結果にとらわれる執着を手放す

執着を手放す

スピリチュアルなことを学んでいると

自分の願望が「絶対に何がなんでも叶ってほしい」という執着を手放すことの重要についてよく耳にすると思います。

執着することでかえって願望が叶いにくくなるということが体感としてわかってきます。

努力をしたらした分の見返りが欲しい、きっと自分にとって良い結果をもたらすだろう。

こういう風に思って当然ですし、思うということはそれだけそこに

情熱、エネルギーを注いでいることを物語ってもいますね。

何かの事柄に集中し、本気で取り組んで、最善を尽くし

結果については放っておく。

この「結果については放っておく」ことが難しですよね。

これだけ努力して頑張ったんだから、早くみんな私のことを認めて欲しい。

早く周囲の私に対する良い評価が出ないかなあ。

例えば、ブログ執筆一つとってみても記事を更新したら

ちゃんとアクセスが増えるのかどうか気になったりします。

狙ったキーワードで検索上位に表示されているのかということも。

最善を尽くして頑張ったのは人の評価を得るためだったのでしょうか?

もしくは、自分が努力することで社会にとってきっと役に立つだろうという動機からだったのでしょうか。

人から認められたいという動機は「早く人から認められたい」と

ずっと思い続けることになるので、

かえってその「認められたい」=「頑張りの割には努力が報われない」

という状態が続きます。

自分の期待よりも悪い結果だったり、

人にわかってもらえなかったりと

「最善を尽くしたのになぜ認めてもらえないんだ!」という怒りの感情もわいたりして

認めてくれなかった周囲の人に向けて攻撃してしまったり、

逆に「自分はどうぜ何をやってもうまくいかない」と

自己卑下の感情を強めたりしますね。

何か一生懸命取り組んで、

きっとそれが誰かの役に立つし、社会にとっても良い貢献に違いないという

自分のやっていることへの信頼があれば

それほど結果にとらわれることはなく、

「どうぜ自分は・・・」などと落ち込むことも少ないかと思います。

「今はまだ世間に受け入れられないかもしれないが、そのうちきっと良くなる」

と長い目で見て、自分自身のやっていることへの信頼を失わず

ただ自分のできる限りの最善を尽くしましょう。

結果については自分がコントロールできる範囲を超えているので

天にゆだねてどんな結果であろうともそれを受け入れることでしょうか。

 

なにか一生懸命取り組んで、なかなかそれが認められなくて腹が立ったり落ち込んだりしますが、

それはいったいどうしてなのか。

あまりにも自分へ意識が向いていて、過去の傷とリンクしてしんどいのだとわかれば

そこの部分をケアしていくといいですね。

「またダメだった」

「どうしていつもダメなのか」

毎回こんな気持ちを味わってしんどいのだとしたら、

今後どんなに努力して、実力を上げていっても

誰かに評価されるという場面になると

なぜかうまくいかないということになることが多いです。

試験や就職、仕事、恋愛。

まずは自分で自分のことを本当の意味で受け入れていないと

他者からは受け入れられません。

また他者から受け入れられることを目的に行動するとどんどんしんどくなります。

まずは自分のことを受け入れることが大事で、結果として他者からも受け入れられるようになってきます。

これについては自分を癒すことです。

 

それほどのしんどさではなくても

「まだかなまだかな」と結果が気になるときは

「それって宇宙の流れを信頼していないということなのかな」

「自分自身を信頼していないってことかな」

という気づきにもなり、

「いや、大丈夫。私のやっていることはやりたくてやっていることだし、

社会のため、宇宙の流れに沿ったものでもある。

結果についてちょっと気になってしまうことはあっても、

それは一瞬気持ちが揺らいだだけ。

あれだけやったんだから、結果のことは置いといて

次もまた集中して取り組もう。

自分を信じて、宇宙を信じていれば

きっと自分にとっても宇宙にとっても良い結果になる。」

執着を手放すには信頼が大事という話でした。

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