好きなこと、やりたいことが明確なのにある思考がそれに制限をかけている

若いころはこんな思い込みを抱えていました。

  • やりたくないことを我慢してやり続け、自分の力を諦めて生きていくのが正しい生き方
  • 本当はいやなことでも情熱のあるようなフリをして取り繕って生きていくのが幸せ
  • 他人が自分を「こんな人」と判断するそのイメージに合わせないといけない気になってしまう

好きなこと、やりたいこと、自分が生き生きできて他者貢献にもなることがわかっている状態にも関わらず、なぜかスムーズに行きづらい、途中で邪魔が入ったりするという状況に見舞われています。

やりたいことがこんなに明確にわかっているのになんでなかなか前に進まないのか

今の困った状況の一つに、好きなことではまだ安定した収入を得られていないということがまずあります。

しかし安定はしていないものの少しはその分野関連の収入はあるので今後の希望は感じています。ただ歩みが遅い!

好きなことでお金をもらってはいけないというメンタルブロックと、自分らしさを出してはいけない好きなことをしてはいけないというメンタルブロックがまだ影響しているようです。

これらの制限は昔に比べたらずいぶんと軽くはなりました。

よくよく自分を振り返ってみると結構好きなことをしています。

(考えてみたらブログを書き続けるという行為も、「書きたいけどやることが多くて続かない」「書きたいけど他の人にどう思われるか怖くて書けない」という人が多いなか、そんなハードルあってもそれ以上に書きたいという理由で続けています。

このブログは2012年からやっていて(2017年に全部消えていますが)その前は2005年の年末から英語学習のブログを書いていたということもあり、ブログで発信することに関してはハードルは低めでした。)

ブロックがあるといっても、あとほんのちょっとなのです。そのほんのちょっとが鋭い針のように突き刺さっているのです。

また、以前は心の傷や喪失が原因の悲嘆など、深刻な悩み苦しみを抱えていた時期が長く、そのため自己受容や自己肯定からは程遠い状態でした。

今はそのような深刻な苦しみは抱えておらず、さまざまな気づき、また訓練から自己受容の感覚も深まりました

そのため自分のことがよくわかるようになり、好きなこと、やりたいことが明確になり、自分が自分でいられるライフワークが何なのかもわかっている状態になったのです。だからこそ、「違うこと」をやらざるを得なかったり、自分の資質を生かさない仕事などは本当にしんどく感じます。

このしんどさは以前よりも深く自分を知ったからこそ感じるしんどさです。

数年前だったら同じことをやっていても今ほど苦痛には感じなかったでしょう。

社会や世間の価値観を「それでいい」「それが当たり前」と思っている状態では「なんとなくいや」というぼんやりした程度には感じても、どうにかやり過ごせてしまえます。

自分に向き合わざるを得ないスピリチュアルケアの訓練やセラピー、瞑想。

自分というものがどんどんクリアになっていき、この私で生きていっていいんだ、自分を表現していいんだということがわかってきます

自己受容が深まると同時に自分を生きさせないように働く「制限」も立ち現れてきます。

何が現れるかは人によって違うのでしょうが、それまで自分にウソをついてきたことや見ないようにしてきたことが現れるのでしょう。

心が「洗われ」るとそれまで隠れていたものが「露わ」に「現れ」ます。そしてそれもまた「洗われる」。

一体何が自分に制限をかけているのか。自由にすることを妨げているのは何なのか。

幼少期から長年無意識レベルで抱えていたビリーフで割と最近まで抱えていたものを言語化してみました。

  • 自分の意見や自分の感覚は間違っていて、周りの人間の言うことが正しい
  • 幸せになってはいけない。
  • 本音を言わずに我慢して、世間一般の価値観に合わせて生きていくことが大事
  • 生き生きとしてはいけない
  • 好きなように自由にふるまってはいけない
  • やりたくないことを我慢してやり続け、自分の力を諦めて生きていくのが正しい生き方
  • 本当はいやなのに情熱のあるようなフリをして取り繕って生きていくのが幸せ

こういう風な価値観を潜在意識に植え付けられて生きてきました。

いやなこと、自分を生かさないことを我慢してやり続け、本心では不幸で満たされないのに他人からは幸せそうに見えるように生きるのが、求められる生き方。

自分には合っていない価値観を生きることが人生。

不幸な人生を送ることを求められている。

自分の得意なことを表現してはいけないという制限。

他人が自分を「こんな人」と判断するそのイメージに合わせないといけないような気になってしまう。

「目立たず取り立てて才能もない子」のふりをしないといけないという親からの無言のメッセージ。

(しかしこれは裏を返せば自分の子の能力をそれなりに評価しているからこそ、発せられるということがわかる。本当に馬鹿だったら「ふり」をする必要がないので)

4回目のpscc(スピリチュアルケアの研修)の際はこの制限がかなり深い部分で解放されました。

「私には力があるのになんで力のないふりせなあかんねん!」

「親自身自分に自信がないから私のことを本当は賢いと認めてるのに、それを他人には隠そうとする。もっと堂々としたらええやろ!堂々とせえ!」

 

私の家庭の場合両親とも他人の目を気にし、それが生きる基準になっている100パーセント他人軸で生きる人間同士。

目の前の子どもの気持ちよりも、社会でどうなのか、他人はどう思うのかということを優先する。

いつもどこかの誰かの意見を持ち出し、〇〇さんがどうのこうの言ってるからと。

「自分の考えはないのか」と子どもながらに呆れていました。

他人に嫌われるのが怖くて、我が子のことを心の奥では認めていても大したことはないと否定をする。

そして「足らないところ」を指摘する。

これは親自身が「もっとこうあるべき」という考えに縛られていて、「もっと〇〇しないといけない」と常に思っている状態なため、自分にも子どもにも「ここが足らない」とダメ出しをするというわけです。

私にしてみたら、出来ている部分も「それは出すな」と否定され、出来ていない部分は「足らない」と否定されるのです。

得意なこと、秀でていることというのは持っている資質全体のほんの少し。勉強にしろ運動にしろ苦手なことの方が多いのです。

このほんの少しの出来ている部分を「出すな」というメッセージを発し、子ども時代は出してはいけないことのように自分でも思っていました。

保育園から小学校低学年までのことですが、可愛い女の子やお姫様の絵を描くのが得意でしたが、人前では描けませんでした。わざと地味な女の子の絵を描いていました。周りの子が私に抱くかわいい女の子の絵を描けない子というイメージをそのまま装ったのと、好きなことを表現してはいけないという制限からです。

髪の毛を伸ばすのも禁止されていて、他の子は自由に自分の髪形を決められるのに対し、私は自分の体の一部すら自由にできないという体験をしてきました。

結果他の子がいとも簡単にできることを私は自由にできないというブロックにもつながりました。

2018年はこの制限を解放したいという思いから、ボディサイコセラピーを複数受けるなど自分の癒しを進めた年でもありました。

4度目のpscc(スピリチュアルケアの1週間の研修)が終わり、好きなことや得意なことを「私はできる」と外に向かって表現できるようになりました。強みを強みだと自分で認め、人にアピールすることへの罪悪感もずいぶんと薄らぎました。

今現在は自分の心は「GO」サイン出している状態ですが、しかしながら外の反対勢力に邪魔されている、そんな感じです。

本当の自分に近づくとそれを邪魔する力も強くなる

2019年前半は自分の予想していた以上に自己受容が進みました。

周りの世界は自分の心の映し出しということが改めてわかるのですが、自己受容が進むと他者から受け入れられる、他者から思わぬ形で認められるということが起こります。

そしてこれは人によるのかもしれませんが、その喜びと匹敵するような試練もまた立ち現れるのですね。

喜びや幸せの感情が深かった分、自分の中の解決されてなかった課題がまたもやあぶりだされ、心が翻弄され、いろいろなことがぐちゃぐちゃになりました。

これでよかったという結果になったものもありますし、グリーフケアの現場にはしばらくいけなくなってしまったので(土日の活動が無理になってしまった)、ライフワークを喪失し、体験したことのないグリーフを感じる日々も過ごしています。

結構厳しい状況に今はいますが、自分に自信を取り戻したので、これをいかに維持してたましいの目的を諦めずに、自分の人生を生きていくかです。

自分自身で生きていい。

幸せになっていい。

自分の喜ぶことをやっていい。

この記事を途中まで書いた次の日ふと部屋に入るとテレビから心に突き刺さるメッセージが。

それはアンパンマンの歌詞でした。

なにがきみのしあわせ

なにをしてよろこぶ

わからないままおわる

そんなのはいやだ

 

そう。そう思っていいよね。

  • やりたくないことを我慢してやり続け、自分の力を諦めて生きていくのが正しい生き方
  • 本当はいやなことでも情熱のあるようなフリをして取り繕って生きていくのが幸せ
  • 他人が自分を「こんな人」と判断するそのイメージに合わせないといけない気になってしまう

 

こういう思い込みが自分の中にはまだ少しあって、外からも同じような圧力を感じることがある。

「自分自身を生きていはいけない」と。

そしてそれはとても具体的にああしろこうしろ、社会はどうだからもっとこんな風になれと。

「具体的」だからイメージしやすい。そのためよっぽど強く心を保っていないと簡単に流されてしまいます。

人間はイメージしやすいほうにどうしても引っ張られがちなので。

だからそれ以上に、望む状態を具体的かつ毎日継続してイメージし続けること、脳内に現実を作り上げることが大事。

想像は創造につながるから。

私はどういうことをやってどんな風に生きていくのか。

何をしているときが幸せで、どういった人の役に立つのか。

なぜ、どういう理由でお客さんが自分のサービスを選んでくれたのか。

私でなければいけないその理由は何か。

人とは違ったオリジナリティは何なのか。

それがなぜ人の助けになるのか。

私はスピリチュアルケアの分野でやっていきたいので、これらを徹底的に掘り下げて考えていきますが、スピリチュアルケアに限らず、自分の人生を生きていきたい、好きなことを仕事にしたいという人にとって、自分は絶対にできるという自信と、それがなぜ可能なのかを具体的にイメージすることが大事ですね。

以上読んでくださりあがとうございました。