⑤闘病記。出血、死産、救急搬送 一部記憶なし

闘病記。敗血症。DIC。妊婦。死産。流産。

 

この記事には3人目の子となるはずだった

赤ちゃんをを亡くした体験を書いています。

とてもデリケートな内容であり、

私や家族にとっても大切な赤ちゃんだったこともあり、

心の中にそっと大事に持っておきたいという思いから

私自身が本当に感じた気持ちや

揺れ動いた感情を

不特定多数の方が目にするこの「ブログ」という場で

すべて書き記すことは控えています。

 

当時の状況や私自身の心の深い部分で感じたことは

小規模な勉強会や講演などにて話させていただくにとどめています。

というわけで

私が当時どう感じたかという内面よりも

何が起こったのかという事象、ことがらに焦点を当てて書いております。

 

——ここからが記事になります。——

 

これを書いているのはちょうど11年経った2018年1月22日。

2007年1月21日も40度の高熱と激しい頭痛が続いたため

あまり眠ることはできずにいました。

 

昼過ぎには生徒さんたちを連れて英語の面接試験の会場に向かう予定。

朝起きてトイレに行くとなんとなく尿が茶色い気がする。

 

あれ?出血?まさかね。

わからないのでもう一度寝ることに。

 

その後起きてもう一度トイレに行くと今度は鮮血が。

慌てて通っていた産院に電話。

すぐに向かうことに。

 

「頑張ってな」とおなかの赤ちゃんに

言葉をかけたのを覚えている。

準備をするもなぜか足に力が入らずふらふらする。

 

夫の車で子ども二人も一緒に産院へ。

着いたなり、「これはやばい、力が入らない」

と感じ車いすを用意してもらいました。

 

私は普段どちらかというと「大丈夫」と言って

どうにか無理して歩くようなタイプなのですが、

この時はあまりにもしんどくて

珍しくも自分から車いすを頼みました。

 

ここからは記事にするのがしんどくなるので、

詳細は省いております。

結局入院することになったのですが

あれよあれよという間に

おなかの痛みと出血がひどくなりました。

 

当日の午後は生徒さんを試験会場に連れていく予定でした。

私は電話する体力気力もなかったので、

夫に頼みました。

生徒さんの名簿を見ながら

1件ずつ電話で

私が入院したことを

伝えてくれました。

 

(診察している時からなぜかまた数日前の

「りんねてんせい」の時みたいに

CMソングが頭の中をずっと流れ続けるように

英語絵本のチャンツのリズムがぐるぐると・・・。

水を冷やすと氷になって

その氷が溶けて水になり、

水が水蒸気として蒸発し・・・・

という内容の英語がぐるぐるぐるぐる・・・。

 

形は変われど、水はまた水となって戻ってくる・・・。

その繰り返し。

人間となって生まれてくる魂と似ています。

当時は苦しさのあまりこのような考えは浮かびませんでした。

ただただ、英文がリズムよく頭の中をぐるぐる流れていました。

退院してから「そういえば」と思い出しました。)(

 

あれほどひどかった頭痛は収まってはおりましたが

熱は下がらず40度のまま。

どんどんどんどんしんどくなり、

のどが渇いて仕方がない。

水分を摂ってものどの渇きは収まらない。

意識ももうろうとしてきて、

うつらうつらと・・・。

 

あまりにもしんどい

しかし眠ったと思ったらしんどさで目が覚める。

身の置き所がないような

じっとしていられないような

身体の感覚。

 

でも動けるような体力もない。

そわそわそわそわ。

動きたくてもしんどすぎて動くことすらできない。

 

導尿をしてもらってたが、

視界の先に

赤い尿が・・・。

びっくりしたと思うが、

しんどすぎてそれほど感情も揺れなかったと思う。

ほとんど尿も出ていないようだ。

おなかも痛い。

のども渇く。

 

呼吸もはあはあいってたと思う。

 

3人目の子どもでしたが、

夫は初めてこの時に

超音波の機械を通して

赤ちゃんの様子をみました。

 

実は2月8日に

超音波でまた詳しく見るのだったか

またビデオを撮ってもらうのだったか

夫も一緒に行く予定で、

初めて超音波で見れるねという話を

少し前にしていました。

 

入院すると

 

身体も楽になるのかと思っていましたが

期待ははずれ

何時間経ってもしんどいまま。

 

赤ちゃんの心拍も下がり、

胎盤の大半がはがれかかっているようで、

出血が止まらない。

赤ちゃんがんばって。

 

しかしそのうち

赤ちゃんよりも自分の身体のしんどさを優先してしまうように・・・。

しんどい。

 

18日からの発熱としんどさで

ほとんど思考能力もなく、

混乱とぼ~っとした状態が続きました。

 

点滴治療をしているのに

全く変化が感じられない。

「何日も入院してられへん。子どもらおるのに・・・。」

 

そしてとうとう夕方死産。

その後も母体が回復せず、

水分を摂ってものどの渇きは相変わらずで

しんどさは変わらない。

 

女医さんが

亡くなった赤ちゃんに会うことを勧めてくれました。

 

でもあまりにしんどく

その時は会うことよりも自分の身体のことで精いっぱいでした。

「後で」と言った気がします。

 

その後も意識はもうろう。

死産であっても出産したことに変わりはない・・・。

胸が張ってきた。

部屋が暗かったせいもあるのか

身体の状態が悪化しすぎたからなのか

目もあまり見えていなかったのですが、

母体がこんな状態でも

ちゃんと赤ちゃんがいたこと、

産んだということを

身体は知っているんだと

思考能力もほとんどない中

この時は切なくて申し訳ない気持ち。

信じられないという気持ち。

どういっていいかわからない気持ちになりました。

 

赤ちゃんが亡くなって

夫が私の実家に連絡。

 

母は「今すぐに行かなくても仕事の途中やし明日行こうか」

とも思ったそうですが

前日に熱が出たことを知っているので

何か胸騒ぎがしたらしく仕事を中断して

3,4時間かかる距離を

両親が来てくれました。

後から聞いた話では

別人のように顔が倍くらいに膨れ上がり、

肌の色も土気色になっていたそうです。

 

死産をしてからも母体が回復せず、

意識ももうろうとする中

産院の先生も慌てているようで

年配の男性の先生もやってきました。

 

 

その後いろいろとやりとりがあったらしいのですが

救急車で別の病院へ運ばれることに。

産院の年配の先生が救急車の中で

血圧が下がっていることなどを言っていました。

上が50台、下が30台。

 

 

子どもたちは朝私が入院したあと、

夫の実家で義母と義妹が見てくれていました。

義母も義妹も

私が入院してさらに別の病院に救急搬送されたと聞いて

気が気じゃなかったそうです。

続きます>>>>⑥闘病記。敗血症、DIC,多臓器不全から生還。5日目に意識回復。

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