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どうしてあの人の話は心に響かないのか?

どうしてあの人の話は引っかかるのか。

どうしてあの人の言葉を聞いたり、書いた言葉を読んでも心に響かないのか。

言ってることは私の尊敬する〇〇さんと同じこと、同じような表現を使っているのに、なぜ違う?何が違う?

同じことを言っているのに、発する人が異なることで伝わったり伝わらなあったり。どうしてなの?

そう感じたことはありませんか?

例えば「笑顔は人を幸せな気分にしますね。誰かと接するときは、その人が少しでもほっとできるように私も笑顔で接したいです。」

このような言葉を別々の人物から聞いたと仮定して、ある人から発する言葉は伝わってくる、一方の人からは伝わらない。

私なりに理由を考えてみました。大きく分けて二つあります。

1.受け取り手、聞き手「私」の問題

「私」が抱えているビリーフのせいで相手の言いたいことが伝わらない。ビリーフとは「思い込み」です。

内容に関して自分の思い込み偏見、自分なりの意見などが邪魔すると、例に挙げた言葉を聞いた際に、どちらか一方だけの言葉が入ってこないのではなく、二人の言葉が両方とも入ってこないということになります。

今回は一方に対しては「その通り」とすっと入ってくると仮定していますので、「私」の抱えているのは話し手に対する「先入観」「偏見」ということが考えられます。

「あの人の言うことだから共感できる」

「あの人がそんなことを本心から言っているわけがない」

心に響き、「その通りだ」と感じる背景には、その話し手に対する肯定的な感情が根底にあります。

それまでの信頼関係かもしれませんし、

見ず知らずの人であっても共鳴できる思想や、経歴などから、

その人自身のイメージが聞き手の中で出来上がっていて、発した言葉もそこにフィットしているため、

違和感なくすっと受け取ることができるのではないでしょうか。

一方、言葉が伝わらない、入ってこないという人に対しては、この人がこんなことを思っているわけがない、という偏見を聞き手側が持っているということになります。

「この人は大した人じゃない」このような偏見があると、同じ言葉を聞いているのに全く伝わってこないのですね。

伝わってこないというか、聞き手側に最初から聞く気がないのです。受け取る気がない。表面の意識上では聞こうとしているかもしれませんが、深層の部分で心を閉ざしているのではないでしょうか。

目の前の相手に対して「この人は偉くもなんともないし、私よりバカだ。なにきれいごと言ってるんだ。こんなことこの人が本心で思っているとは思えない」と、「伝わらないような構え」をあらかじめ形成している状態です。聞き手側がそれを意識し、「私はこの人に対して偏見を持っていたかもしれないな」と意識しない限りは伝わりません。

同じことを言っても多くの人に支持されるのは「人気者」だから、という理由もここにあります。有名人が発する言葉は共感を得やすいですが、その辺のおじさんが言ってることにはなかなか耳を傾けないものです、同じこと言ってるのに。

「同じ話。あのお坊さんの言うことにはうなずいてたのに、近所のおじさんの話はなぜ聞けないの?」

相手の話が入ってきたり入ってこなかったりするのは、一つに受け手側が相手に抱くビリーフ、イメージに影響されるという話でした。

2.言葉を発する側、話し手側の問題

「笑顔は人を幸せな気分にしますね。誰かと接するときは、その人が少しでもほっとできるように私も笑顔で接したいです。」

発する側が、本心からこの言葉を発していたら伝わりやすいです。言葉と心が一致している状態ですね。

ゆったりと心に余裕があり、平和な気持ちの状態で、本当に目の前の人を大切にしたい、ほっとしてほしいなあと心から思って発した言葉だと、抵抗なく伝わることが多いですね。

一方、同じ言葉なのに伝わらない時というのは、発する側が自分のことにとらわれていて、本当は余裕がない状態なのに「相手に優しくすることは良いことだ」という信念にとらわれ、「思考優位」で自分の内面や行動をコントロールしようとしているからではないでしょうか。

優しく笑顔で接したいと思っているのは本当でしょうが、その優しい気持ちよりも本人が抱えるしんどさ、無理をしている感覚の方が伝わってきます。

発する側、話し手の気持ちと言葉が一致していないと、言葉が言葉通りに伝わりにくいですね。

本当はしんどい思いを抱えている話し手の気持ちを、すっと入ってくる言葉にするとこんな感じでしょうか。

「本当は自分のことで手一杯。しんどい。人のことを考える余裕なんてない。でも私も優しい人でいたい。」

私たちは訓練を通して、聞き手側として「ビリーフを自覚する」ことを繰り返します。すると相手の話を聞いた際、受ける感覚というのは、聞き手である自分の思い込みによるものなのか、話し手が抱えるものによるものなのか、だんだん区別ができるようになってきます。

話し手は普通、自分の気持ちと言葉にずれがあるかも、なんてことは考えません。「思考」で言葉を発する場合がほとんどです。そして時々「本当の気持ち」が言葉にも乗ります。

話し手が自分の話し方を「気持ちの乗ったもの」に変えなくても、聞き手は伝わってくる違和感からしんどさを感じ取ったり、無理していることがわかったり、押しつけにならないようにこの人はこんなさりげない形で人に優しくしているんだな、ということがわかったりします。

日常でもありますよね。政治家の発言が全く伝わってこなかったり、言葉の裏にある意図を感じてしまったり。

謝罪しているのに全然気持ちが伝わってこなかったり。

ドラマなどでは一見突き放すような態度が逆に愛情からの行為で、心を鬼にしてまでも相手に良くなってほしいがための行動なんだな、とか。

3.話し手の自己受容の度合い

2の中で話し手の言葉と気持ちが一致していると伝わりやすいと述べました。

そのような状態で話しているのに伝わらないというのは、聞き手が話し手に抱いている「偏見」ということも1で説明したのでわかりますね。

聞き手側が話し手を「こんな人だ」と決めつけた上で話を聞いているということ。

そんな状態で聞く気のない人にいくら本心を伝えようとしてもなかなか伝わらなかったりするわけです。

これは聞き手の問題でもあり、同時に話し手の問題でもあるのです。

なにかというと、話し手自身が「俺は話を聞いてもらえる人間だ」「俺の話は伝わる」と本心から思っていると言いたいことがちゃんと伝わるのです。

つまり自己受容が深いほど、話をしたときに伝えたいメッセージを受け取ってもらいやすくなります。

相手は自分の反映、相手の態度は自分が自分に無意識で行っている態度です。こういう所にもそれは現れるのですね。

その辺のおじさんであっても、その人の自己受容が深ければ、発した言葉が相手の心を動かすことになるのです。

「あの人の話はなぜか伝わってこないな」という場合は、話し手自身が自己受容ができていないという状態を、受け手のあなたの「話が入ってこない」という状態で映し出しているとも言えます。

ちょっと話はずれますが、実力があるのになかなか認められなくて悔しい思いをしているという場合も、自己受容が多いに関係していると言えましょう。

自分よりも能力が低い人が出世したり、世間から認められていることに理不尽さを感じたりするものですが、これもまた自己受容が関係しています。

自己受容の度合いが浅いと、いくら努力して能力を身に着けたとしても、社会でなかなか認められないなど悔しい思いをします。

そんなに能力が秀でているわけでなくても、その自分を受け止め満足していて、私はできるんだ!と心底思っている人は、周りにその思いが反映されて、出世したり人気が出たり、商売が儲かったりするのです。

だから冷静になって分析すると「大したことないやん」という歌などが異常に流行ったりする!(笑)

少し脱線しましたが、以上、「どうしてあの人の話は心に響かないのか?」でした。1,2,3の理由が絡み合っているという話でした。

読んでくださりありがとうございました。

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