他人を通して自分が現れる・・・と認識が進むと落とし穴も現れる

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瞑想や内観を通して気づきが進むと、

他人の言動を通して自分の心が現れているのだ、

自分という存在はこの身体に限定されるのではなく、

実は全体に満ちていて、

目の前に現れているのは

全部自分なのだという認識が深まってくる。

 

 

他人の言動や降りかかる出来事によって、

気づくことがたくさんあるけれど、

全部が自分といっても、

それをすべて大事に受け取る、

 

すべてがメッセージだから

他人の言うことをきく、

 

他人の言動が自分にとって正しいという意味ではなく、

もちろん、深いメッセージが込められていることもありますが、

 

どうでもいいようなこと、

ごみばこに捨てていいようなこともたくさんです。

 

ほとんどがごみばこいきかもしれません。

 

私たちは心の中にいっぱいごみを抱えているので、

大したことじゃない心のごみが

他人の言動を通して現れているということも多いのです。

 

 

この、外の世界は自分の心と同じなのだという気づきは

あるときは本当にそう思えますし、

あるときは全く実感がありません。

 

それまでにほとんどの時間を

「自分と他人は別の存在」

 

として過ごしているわけで、

そう簡単に気づきが定着することはないのです。

 

 

いくら頭でわかってはいても、

感情面ではやはり他人と自分は別だという実感を私も持っていますし、

気づきがんでいるときもあって

 

そういうときはラクなのですが、

心というものは陰と陽を含んでいますので、

 

気づきが深まっていい感じになっていても

ちょっと気を抜くと

自分と他人を比べて

 

不満に思ったり、

嫉妬をしたり

 

腹が立ったり、

期待はずれだと思ったりしてしまいます。

 

特に気づきが進むと

「魔」といいますか

 

自分と他人は別の存在なんだという考えが

一気に湧き出てきて、

 

そのせいで「あの人はけしからん!」

「絶対に許さない!」

「地獄に落ちろ!」

 

という風にまた苦しみの世界に逆もどりしてしまいます。

 

そこで取り乱したり、

他人を攻撃するような変な行動に走ったり、

場合によっては事件や犯罪を犯したりと

「落とし穴」にはまるのです。

 

すべてが自分なのに、

自分だということに気づいていくプロセスにいたのに、

すっかりそんなことは忘れてしまい。

罠にはまる。

 

「気づき」が進んで本当に周りの存在と一体化するのが

「悟り」かもしれませんが、

たぶんその一線を越えると「なんだそういうことだったのか」

と拍子抜けするようなことなのでしょう。

 

その一線を越えさせないようにするのが

「魔」と呼ばれるものです。

 

心の奥底、超える直前にはそうさせないよう「魔」という

とても怖いものが現れるそうです。

 

 

なぜ今回このような記事を書いているかというと

 

罠にはまってしまった当時者だからです・・・!

 

 

せっかく、結構ある程度のところまで

瞑想で気づきを得ていい感じだったのに

 

久々にお酒を飲んで

 

気を抜いたばかりに

 

自分と他人を比べ

 

大暴れをしたのでした。

 

ああ、またやってしまった・・・。

 

というかこんなに派手に。

こんなものすごいものを抱えていたのか

 

わたしの心に抱えているものが

他人を通して現れているだけ、

全部自分なのに・・・。

 

 

心の奥底には

魔物がいるということも身をもって知りました。

 

このようなことは内観や瞑想で

潜在意識、深層心理を深く探求する

プロセスで起こりうるものです。

 

また近々このことについて体験を書きます。

 

 

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