聴くと辛くなるのは、人がモノとして扱われるような残虐な話

聴けない話。カウンセラーの限界

ケア提供者として活動して4年近く。

よく、他人の辛い話と聴くと自分も辛くならないかと

尋ねられるのですが、

今のところ引きずって日常生活に影響するということはありません。

しかし、私にも聴くと辛くなる話があるかもしれないと思い、

自分の心を見つめてみました。

人が人としてではなく、モノとして扱われてた体験などが辛くなる

このような内容の出来事は

日常にもあり、人が人を傷つける事件や戦争などもその一つです。

 

いろいろと具体的に書くと辛くなってしまうので控えておきますが

そのような事件のことをテレビのニュースで知ったり、、

また映画で観たりということも

とても辛くなってしまい、

数日間は寝込んだり

目の前のことが手につかなくなったりということもありました。

 

遺族会などに来られた方で

そのように自分をモノ扱いされた体験のお話を聴いたとしても、

今、その方が自分自身と大切な「人」として

自分のことを肯定するお気持ちがあるときは

私自身もその方の中の

癒しの力を感じることができるので

辛くならない、引きずらないのだと思います。

 

もし、お話の相手が

自分で自分に心の奥底から絶望してしまっている場合、

もしかすると辛くなって引きずるのかもしれません。

 

グリーフケアの現場では

内容としてはとても辛い話が多いのですが、

話される方の中から

「この人は大丈夫。辛い体験があっても、そこから優しさも感じるし、きっと癒されていく。」

という希望を感じ、その方の持っている力に対して信頼をしているので

絶望的なものを感じて後で引きずることはありません。

 

今後はどんな話が出るかによって

どうなるのかはわからないのですが、

現時点では人がいのちある人としてではなく、

使い捨てのモノのように扱われる内容が聴いていて辛くなり、ひきずてしまう話だと思います。

残虐極まりない、もう再起不能ではないかと思えるほどの絶望を感じるような。

 

そんな絶望を感じるような話であっても

私自身がその人の持っている「回復する力」を信じることができれば

おそらく辛くはならないんだろうなと思います。

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