だまされないで!「頭の分析」は「感性の声」のフリをすることも。

感性を取り戻す。頭の分析。他人の価値観。

心の奥にある「欲」を満たすことの重要性

「ほんとはあの時・・・〇〇したかった」

「ほんとはあの時・・・〇〇したくなかった」

「ほんとはあの時・・・〇〇してほしかった」

「ほんとはあの時・・・〇〇してほしくなかった」

 

欲と聞くとあってはならないものという認識を持つ方もいるかもしれません。

しかし生きるためには睡眠欲や食欲、性欲などが必要です。

そのような基本的な欲はまあ理解できるとして「〇〇したかった」など

個人的な願望に対する欲はやっぱり無いほうがいいんじゃないかと思うかもしれません。

ここでいう「欲」とは過去に抱いていた願望で、それが満たされないために

今現在もそれにとらわれてしまって辛い、生きづらいというものを指しています。

多くは幼少時にありのままの自分を認めてもらえなかったという心の傷に起因します。

例えば

制限が多く、自由にできなかった

逆の性別の役割を押し付けられた

親が未熟だったため子ども時代に子どもらしく振舞うことができなかった

自分の希望ではなく常に親の希望に沿って生きてきた

親自身が他人の目を気にする性格で、子どもの気持ちよりも世間の目を大事にするタイプだった

などなどありのままの自分でいられない環境で育つと自分の感情を抑えるのが当たり前になり

いつのまにか自分でも「頭の分析」「頭の声」が主導権を握るようになってしまい

本当はどう感じているかという「感性の声」は踏みにじられて

そのことにすら自分でも気がつかない。

気がつかないから人生一見うまくいっているように見える場合もある。

うまくいっているように見えるのに(そうでない人もいますが)

なぜか生きづらいししんどい、という状態になってしまうというわけです。

またうまくいっているように見える人もいれば

明らかにうまくいってないと外から見てわかる人もいます。

病気がちだったり、精神的なしんどさが続いていたり。

感性の声を押さえつけているとどこかでそれを表現するように

身体や精神に症状が現れたり、人間関係がしんどくなったり

あるいは「自分はまだまだ足らない」という動機で

しんどいにも関わらず「エリート」として生きていたり・・・。

 

カウンセリングのセッションは「未完結」な問題を完結させるためのもの

「あの時の心残りな出来事」を心の中で再現し、未完了だった感情のもやもやを完了させることで本来の素の自分を取り戻せます。

一人でもできますが、他者の力を借りてその作業に取り組むのが

カウンセリングやグループセッションということになります。

・他人の価値観に合わせて自分の本心を抑えてきたからそう思う。

だから、今度は自分の本心を自分で拾ってあげる

自分の心のうちを自分で聴いてあげる

これが意外と難しく、「そうか自分で自分をわかってあげるんだね」

と理解していても、人によっては自分で自分の本心を聴いているつもり

自分の本心を拾い上げているつもりが

知らず知らずのうちすでに他人の価値観や社会の価値観が入ってしまっていて

なかなか本心までたどり着けない場合もあります。

例えば、小学生の時に友人から嫌がらせを受けて、許せない気持ちがある。

本当は「許せない」と心では感じていてその怒りは全然癒されていない、収まっていないのに

「あの時はあの子も子どもだったから、仕方ない。許そう」

「私も強く出なかったからエスカレートしたんだ。私にも非がある」

などと本当は怒りがある、許せないにも関わらず上記のような「気持ち」を感じていると思い込んでいることがあります。

頭の分析が自分の感性をだましている状態です。

 

そしてせっかく出てきそうになった怒りを抑圧してしまう

言葉で表現するのはとても難しいのですが、

上記の二つの文章は

場合によって、あるいは人によっては本当に怒りが収まり、

本心から「仕方ないね~、許せるよ。もう怒りの気持ちはない」

「ああ、そっかあ、あの時私こそ自己主張しなきゃならなかったんだ」

頭の分析からではなく、本心から心の底からそう感じていれば

もう怒りは収まっているし、許しているということになるでしょう。

しかし、そうではない場合もあるということを言いたいのです。

同じように自分では思っているつもりでも

それは自分を納得させるための「頭の分析」なのかもしれません。

「頭の分析」と「心からの本心」は文章にすると見わけがつきません。

ですからそう「思った」本人ですらそれが心からの本心だと錯覚してしまうことが起こります。

感性の声が出そうになっていても、いつも頭の声がそれを抑圧するということを繰り返している限り

「いつのまにか問題が解決されて心が晴れやかになった」ということはないかと思います。

(気晴らしや娯楽などで気がまぎれるということはあるかもしれません。

しかし状況は平行線をたどるか、あるいは相当ひどくなって

我慢できないぎりぎりのところまでいって

死にそうなくらいになってやっと「感性の声」が勝ち

「ああそうだったのか」と気づきを得るというプロセスをたどるかです。

この場合、心に痛手を負うでしょうが大きな視点でとらえると

その気づきは「生きた気づき」でもあるので人間成長につながるような

人格をより深く、豊かにしてくれるものであることがほとんどです。

カウンセリングセッションを受けるよりも「生きた体験」としてより多くの人格変容をもたらすことも多いでしょう。

ただリスクが大きいので、なるべくなら問題が大きくなる前に

心の問題はセッションを受けるなどをして折り合いをつけておくほうがいいかと思います。)

 

カウンセリングではクライアントの語りそのものに

「頭の声」に抑圧されている「感性の声」をキャッチして

心の奥にアプローチしていきます。

 

欲望を満たすことではない

ここで少し脱線しますが、欲望を満たすという意味とは異なります。

人は心の奥にある「本当の感情」を満たしたくて

次から次に物を買うという行為に走ったり

アルコール依存やギャンブル依存など

おかしな行動を取ってしまうことがありますが

ここで言っている「欲を満たす」とはこのような欲望を満たす行為のことを言っているのではなく、

こういう行動を取ってしまう大元の欲、「本当は〇〇したかった、してほしかった」という

完結されていない心残りの感情について述べています。

つまり問題の根本です。

次から次へと物が欲しくなったり、ある行為をやめられなかったりという欲望は

いわば「枝葉」にあたります。

その枝葉ばかりを繰り返しても本当の問題が解決されることはありません。

根っこにある満たされない思いに直接アプローチすることが大切です。

「頭の分析」は他人の価値観。知らず知らず他人の目で自分を裁いている

話を元に戻します。

本心の声を頭の分析がかき消してしまい、自分でも本心ではどう感じているのかわからなくなっている場合がとても多いです。

それほど育ってきた環境や社会からの影響は強く、

他人の顔色、親の顔色をうかがいながら生きてきた人にとって

「本当の本当の本当のところはどうなの?」と自分の心の声を聴くことは

ちょっとやそっと向き合ったくらいではなかなか難しいのです。

そもそも本当の感情、本当に感じていることを認めることがタブーだった

そう感じること、表現することは許されなかった

そんなことを話そうものなら生きていけなかった。

だからいつも自分の感情を抑えて、あるのに関わらず「無いもの」とせざるをえず、

自分よりも常に親や他人の言うことを優先してきた。

生きるためにそう繰り返してきたため

もはや自分の感情ですら「頭の分析」が

「そんなこと考えてはだめ」

「そんなこと思ったらだめ」と。

心と向き合うには頭の声を静めて、

待って、待って、待って、本当に研ぎ澄まされた状態でやっと出てくるものだったりします。

普段頭の分析が優位に立っていて感情を抑圧してきた人は特にそうです。

一人静かに心を見つめる。

あるいはカウンセリングなどの個人セッション・グループセッションで

実際に「待ってもらうこと」や

沈黙の中静かに感情を浮かび上がらせる時間を取ってもらうなどということで

ようやく「ああ、わたしは本当はこういう風に感じていたんだ」とわかることがあります。

自分でも思ってもいなかったようなことが

心の中のしこりとしてあったということ、それが生きづらさにつながっていたということが腑に落ちる。

実感として「感じる」という状態です。

そこまできてやっと「あのとき本当は・・・・」という欲、未完結だった感情に

向き合い、それを今度はちゃんと感じて、受け止めて

やっと癒やしが起こるということです。

 
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