人間の構造 人間は複数の「からだ」がある多次元構造の存在

ワンネスと個。人間の構造、複数の「からだ」。人間とは一体何なのか

 

人間には複数の体があると聞いて、

「なにをバカなことを」

「体が複数あるわけがない」

「なんのこっちゃ」

と感じる方がほとんどでしょう。

 

私たちが普段「からだ」として認識しているのは

 

目に見え、実際に触れられる「肉体」のみです。

 

生きていて

 

実感としてはこの「肉体」が私であり、

 

肉体の中の「脳」がさまざまな刺激に対して反応している という認識でしょう。

 

脳で判断して、感じて、考えて、 

意識の本体は脳にあるというのが私たちの認識だと思います。

 

しかし、脳は単なる「受信器」であって、

 

意識の本質は肉体の外にあり、

 

肉体以外の別次元に属する

 

「からだ」(アストラル体やコーザル体(カラーナ)と呼ばれている)

 

にあると言われています

 

びっくりする話ですが

 

どうやら肉体以外にも人間は

 

折り重なるように複数の「からだ」を持っているようなのです。

 

ヨーガや仏教、神道、神智学などにおいて

 

複数の体は

 

さまざまな名前で呼ばれています。

 

そしてそれぞれの体が異なる「次元」に属しています。

 

私たちが普段認識している世界は「三次元」で、

 

その次元に対応しているのは「肉体」ということになります。

 

肉体は三次元に属していますが、

 

意識はそれ以外の次元に同時に存在しているということです。

また、次元の異なる「からだ」は

 

オーラとも呼ばれていたり、「たましい」とも呼ばれています。

 

その体が開かれていくにつれ、

 

自と他の境界が「地続き」になるような、

 

宇宙と自分が一体になるような感覚になることもあります。

 

以下、それぞれの宗教や思想で現わされている「からだ」です。

 

 

宗教によって言葉の表現は違いますので、あまりとらわれないほうがいいです。

 

それぞれの体の役割 

神智学やヒーリングの世界では

     肉体

     エーテル体 好き・嫌い、快・不快などの感覚や感情を扱う

     アストラル体 感情

     メンタル体

     コーザル体(ここまでが個人のたましい)

     スピリチュアル体(ここからは個が薄くなり全体意識とつながる次元

     コズミック体

 

 

 

ヴェーダ哲学・ヨーガ

・肉体「食物鞘(アンナマヤコーシャ)」肉体

・生気エネルギー  「生気鞘(プラーナマヤコーシャ)」
 (エーテル体)

・微細身「意思鞘(マノーマヤコーシャ)」感情や意思
 (アストラル体)

・「理知鞘(ヴィギャーナマヤコーシャ)」知性
 (メンタル体)

・「歓喜鞘(アーナンダマヤコーシャ)」
 →原因の身体に属します(一番内側の鞘)
 (カラーナ/コーザル体)

・プルシャ(全体意識)
 

仏教 (身体というより意識と解釈)

     五官 (眼識、耳識、鼻識、舌識、身識)

     六識 意識(想念

     七識 末那識   

     八識 阿頼耶識  〈潜在意識〉

     九識 アマラ識  〈深層意識〉個が薄くなり全体意識とつながる次元

     十識 秘密荘厳心(一切法平等無畏心) 〈法界(宇宙意識)〉 

(大下大圓『臨床瞑想法』2016を参考にしました)

 

 

神道

こちらはあまり詳しくないのですが、

一霊四魂(いちれいしこん)といって、

心は、天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂から 成り立つという日本の思想(wikipedia より)とのことです。

勇 - 荒魂(あらみたま)

親  和魂(にぎみたま)

愛  幸魂(さきみたま、さちみたま)

智  奇魂(くしみたま)

 

 

様々な宗教、思想によって微妙に異なる点がありますが

 

ほとんどの部分では一致が見られます。

 

 

もともと、すべては一つという言葉を聞いたことがあるでしょう。

 

ワンネスとも呼ばれていますし、

 

インドのヴェーダ哲学では

 

ブラフマン(全体)、アートマン(個)とも呼ばれています。

 

真我、自我(個我)という呼び方もあります。

 

私たちは肉体を持ったこの世界では

 

他人と区別された「個」として存在していますが、

 

高次元の世界では「個」の壁が取っ払われていて

 

全体として他人と自分の区別なく

 

もともとの「一つ」として存在しているのです。

 

「スピリチュアル体」の次元までは「個」としての

 

壁があるらしいのですが、それ以上になると

 

全体と溶け合っているということです。

 

三次元の世界で生きていても、

 

時折インスピレーションがわいたり、他人の感情が伝わってきたり、

 

予感が的中したりということがあると思います。

 

複数の体は相互に影響を与え合っていて、

 

たとえば「コーザル体」に抱えてあった垢が浄化されると

 

精神面でもラクになって生きやすくなったり、

 

肉体にも変化があり、例えば病気が治ったりするなど

 

相互に影響しあっています。

 

そして、ときには

 

 

 

意識は一瞬かもしれませんが高次元と繋がって

 

「個」としての自分以外の人や物事がわかるということもあります。

 

そしてこのことは、

 

誰か特別な人だけしか到達できないということではなく、

 

地球上に存在している

 

一人ひとりの人が

 

その個人の中にすでに

 

すべての次元の体を備えていて、

 

仏教でいわれる「仏」ということです。

 

普段この三次元の世界で生きていて

 

「仏」とは程遠い

 

私はエゴやわがままのかたまり、

 

欲にまみれた人間、

 

そんな私が「仏」なわけがない

 

と思う人がほとんどでしょうが、

 

一人残らず

 

心の中、たましいの奥には

 

「仏さま」「神様」がいらっしゃる。

 

 

言い方は異なりますが「宇宙意識」

 

「サムシンググレート」でも構いません。

 

 

そこにたどりつくまでには

 

心の中の色いろな「ごみ」

 

つまり自分のこだわりや執着、

 

心の傷やブロックを取り除く、癒す、浄化して

 

クリアにすることが必要です。

 

 

「自分」「個人として他と区別している心」

 

「個」として存在している

 

「自分」は居るのだ

 

「他人」は居るのがという

 

普段生きているときにそう信じ切っている「幻想」。

 

 

実は自分も他人も個として存在しているのではなく、

 

元をたどればもともと「全体意識」「仏」が

 

個という形を通して表現しているだけのもの。

 

これを見破って実感として落とし込めたとき

 

個が無くなって全体となる。

 

 

個としての認識を取り除けばだれもが「仏」であるということです。

 

 

わたしの考え、

 

わたしの気持ち、

 

わたしの体・・・・

 

 

このことも言葉では表現しきれませんが、

 

パラドックスになっていて、

 

個が無くなり

 

全体になったときに

 

仏になったときに

 

その人の人生が

 

その人の「個」としての個性を生かす人生が

 

本当の意味で始まるし、

 

個としての自覚が無くならず

 

とらわれたままであっても

 

それはそれで

 

完璧であって

 

どちらも全体意識の現れであることに変わりはないのです。

 

 

 

本当にパラドックスです。

 

言葉で表現するのは難しいですね。

 

言葉が存在すること自体が

 

自分と他を分けているということ、

 

自分と他を区別して認識するために

 

言葉があるということですから、

 

言葉では絶対に表現しきれない世界です。

 

インスピレーション一気にばーーっと書きましたので

読みにくかったらすみません。 

 

 

 
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