いのちより大切なもの~オスカー・ワイルドの「ナイチンゲールとばらの花」

オスカー・ワイルド ナイチンゲールとばらの花

オスカー・ワイルド作 ナイチンゲールとばらの花

星野富弘さんの「いのちより大切なもの」という言葉をご存知の方も多いと思います。

「いのちが一番大切だと思っていたころ生きるのが苦しかった。

いのち より大切なものがあると知った日生きているのが嬉しかった」

私がこの言葉から思い出すのは

オスカー・ワイルドの作品に出てくる一羽のナイチンゲールの物語です。

観た人、読んだによって感じ方が異なり、解釈も読者側に委ねられているような作品です。

キリストの受難のイメージとも重なります。

今回この記事を書こうと取り組みましたが

途中あまりに感情が揺れてしまい休み休みの作業となったため5日間かかりました。

記事の文字数は少なめですが、本当に大変でした。

 

 

この物語については小学校1,2年生の時に「まんが世界昔話」というアニメでやっていて初めて知りました。

あまりに衝撃的で悲しく、当時も心が大きく揺れたのを思い出します。

タイトルは忘れたもののストーリーを覚えていたのですぐに見つかりました。

子ども時代に見たのは以下のものです。

 

細かいところやストーリーの結末は原作と異なっています。

原作があまりに悲しいので、子ども向けのアニメをということを考えてのことだったのかもしれません。

アニメでは学生シルビオが、ナイチンゲールが薔薇のためにいのちを掛けたということ気が付き、

最後は悲嘆に暮れるというもの。

ナイチンゲールはいのちを失ったけれど、

その存在はシルビオの優しい心の中に生き続けるという結末です。

原作とは異なる結末とはいえ、あまりの悲しさとやるせなさ、しかしナイチンゲールの深い愛に涙なしでは観られませんでした。

原作の方はもっと救いようがないストーリーです。

 

アニメに出てくるばらの木が小鳥の形になっている

原作には書いていなかった部分で、ぞっとしたところがありました。

ナイチンゲールがいのちをささげるばらの木の形です。

木そのものが小鳥の形をしていて、ちょうど心臓にあたる部分に赤いばらが咲くのです。

これを見たときぞっとしたというか・・・不気味というか・・・

「あらかじめ決まっていた運命」

「抗えない業」

「畏れ」

「ナイチンゲールと同じように、背後にある存在も痛みを感じている」

なんとも言えない気持ちになりました。

赤いばらはちょうど木の心臓にあたるところに最初ありましたが、

朝になって学生シルビオが気が付いたときには位置が変わっています。

はっきりとはわからないのですが、

ナイチンゲールの涙のようにも見えますし

シルビオに差し出すように抱えているようにも見えます。

 

アニメの中でなによりも心を打ったのが

ナイチンゲールのひたむきさ、純粋さ。

なんとしてもシルビオに幸せになってほしいという願いと

そのためにはいのちまで差し出すという深い愛。

とげを胸の奥にまで突き刺す様子は見ている方も本当に苦しいです。

 

原作のストーリー

こちらのサイトに原作の邦訳が掲載されています。

感情が揺れて大変だと思いますが、ぜひ読んでいただきたいと思います。

Sleepy Scapeさんのサイト内「ナイチンゲールとばら」

 

以下、Amazonでも本が買えます。

樫の木の存在

唯一、樫の木の温かいまなざしと優しさにほっとしました。

ナイチンゲールの存在をずっと見守っていて、

樫の木にとってもナイチンゲールはかわいらしく、大切な存在。

ナイチンゲールの決意を知り、樫の木もまた悲しくなる。

しかしその決意に反対したり、止めたりするのではなく、

「寂しくなるから」と「最後の歌を一曲わたしに歌ってください。」と。

ナイチンゲールのことをずっと見守っていたこの樫の木の存在は

スピリチュアルケアの研修で、苦しみ葛藤しながら成長していく姿を見守ってくれる

スーパーバイザーや仲間の存在とも重なりました。

また人生とも重なります

私の迷い、苦しみ、喜び、葛藤、決意、成長を

見守ってくれている存在がいるということ。

それは身近な人間、父母かもしれませんし、友人かもしれません。

危機的状況でお世話になったチャプレンや援助者などの存在かもしれないし、

人間ではなく神様やご先祖の霊といった存在かもしれない。

あるいはいつも心のうちを聴いてくれるペットだったり

ぬいぐるみだったりするかもしれない。

そういう存在もまた、わたしの心の揺れを自分のことのように感じ涙を流してくれているのでしょう。

 

ナイチンゲールのことを温かく見守る存在がいて

決して孤独ではないということが感じられほっとしたのと同時に

寄り添う存在である樫の木にとっても、

とても辛い別れであり

ナイチンゲールの気持ちに寄り添い、決断を見守ることしかできない。

もう二度とあのかわいらしい姿を見ることも

心癒されるきれいな歌声を聴くこともできない。

樫の木に巣を作っていたということからナイチンゲールにとっても

安心して身をゆだねられる存在であったことが読み取れます。

 

原作ではナイチンゲールの行いが学生シルビオの心を動かすどころか

その行為すらシルビオは知りません。

しかし赤いばらを手にしたからこそ、自分の恋した女性の本性がわかりました。

ナイチンゲールの願った結果ではありませんでしたが。

 

ナイチンゲールは自分のいのちを失うという大きな痛みを感じながらも、

それよりももっと大きな喜びを胸に抱いていたのだと思います。

“Love is better than Life”  これはナイチンゲールが言った言葉です。

 

「人を感動させるって人生を超えてる!」

朝ドラ「半分、青い。」で漫画家時代の鈴愛(すずめ)が言った言葉を思い出しました。

それほどまでに無我夢中で情熱を注げることがある人は結果がどうであれ

やり切った、生き切ったという充足や幸せを感じるのかもしれません。

自分のいのち、人生を超えるということ、

他者にそのいのちの働きが受け継がれていくこと。

以上【いのちより大切なもの~オスカー・ワイルドの「ナイチンゲールとばらの花」】でした。

読んでくださりありがとうございました。
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