赤ちゃんの立場になって  流産・死産・周産期のグリーフケア

周産期のグリーフケア。赤ちゃん。流産、死産、新生児、中絶。

私がお世話になった助産師さんが

周産期グリーフケアの講演会でおっしゃっていたことです。

 

生まれたばかりの赤ちゃんを亡くしたお母さん、

 

死産をしたお母さんに寄り添うとき、

 

「亡くなった赤ちゃんだったらお母さんに何を伝えるのか」

 

「赤ちゃんの立場だったらどう声をかけたいか」

 

「赤ちゃんはどう思っているのか」

 

赤ちゃんになったつもりで声をかける

 

というようなことを話していました。

 

 

「お母さん、大好きだよ」

 

「ぼく、すごくがんばったよ」

 

「お母さんに会いたかった」

 

「お腹の中は気持ちよかった、お母さんに会えて幸せだよ」

 

お母さん自身の気持ちも汲み取ってあげることはもちろんです。

 

 

「辛かったね」

 

「我慢しないで泣いていいんですよ」

 

と。

 

グリーフケア講座の先生がおっしゃっていたことの一つ。

 

本当に人に寄り添うと

 

その人にとってぴったりくる言葉が自然と出てくるとのこと

 

 

 

 

「赤ちゃんになったつもりで」と

 

知識として知ることはとても大事です。

 

 

心が伴っている状態で自然にそういう言葉が出てくる場合と、

 

心は伴っていないけど取りあえず形だけ整えて

 

「赤ちゃんになったつもりで言ってみる」のとは、

 

受け手側にも伝わってしまうかもしれません。

 

 

 

 

グリーフケアは決してマニュアルに

 

まとめられるものではないです。

 

私自身がその助産師さんのケアによって癒されたのは、

 

まさに彼女が私自身に寄り添ってくれた。

 

そこで自然に出た言葉が

 

上に書いたようなものだったからだと思います。

 

 

本当にあれは不思議な体験でした。

 

初めに知識やノウハウがあったのではなく、心がありました。

 

 

形さえ整えて

 

外から見れば同じようなケアを提供しているように

 

見せかけることは出来るかもしれません。

 

例えば、赤ちゃんの手形、足形をとる、

 

一緒に写真を撮るという行為でも、

 

ケア提供者側が

 

「わたしちゃんと仕事してますよ。」と自分のことを

 

考えているのでは

 

なんのために手形、足形をとり、写真を撮るのかわかりません。

 

 

苦しんでいるクライアントに伝わってしまう気がします。

 

心が伴っていないにも関わらず「辛いですね」や

 

「僕、お母さんに会いたくてきたよ」などと言ってしまうのであれば、

 

かえって何も言わないほうがいいでしょう。

 

 

心が伴っていない言葉は軽々しく聞こえたり、

 

バカにしているように聞こえたりと

 

傷ついてしまうことも考えられます。

 

またその医療者やケア提供者の態度によって

 

「わたしや赤ちゃんのことに興味、関心がないんだ。」

 

と当事者が感じてしまうことにもなります。

 

苦しんでいる患者さん、クライアントさんは感性が鋭くなっていることが多く

寄り添ってくれる側の人間が

 

本当に実感を持って共感してるのかどうかが

 

伝わってしまうことが多いです。

 

実感のこもらない言葉を発することは

余計に傷つける結果となるでしょう。

 

 

 

知識として知っておくのは大事です。
しかし、最終的に頼りになるのは自分の感性だと思います。

 

「赤ちゃんになったつもり」で

 

本当に心から発せられる助産師さん、

 

あるいは友人、家族の言葉には本当に癒されます。

 

ここからは2017年に上記の振り返ってみての追記です。

グリーフケアやスピリチュアルケアの訓練で何をするのかというと

 

「自分」を無くすということです。

 

自分の抱えている価値観や思い込み、

 

当事者にこうあってほしいという理想、

 

きっとこう感じているに違いないという偏見

 

を無くす、置いておけるようになることです。

 

つまり、心のフィルターをきれいにするということです。

 

フィルターが自分の思い込みや価値観で濁っていたら

 

ありのままの話にフィルターの汚れがついてしまい、

 

話を純粋に受け止めることができなくなってしまいます。

 

 

聴き手として「エゴにまみれた自分」の影響を与えることはNG。

 

望まれてもいないのに説教をしたり

 

こっちが正しい考えなんだと

 

当事者の気持ちを聴かずに正論を振りかざすのも

 

NGです。

 

 

ケア提供者の訓練というのは

 

宗教的修行に通ずるものがあり(結局どの仕事もそうですが)

 

いかに自分を無くして

 

相手の幸せや喜びのために貢献できるかが問われますが、

 

相手の幸せや喜びは

 

なんであるかは当事者しかわからないことで

 

それを対話によって

 

当事者が気づけるように

 

導いていきます。

 

 

今回の記事の「赤ちゃんの立場になって」とありますが

 

これは頭で想像するということはもちろんで、

 

想像するのは最低限のことなのですが、

 

想像したままそのまま伝えるという段階のままでは

 

やはり自分のエゴが入ってしまったりするのです。

 

 

想像というレベルをはるかに超え

 

「赤ちゃんそのもの」になりきるといいますか

 

赤ちゃんの気持ちに共感し、

 

それは想像というような

 

自分と赤ちゃんとの距離が遠い状態ではなく

 

一致、なりきるというくらいに距離を縮めて

 

「確信」にも近い感覚で

 

赤ちゃんの立場になって

 

発せられることばだからこそ

 

お母さんの心、たましいに響き、

 

それは一生忘れられない宝ものに、

 

その後生きていくうえで

 

自分に勇気を与え、

 

生きる力を与えるものに

 

なるのだと思います。

 

 

日常働いている表層意識からではなく、

 

もっと深い意識からの言葉ということになります。

 

 

 

書いていてとても難しいことだなと自分でも思います。

 

改めてお世話になった助産師さんのすごさを感じます。

 

頭で受け取ったことばではなく

 

もっと深い心の奥、

 

たましいで受け取ったことばは違うということを

 

まさに体験させていただきました。

 

 

そのものと一致するのは

 

意識上では「瞑想修行」での最終段階「三昧」に当たりますが、

 

一致ができないことのほうががはるかに多いでしょう。

 

 

そのようなときは「わたしの想像ですが」という言葉を補って

 

「きっと赤ちゃんは○○○○ってお母さんに言っていると思いますよ。」

 

と正直に自分の心をお伝えすればいいと思います。

 

なりきっていないのに

 

フリをしてその場を取り繕うのは最もいけません。

 

 

 

「赤ちゃんが○○○って言ってたらうれしいと、私も思います。」

 

と正直に自分の心をお伝えすることも

 

ケアにつながります。
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