作業から、

上記のような傾向がちょっとあるかもと思ったのですが、

28までの自分はまさにその傾向が強かったと振り返ってみて思います。

28というのは生死をさまよって人生観が変わり、

それまで「死んだように生きていた」状態だったのが「やっと生まれた」感覚、「生きている感覚」を取り戻した年です。

※背景は「生死をさまよった体験 10記事」をご覧ください。

その時から「ああ、感じていることを素直に伝えたらOKなんや。」と

「今・ここ・目の前の人」に素直に、なにより自分の心に正直にしていたらOKというシンプルな気づきでした。

それ以来、やはり元に戻りそうになったり、

波はあるものの以前よりはずいぶんと生きやすくなりました。

自己犠牲。私がやらなきゃと背負う・人の仕事までやってしまう

知り合いにいるのです。

奥さんの方が旦那さんが本来やるべきこともやってしまう。

子どものことも、自分でやらせるべきことを先回りしてやってしまう。

これくらいならどの家庭でもあることかもしれませんが、

エスカレートすると

例えば旦那さんが結構な額の借金があることが発覚。

そのお金を奥さんが尻ぬぐいをしていて

自分の働いたお金や子どものための貯金などから返済に充て、

旦那の方は平気な顔をしてそれが当然と思っている。

しかも借金癖はなかなか直らず、数回同じことの繰り返し。

奥さんの方は「また旦那が借金をしてきたらどうしよう」という不安を抱きつつも

生活のことや世間体を気にして別れたくても別れられない。

「借金」を例として出しましたが、

浮気癖やDVなどの暴力の場合もあります。

一つではなく複数の問題を同時に抱えていることもあります。

精神的にも場合によっては肉体的にもボロボロになりながらも

自分ばかりがゆっくり殺されていくような環境になぜか居続けてしまうのは一体どうしてなのか。

第三者からみると

「別れればいいのに」と思うのにどうして当事者たちは別れないのか。

上記の例でいうと、旦那さんから奥さんへの愛情があるというより

自分にとって都合が良いから一緒にいるように私は感じますし、

本人もそう感じていながらも別れられないのです。

それから共依存で被害者の側になる人は、

誰かからの頼まれごとを「断ったらいけない」と思いがちで

断った際にも過剰に自責の念を抱くことが多いように思います。

断ることに対して罪悪感を感じるのですね。

頼まれごとを引き受けることで負担が多くなってしんどくても

罪悪感を感じるより、人の要求に従ったほうが気持ち的にはらくなのかもしれません。

こうなってしまうのは、心の底にある強い自己否定の感情です。

関連記事

>>>アダルトチルドレン「共依存」の克服。自分を抑え、他人を優先することはありませんか?共依存の特徴22個

上記の記事はアダルトチルドレンのケアの第一人者西尾和美先生の本を参考にしています。

共依存の特徴は例に挙げた女性にほとんど当てはまります。

(知り合いの女性というのは母のことです。)

これを書いている今実家に帰省中ですが、共依存の度合いのひどさをまじまじと見せつけられ

いかに私自身が過酷な状況で育ってきたのかということがわかりました。

子ども時代はそのような判断はできませんでしたが

3歳で保育園に入る段階ですでに「生きづらさ」を抱えており、

今よりもずっと暗い人生をその後25年間送ることになります。

それでも愛情を感じとる能力はあったのでどうにかやってきました。

両親の「共依存」の影響、その表出の仕方は母に似た部分があるのですが、

幼少期にすでにそういったものを抱えており、

ひずみが身体に出たり、人間関係に出たり、さまざまな「喪失体験」「傷つき体験」がありました。

結構大変な思いをして生きてきたのですが、自分でそれを「過少評価」して大したことないと思っていました。

全部書くと関わった人のプライバシーなどもあるので書きませんが

その集大成ともいえる体験が「生死をさまよった体験」です。

生死をさまよう、しかも3人目の子を死産で失うという究極の体験をしていますが、

「生死と比べると他のことは大したことじゃないと思うか」というとそうではないです。

むしろ今まで辛いことがあっても過小評価して平気な顔をしてきたけど

やっぱり辛いものは辛いし、恋愛であれ友人関係であれ、なにかトラブルがあるとそれはそれで大変なのだとありのままに感情を感じることを自分に許せるようになりました。

今まで3回も開腹手術を経験しましたが、ピアスを開けるのが怖いですし。

でも確かに肚が座ったという部分もとても多く、

辛い、しんどい、不安、腹が立つ、そのような感情を強く感じはしますが

感情を感じつつも「放っておく」こともできるようになってきました。

「感情を認識している自分」の存在感が増しているように思います。

それでもまだ自分の中に共依存の両親の影響というのが残っていて、

生死の体験を持ってしてもなかなか一発で直らないものなのだとも知りました。

だいぶん変わったというか自分を取り戻せはしましたが

まだ少し、根強く影響は残っています。

どうしてこんな家に生まれてきたのかという理不尽な思いを十代の頃よく抱いておりました。

今思うのは

「1.過去生の悪行の結果」

「2.魂の修行として自分で選んだ」

どちらかか、二つ重なっているのかなと。

2については、たとえば自分の魂を清めたい、修行したいという際には

宗教的な施設などに入る場合がありますが、

そういった場合は「修行する」という意識があるので

いやなことがあっても「修行だから」という自覚があるわけです。

私の場合は「修行」という意識は生まれた時点で忘れるわけであり、

その「修行ということを忘れる」からこそ余計に修行がきつくなって面白いのではないかという遊び心があったのかもしれません。

そしてそういう人は実は多いのかもしれません。

魂の次元で考えると人生は大変で過酷な方が「面白い」のですね。

しかし人間の次元ではそれはそれは大変で、投げ出したいし逃げたくもなります

共依存も結局は「自分には価値がない」という強い自己否定の思い込みです。

真実でないことをそう思い込んでいるためそれに見合った現実が現れるのですが、

「自分には価値がある」という自己肯定の感情が戻ってくると共依存からは抜け出すことができます。

それをやっていくのがカウンセリングやセラピー、内観や瞑想ということになります。

以下は自分のペースで取り組めるアダルトチルドレンを克服する教材です。

西尾和美の アダルトチルドレン 癒しと回復のためのセルフスタディキット

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