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スピリチュアルケア・グリーフケア。話を聴く仕事はその人の鏡になるということ

スピリチュアルケア。相手を映す鏡になる。

相手の世界観・価値観の中に入っていく

カウンセラーをはじめ、人の話を聴く仕事は今やさまざまなものがあります。

 私が関わっているグリーフケア、スピリチュアルケアの分野では特に「相手の鏡になること」が求められます。

グリーフケア、スピリチュアルケアでは苦悩に対する「答え」をこちらが教えるということはありません。

 クライアント自身の中に、本人は気が付かなくとも心の奥にすでに「答え」や「気づき」を持っているので、それをその人自身が見つけ出すプロセスに寄り添う、答えがわからないまま苦しんでいる苦しみそのものに寄り添うというものです。

相手は「鏡」に映し出される自分自身から気づきを得ます。

 

「自分の心」=「世界」という仏教の「唯識」に近い概念がありますが、これは私自身が体験をして、感じた感覚でもあります。

 自分の心のありようが外の世界に現れている・・・。

考えというより、事実そのもの、それが真実なのだと思うのですが、グリーフケア、スピリチュアルケア提供者の提供するケアのあり方は似ています。

自分の心のありようが世界に現れているというのは一体どういうことでしょうか。

ありふれた日常の生活・仕事・友人関係でのやりとりも心の現われです。

また非日常な入院や喪失体験といった心を大きく揺さぶられるような出来事も心の現われ。

ありとあらゆる現象・出来事を通してどのような心の動きがあったか・何に平安を感じたり、どういったことが平気で、何にとらわれてしまうのか。

ありとあらゆる現象からの心の反応が、自分自身の映し出し。

 

苦悩にさいなまれた際、どうすればいいのかともがき苦しみ、自分一人では対処できなくなった時、

ようやくケア提供者といった専門家に相談するといったことが起こります。

そのような時は「救われたい」「らくになりたい」「助けてほしい」「誰かを頼りたい」といった自分と出会うのではないかということ。

そしてまた、どうしてそのような気持ちになるかというと、自分自身のことを大切に思うからこそだと。

 

表面上の意識では「私なんて」と感じているかもしれませんし、

そのような自覚はないかもしれません。

しかし、いずれにしろ自分という存在を潜在的には大切に思っているからこそ、誰かから大切にされたい、存在そのものを受け入れてほしいという心の叫びとなって現れるのではないでしょうか。

 

 クライアントが苦しみや悲しみ、生きづらさに悶えていたとしても、すでに心の奥底、魂の奥底に答えを持っています。

通常の意識の上ではとても深い苦しみ、悲しみにさいなまれていたとしても。

心=世界ということを述べましたが、クライアントの世界の中、クライアントの心の中で、その人の最も深い部分、魂そのものが抱えているものをありのままに映し出すのがケア提供者です。

 

それが「鏡になる」ということです。

ですので、クライアントの心をどれだけ深く映し出せるかは、ケア提供者側もどれだけ自身の心の奥深くまで到達しているかということが、関係してきます。

 

ケア提供者自身がどれだけ深く心を掘り下げたかということに比例して、映せるものの深さも変わります。

ケア提供者の反応や言動というのはクライアントの「心の中の出来事の一部」になります。

 

クライアント自身がすでに一つの世界、一つの宇宙を生きています。

 すでに答えはその人の中にあり、魂の深いところでは神様、仏様、宇宙意識、サムシンググレートなどと呼ばれる存在とつながっていて全て知っているのですが、表面上の人間意識でははわからないから苦しむのです。

  

ケア提供者がそのクライアントの心の一部、世界の一部となり、魂の深い部分を映し出し、対話することによってクライアント本人が「自分の本当の姿」をケア提供者の反応に見ることになり、気づきや癒しに繋がります。

 

ケア提供者は「癒し」や「答え」「気づき」を与えることは実はできません

  

「提供者」というとケアを与えているイメージですが、そうではなく、すべてのプロセスはクライアント自身の心の中の出来事です。

 

クライアントの中にすでに神様仏様とつながっている魂があり、すべての気づき、癒しがあり、それを鏡になって引き出すということです。

ケア提供者が何かをやっているというより、クライアントの心にすでに気づきや癒しの芽が出始めているところにケア提供者との面談なりセッションなりが取り行われるということです。

 

ですので、ケア提供者が何かをコントロールできるわけではありません。

クライアントがどこまで深い気づきや癒しを得られるのかは、クライアント自身のたましいの問題であり、クライアントのたましいが自分自身にそれを許した時に初めて、ケア提供者との対話で、深い気づきや癒しが得られます。

 

外から見る形としてはケア提供者の反応によって癒されたと見えるかもしれませんが、実はクライアントの側にすでに気づきの芽があったからこそ起こった現象。

一言でいうと「タイミングが合った」ということになります。

ですので、ケア提供者の反応というのは、クライアントが実は決めているというか、鏡そのものであり、コントロールしているようでしていないということ。

そしてクライアント側に癒しが起こる時は実はケア提供者側にも癒しが起こっています。

ケア提供者は相手の鏡になっていると同時に、自分の中にある何かを相手が抱えていて、それが癒されるということは、自分の内面も同時に癒されるということなのです。

双方がケアし、ケアされる体験となるのです。

読んでくださりありがとうございました。

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