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才能の芽を摘まれたままにしてないですか?足らないところを見るのか、充足を見るのか

人からダメ出しをされてへこむのは、自分が自分にダメ出しをしているから

外の世界は自分の心が反映したものということはこのブログでも何度かお伝えしています。

このことは伝統的な宗教の世界でも語られていることでもあります。

仏教の「唯識」はまさにそれですね。

以下は横山紘一先生の本「唯識に生きる」。

人からダメ出しをされる、欠点を指摘される、ここをもっとこういう風に直せと注意される・・・。

つまり「あなたはこういうところが足りてないんだよ。もっと変わらないといけないよ。」と言われて真に受けるかどうか

 

自分に対して自信がある場合は指摘されても気にせず平気でいられます。

「それは私の問題ではなく、言った相手側が抱える問題だ」と。

 

しかし、自分でもどこか自信がなかったり、自分のことを「ダメだ」「足らない」と思っていると、人から言われたことが胸に突き刺さります。

人に指摘されたことはあくまできっかけであって、それをどう受け止めるかは自分自身。

 

本当の意味で自分にダメ出しをしているのは、他ならない自分

他人ではなく自分が自分に言っている

ここがダメだ、あそこがダメだ、もっと頑張って変わらなきゃと。

 

このような認識を自分に対して抱いていると、どこか一つ直したとしても、また別の部分が気になったり、実際に人からまた指摘されたりして、直しても直しても次から次へと「改善するべき点」が見つかるループにはまってしまいます

 

一つ直して「よくやった!」と心から満足ができ、その「充足」の状態が続けば、次第にそれが自信にもなります。

心の中が自信で満たされるにつれ、他者から欠点を言われたり否定されるということも少なくなっていきます。

 

しかし、このように自信を取り戻す人はむしろ稀。

人から欠点を指摘されてそれを気にし、「直そう」と思っている時点で「自分は足らないし、自信がない」という状態なわけです。

 

才能の芽を摘まれたままにしてないですか?

 

今初めてそうなったのではなく、幼少期からそのような育てられ方をしてきて、「足らないところを直すよう」な行動ばかり続けてきたのではないですか?

 

人から何か言われると必要以上に重く受け止め、「自分が悪い」「自分のこういうところがダメ」と心が勝手に自動反応をしてしまう

親や社会の価値観に合うよう、人から受け入れられるように、ああしなさいこうしなあさいと育てられます。

本来の魅力や才能は押さえつけられ、もっと別の能力を伸ばしなさいと。

 

何年もこのように育てられると、生まれながらにして備わっていた自分本来の才能や能力、個性は置き去りになってしまいます。

そんな素敵なものを自分が持っているという認識すら薄れてしまい、気が付いたら自分の感性を感じるということもなく、社会の価値観に合わせるのが当たり前

他人のご機嫌を取って自分の機嫌を取るのは後回し、という人生を送っている・・・・。

 

自分がどう感じているかもわからない、何が好きで、何をしているときが幸せなのかもわからない。

なんとなく、嬉しい、悲しい、という感情を抱くことはあっても、いつもどこかぼんやりしていて、情熱を感じることなどほとんどない。

 

やらなければならないことに追われ、心を見つめる余裕もないし、そんな発想すらない。

休みの日はただなんとなく過ごす。

疲れを癒すだけで精一杯。

 

テレビを見るにしても、見たい番組というより、「つけたらこれが流れていたから見る」というような消極的、受け身な状態。

仕事をするのはただただ生活のため、お金のため、将来に対する不安を無くすため。

 

仕事をしていて嬉しいのは給料日と休日のみ

これでは仕事をしていて嬉しいのではなく、仕事をしていない状態が嬉しいということになる。

 

「足らない」という欠乏からの行動は、このように生きる力を奪っていきます

 

本来、人間は誰でもその人にしかない魅力、個性、才能、能力を備えています。

人生の前半は「足らない」「欠乏」をどうにかして克服するのが、人間として生きていく上での「プログラム」かもしれません。

 

そのような努力もまた、成長には必要なものでしょう。

 

しかし、ある一定の時期を過ぎると「欠乏」を埋めようとする行動自体がとてもしんどく、息苦しいものになってきます

 

心の奥底ではもうそろそろ本来の自分を生きる時期なのではないかという「気づき」がうずいているのでしょうか。

「喜び」からの行動、「充足」からの行動、自分がやりたいからやるという行動を起こしていってもいいのではないか

 

若いころの「足らない」という意識からの行動で、得たものはちゃんと自分の身になっている。

今度はそれを「知識」として「スキル」として「道具」として、生かす時期に来たんじゃないのだろうか。

あなた自身の喜びのために。

あなたから受け取りたい他者のために。

 

「足らない」は思い込み。

 

「十分にあるから生かしたい」に変わりたい。けど急には難しい!?

どうすれば「足りている」「十分にある」「あふれるほどあるから他者にも分けたい」と内面が変化するのでしょうか?

「足らない」という思い込みを根っこから引き抜くには?

 

続きはまた別の機会に。

読んでくださりありがとうございました。

 

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