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スピリチュアルケア提供者のビリーフの存在に気づいていくプロセス

スピリチュアルケア。ビリーフ。臨床宗教師。

ビリーフって一体何?それは無意識に抱えている色眼鏡、フィルターのこと。

 

 

大切な人との死別を体験し、悲嘆に暮れている人、

大切な家族の余命を知らされた一、あるいはその本人、

虐待や暴行を受けて心に大きな傷を負い、生きていくこと自体が困難な人、

過去に犯した犯罪によって死刑宣告された人、

自分には価値がないと思い、死にたいという思いを抱いている人。

このような危機的状況にいる方々、スピリチュアルクライシス、スピリチュアルペインと呼ばれる

たましいの苦悩を抱えている人の話を聴かせていただくのが

欧米でいうチャプレンです。

 

すなわちスピリチュアルケアをする人ですが、

大きな苦悩を抱えた人の話を、自分の思い込みや間違った判断を入れずに

ありのまま聴くことがもっとも重要です。

大きな苦悩を体験した人、危機的状況にある人は自然と心を深く掘り下げている

このような人々は、心を深く掘り下げざるを得ないという状況にあります。

考えたくなくても、逃れようのない苦悩に直面しているわけで、

スピリチュアルケア提供者がそばにおらずとも、自らの心を見つめることや、

家族や友人との対話を通して、

新たな気づきや、自分を支えてくれる新たな考えを見つけ出すかもしれません。

苦悩や危機的状況もまた、新たな気づきや支えを見出し、その人の人格的変容や成長を促すこともとても多いのです。

これはPTG(post traumatic grouth)心的外傷後成長とも言われています。

その人自身の力、周囲のサポートなどの資源の有無にもよりますが、専門家に頼らずとも

考え方や物の見方ががらりと変わり、変容が起こる場合もあれば

人によっては専門家の支えが必要な場合もあります。

そのような人格変容の可能性を大きな苦悩や悲嘆は秘めているのですが、

それはいかにその人が心の深いところを降りて行ったかということ、

辛くとも自分自身を見つめたかということでもあります。

みんながみんなそうではないかもしれませんが、

苦悩や悲嘆、喪失などの危機的状況にある人というのは

心を深く深く掘り下げざるを得ないということが多いです。

「なんで私の身にこんなひどいことが起こったのか。」

「なにも悪いことしてないのに理不尽だ。」

「どうしてあんなに良い人が被害に遭わなければならないのか。神も仏もいない。」

「あの人を失った今、もう生きる理由はない。」

「どっちを選択しても救われない。」

生きていると色々なことに直面します。時として、それは生きる力を奪うような生命力を根こそぎ持って行かれるような体験です。

そんな状況の方に対応するためにはこちら側も自分を掘り下げていないと、難しいでしょう。

ビリーフを自覚化する訓練は、まさに自分を見つめることでもあり、

辛い思いもします。

しかし「自分は自分のことは見つめたくない」とそのプロセスを避けて

自分のことは見ないのに

悲嘆にある人、苦悩にある人の話を聴きたいというのはあまりに失礼です。

「今ここ」で心に素直になって対応すること。「ビリーフに巻き込まれた状態」はそれを妨げている

 

スピリチュアルケア提供者は

感性を研ぎ澄ませて言葉以外の態度や表情などにも心を配る必要があるのですが、

この「ありのまま話を聴く」ということを妨げるものがあります。

それが、聴き手が抱えている「ビリーフ」です。

ビリーフというのは、「こうであるに違いない」としている思い込みだったり、

その人の信念だったり、偏見や価値観などのことを言います。

ビリーフにもさまざまなものがあり、自分を勇気づけるもの(エンパワービリーフ)、

自分を制限するもの(リミッティングビリーフ)などと言うこともあります。

誰もが生きていく上で抱えているものではありますが、

それに巻き込まれてしまい、色眼鏡をかけた状態で話を聴くと、まずいということになります。

ですから、スピリチュアルケアをする聴き手は、

自分がどんなビリーフを抱えていて、他者とのコミュニケーションにおいてどのような傾向があるのかということを自覚しておく必要があります。

こちらのページ「スピリチュアルケア・グリーフケア・臨床宗教師。ケア提供者の訓練の道筋「資質の向上」編」でも述べましたが

以下のプロセスを繰り返すことでビリーフから自由になっていきます。

1.抱えているビリーフに気づく

2.ビリーフを解放する

3.1と2を繰り返し、自分という枠から徐々自由になっていく

自分を縛っているビリーフから解放されることで

より生きやすく、自由になっていきます。

スピリチュアルケアやグリーフケア、カウンセリングといった相談は

相談者側が自らのビリーフから解放され、癒され、自由になっていくプロセスそのものであり、

あるいは苦悩を抱えたまま生きていく場合であってもありのままのその姿を支えること、

目の前にいる人、そのままのその人を支えることに他ならないのですが、

カウンセラーやケア提供者側は、自分のビリーフに対してまず同じことをする必要があります。

いかに自分を深く掘り下げ、ビリーフを自覚したかということが

(あるビリーフは解放され、あるビリーフは解放できないまま持っているかもしれませんが、)

相談者側、クライアント側の気づきや癒し、ビリーフの解放度合いに影響します。

 

1.抱えているビリーフに気づく

ビリーフに気づく3つの方法

1.内容や事象から導く。自分の心がざわつく事柄や、引きずってしまうこと

2.コミュニケーションパターンから導く今ここに集中すること、素直に他者とやりとりすることを妨げているビリーフ

3.宗教的修行から導く。瞑想、霊操、ヨガ、禅、チャクラの開発など。

まずは自分がどんなビリーフ、どんな思い込みを心の中に持っているのか知る必要があります。

その手段として上記に挙げた1と2の方法があります。3も効果がありますが、スピリチュアルケア研修ではほとんど扱いませんので、必要な方は独自に取り組まないといけません。

1と2の手段として、研修で用いられている方法が

1は生育歴、講話実習を書く作業

事前準備として、現在の自分に影響を与えているであろう過去の出来事などを書くのですが、

特に苦悩や悲嘆の体験を書く人が多いかと思います。

その苦難に自分がどのように向き合い、その体験からどのようなことを得たのか

どのようなことがまだ心残りで今でも涙が出るのかなど。

今の自分に影響を与えている内容や、事象というのは

それが人格的な深みや豊かな感情として、今生きているものもあれば

逆に「こんな内容の話はどうしても聴けない。聴くとしんどくて寝込んでしまう」

などのように、他者の話であっても自分のことのように感じ、

一体だれが辛いのか、相手の辛さに共感しているのか自分の過去の傷がうずいているのか

わからなくなることがあります。

そういったことを区別できるようになるため、また自分の限界を知り、自己犠牲的にならないためにも

生育歴や講話実習などをまずは「書く」作業を通して内省するのです。

実際に書き始めると、

書くつもりがなかったことまで書いてしまったり、

記憶に埋もれていたことを思い出して気づきがあったり、

書こうと思っていたことが予想以上に辛くて書けなかったりということが起きてきます。

書くという作業だけでも、心を深く見つめることになり、一人で行う作業ですがセラピー効果につながる場合も多いです。

※心に引っかかってそのことばかり考えてしまう内容の中に、ビリーフにつながるカギがあります。

生育歴や講話実習などはあくまで「ツール」です。ある映画やドラマを見て、小説を読んで、自分のことのようにしんどくなった、あるいは誰かの話を聴いて、必要以上に背負い込んでしまったなど自身のビリーフに気づく事柄は周りにあふれています。

らくになるから、自分を勇気づけたいから、何度も同じ歌ばかり聴く、同じメッセージばかり聴くなどという行為も、その動機を探るとビリーフに行きつきます。

 

2は生育歴、講話実習、会話記録検討のグループワーク

こちらは、作成した生育歴などを用いたグループワークでのコミュニケーションパターンから

ビリーフに気づきましょうというものです。

実は普段のやり取りからも気づくことができるのですが、

グループワークはより濃縮された形でビリーフが浮き彫りになります。

キーワードは「今ここ」です。

「今ここ」で自分の気持ちに正直に、素直に気持ちを伝えることができるかどうか、

伝え方に何らかの「違和感」を感じた場合その違和感を探っていくと

その元となったビリーフの存在に気づくというものです。

例えば、口では「大丈夫」と言っているのに

「どうやら全然大丈夫じゃないみたい。辛く苦しい気持ちが伝わってくるな」など

言葉の奥にあるメッセージを感じることを通して自他のビリーフに気が付いていきます。

私たちは実は普段の生活も「今ここ」に正直に、自分の気持ちを素直に相手に伝えることができれば

自分を抑える必要あ我慢する必要はないので、相手とのやり取りがらくに生きていけるのですが

育ってきた中で「嫌われたらどうしよう」とか「相手を傷つけてはいけない」とか

「言いたいことは先に言わないと相手より優位に立てない」とか

そんなビリーフを抱えていることがあります。

ですので「今ここ」で正直に関わることを妨げていて

本当は断りたくてもニコニコと従ってしまったり、

自分のことを分かってほしいという思いがあまりに強い場合に攻撃的になってしまったりということが起こります。

今ここで正直にやりとりするということは

相手にも配慮しつつ、自分の気持ちをごまかさないということになります。

グループワークでは「感情」に焦点を当てますが、深まってくると

今ここで感じていることと言葉とのギャップが「違和感」として感じられるようになります。

相手が抱いているであろう感情がまるで自分の感情のように感じます。

そして自分の抱いている感情も、相手に伝わるということが起きます。

ですので、言葉の上では取り繕ったとしてもうそはうそだと伝わります

※生育歴、講話実習、会話記録はあくまでツールです。それぞれの詳しい説明は省きます。

具体的なことを知りたい方は以下の本をご覧ください。

スピリチュアルケアを語る〈第3集〉臨床的教育法の試み

2.ビリーフを解放する

生きづらさの元になっているビリーフを解放する。つまり心の傷や制限を解放、癒すということです。

グループワークではケアされることを通してケアすることを学ぶ場でもあります。

しかし自分のセラピーが目的ということではありません。

生育歴など自分のことを開示はしますが、それはあくまでツールです。

ケアしケアされることを学ぶ場であり、結果的にセラピー的な効果が生まれるのですが、

それはあくまで副産物ということをSVの先生がおっしゃっていました。

解放される際に何が起こっているかというと、心の傷や痛み、トラウマやブロックといった感情を

自分で再体験して自ら心の叫びを受け止め、たましいの奥から「ああ、そうだったのか」という気づきが沸き上がってきます。

そのことを「解放」「気づき」「癒し」と呼ぶわけですが、頭での理解ではなく、

本当にそれが感情の揺れを伴ってやってくるもの、まさに変容です。

自分ひとりで内省などを通してそれが起こる場合と

他者の助けを借りてそれが起こる場合があります。

他者の助けを借りたとしても結局その解放を体験し、変容が起こるのは

自分自身が受け止めたからということなので、

どちらの場合も結局は自分自身の体験ということになります。

生育歴を書きながらある程度解放が起こることがあります。

またグループワークで癒される体験をすることがあります。

グループワークという特殊な場は、日常よりもより自分自身が濃縮された形で反映されます。

生育歴や講話実習など「内容」「事象」から見えてくるビリーフ、

コミュニケーションのパターンから見えてくるビリーフの両方へのアプローチが可能でもあります。

自分でも気が付かなかったビリーフを指摘され、

その原因を探るうちに忘れていた子どもの頃の満たされなかった感情が再現されたりと

不思議なことが起こるのがグループワークです。

「今ここ」に集中するプロセスは、集団の力を借りるとよりパワフルに働くのでしょう。

たましいレベルで抱えているよし本質的な部分現れるようです。

自覚している、自覚していないに関わらず

「今ここ」でのやりとりを妨げているもの、

未完結な感情の問題、

親子関係、家族関係を通して知らず知らず身に着けてしまったパターンなどが

セッションで出てきます。

未完結の感情が誰かの言葉を通して浮かび上がったり、

グループワークは自分以外の人間とのやりとりにも関わらず、

そこに自分の内面が現れるのです。

自分の抱えている問題からは逃れられないといった感じでしょうか。

(グループワークは言いたくないことがあれば言わないという選択ができます。)

セッション中は普段よりも感情を色濃く感じます。

喜びや愛おしさ、深い悲しみなど、「こんなに嬉しかったんだ」「こんなに辛かったんだ」という風に

普段であればちょっと感情が揺れるくらいの感覚なのが

たましいが打ち震えるような感動を覚えます。

未完結な問題を、ありのまま受け止めてくれるのも仲間です。

仲間に受け止めてもらう、

話をじっくりと待ってもらえる、

このような体験を通して

自分の心を自分で受け止めることができるのです。

3.1と2を繰り返し、自分という枠から徐々自由になっていく

ビリーフに気づき、それを解放するということの繰り返しが、

より自由な状態へ自分を導いてくれます。

人間の存在というのは

エゴや自我、まさにビリーフと呼ばれているものから自由になっていくにつれ

神仏に近づいていくようです。

宗教的修行もそれが目的であり、悟りや覚醒とも呼ばれています。

そのような状態になると自分を縛っているビリーフからは全く自由ですね。

人間というのは本質的にはそのような神仏であり、宇宙そのものでもあるのでしょうが、

ビリーフと呼ばれる心の傷やこだわり、偏見、価値観や執着、煩悩といったものに

支配され、心をコントロールされている状態が「人間をやっている」ということなのかもしれません。

グループワークのセッションが深まってくると、

ワンネスと呼ばれる状態を体験したり、シンクロニシティを感じることが増えてきます。

(実際に小西達也先生というチャプレンの先生が「一に目覚める」という言葉でおっしゃっているのをネットで読んだことがあります。)

セッションが深まるにつれ「人間をやっている」というビリーフも薄まるのだと思います。

スピリチュアルケアのグループワークと瞑想や変性意識状態など意識状態が似ていますが

3次元よりも深いレベルの次元にアクセスしているのだと思います。

 

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