ケア提供者が癒すのではない。ケア提供者がビリーフから自由になるほど、相手の癒しも深くなる

ビリーフから自由になる。カウンセラー。スピリチュアルケア

この世に存在する人間は

一人残らずどんな人でも

究極的なところまでいきつくと

仏様、神様と呼ばれている存在にたどり着くようです。

心理の用語では「集合無意識」とも呼ばれています。

 

仏教では本当の自分とは仏様だったと

思い出すことが悟りというわけです。

 

今はとてもそうは思えない、

欠点だらけでしょっちゅうミスをする私が

こんな傷を抱えてて、

人のことも悪く思ったりしてるけど

実は仏様、神様だったなんて・・・

そんな実感わいてこない・・・。

 

でも心の奥ではちゃんとつながっていて

それを「本当の自分」すなわち真の我「真我」とも

呼ばれています。

 

今はもしかすると、心の中の仏様、神様とのつながりは

とても細いかもしれない。

でも細くてももちゃんといつもそこにいて、

ずっとつながっているのです。

 

自分の心が外の世界に現れている・・・他人や出来事を通して「自分」に出会っているということ

自分の心、魂には自分でも把握しきれないほどの

いろいろなものが蓄えられています。

個性と呼ばれる気質や性格の特徴・・・

これらは生まれた時点ですでに一定量あって

その後育っていく中でも

さらなる「思い込み」「偏見」

「考え方」「傷」などを抱えこんだり

あるいは気づきによって浄化されたり、

こだわることで逆に増えたりします。

 

「カルマ」「業」と宗教用語では呼ばれています。

心理の用語では

「ビリーフ」「メンタルブロック」

「思い込み」「価値観」「トラウマ」などなど。

 

自分の心の中、普通は意識しないと何が入っているか

なかなかわかりません。

 

でも、外界に現れた出来事によって

どんな感情体験をしたのか、

どんなこだわり、思い込み

つまり「ビリーフ」を保持しているのか

ということが

自分の心を知る糸口になります。

 

 

いろいろな現象、出来事の事象そのものではなく、

それによって引き起こされる感情から

その感情を生み出している「ビリーフ」を探ることによって

自分の抱えているものがあらわになります。

 

例えば「ジェットコースターに乗った」という出来事は

単なる「事象」ですが

それによって感じた

「楽しかった」「怖かった」「スリルを感じてみたかった」

などというのが感情です。

 

 

あるいは思わぬ事故に巻き込まれたとします。

ある人は

「あの運転手のせいで!許せない!」

という感情に執着することになるかもしれません。

そこから

「自分は被害者だ」という思いに

とらわれ続けるかもしれません。

 

 

しかしある人は

「いのちの大切さがわかった。

今までの生き方を変えて真剣に生きよう!」

という気持ちを抱き、

その後の生き方を変えるかも

かもしれません。

 

両者は全く違う反応をしていますが、

どちらの感情も

もともとその人のたましいの中にあったもの。

 

今までも同じような気持ちになったことが

あるかもしれませんし、

あるいは今回初めて

表面化したものかもしれません。

 

どちらにしろ、

心にあるものが出来事を通して

現れていることに変わりはありません。

 

自覚のできない領域かもしれませんが、

心の奥にあるから

「自分は被害者で損をした!」という怒りや

「これからしっかり生きていこう」という

いのちや人生への真剣さを感じるという

現象が現れるのです。

 

ですから、「外の世界」という風に見えてはいるけれども

本当は自分の心に出合っているというわけです。

 

実感はないかもしれませんがそうなっています。

(※相談の場ではそのような話を押し付けることはせず、

出来事によって抱いた怒りや悲しみなど

感じている感情をそのまま話していただき、

気持ちに寄り添うということをします。

自分の心の中のものが現れていると話しても

実感のない場合は役に立たないからです。)

 

ですから、他人というものは

存在はしていますが、

他人とのやりとりで出会うのは

結局「自分」ということになります。

 

生きている間、どこまでいっても

実は自分にしか会っていないということです。

地球上の人間一人ひとりが、

そうなっています。

人間の数だけ世界があるということです。

 

ケア提供者の心が癒される・浄化されるほど、クライアントの癒しにつながる


外の世界で出会う人、出来事を通して

実は自分自身と出会っているわけですが、

自分の最もきれいな部分、

平和で慈愛に満ちた部分、

真実の智慧につながった部分も

外の出来事を通して

体験するということです。

 

 

外界は鏡のように

あなたの姿を映しだすので

自分の心が癒され、浄化されるほど、

外の出来事からも

癒されるように感じる出来事、

ああ、そうだったのかと

実感を伴う気づきが訪れます。

 

 

例えば哲学や宗教、スピリチュアル関係の

本を読んでいて、

以前ならあまりぴんと来なかった内容が

今はぴんとくる、

その通りだと心から思える

ということがあります。

 

このようなことも

自分の心が変化したから起こります。

 

ケア提供者が癒しているのではない~「弟子に準備ができた時、師が現れる」という言葉とも重なる


ケア提供者とクライアント(相談者)は

実はコインの表裏、

鏡のような関係なので、

ケア提供者が癒されている度合いに応じて

クライアントの癒しにつながる可能性が大きくなりますし、

また表面化していなくても

クライアントの心の深い部分で

癒しや浄化、気づきが胎動していて

ケア提供者との対話の中で

それが表出されると

相談者の実感として

「癒される」ということが起こります。

 

 

ですので、ケア提供者が普段から

自身のビリーフを自覚し、

癒されていることは大事なのではありますが、

「ケア提供者がクライアントを癒しているのではない」

ということです。

 

クライアントの中にはもうすでに

「癒し」や「気づき」が動いていて

それを共同作業で

外に「産みだす」のが

スピリチュアルケア・グリーフケアのセッションということになります。

 

死に直面するなどの危機的状況では

私自身の経験ですが

自分の死に直面することで

それまで生きてきて

存在することすら疑問に思っていた

別次元の存在を実感として体験しました。

 

普段のちょっとした悩みや

トラブルに見舞われた状況では

頑張ってコントロールしようと

エゴや思考がもがくわけですが、

死に直面するなどの危機的状況では

その物事をコントロールすることが不可能になり、

「降参」

「お任せ状態」

「私にはどうすることもできない」

という状態になり、

そのようにエゴのコントロールを放棄した状態では

超越者、神、仏、

超越的存在

究極的自己

集合無意識

サムシンググレイト

などと呼ばれる次元の存在につながりやすくなります。

 

人によっては

宗教的体験や悟り、覚醒体験を経験します。

それまでの人生で味わうことの無かった

ものすごい幸福感、至福感を感じることもあるようです。

 

ケア提供者がいなくても

ひとりでにそのような体験をする人はいます。

 

また同じ次元につながることのできる

研ぎ澄まされたケア提供者との対話が

そのような体験を導くこともあるでしょう。

 

ケア提供者を通して、

ケア提供者が鏡となって、

クライアント、相談者さんは

自分の最も神聖な部分とつながるということですね。

※この時実はケア提供者の身にも同時に

「癒される」というもことが起こります。

ケア「提供者」と表現するのでややこしです。

 

 

一人ひとりの人間の心の奥、たましいは

神聖や仏性につながっていて

癒しや浄化が進むほど、

そのような次元を感じるようになっているということです。

 

「弟子に準備ができた時、師が現れる」

という言葉にも通ずるとことがあります。

 

読んでいただきありがとうございました。


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