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ボディサイコセラピー。「原因はそれか!」記憶にないにも関わらず「わかった」体験

これは私のボディサイコセラピーの体験談になります。

記憶にないにも関わらず「わかる」という体験

2018年にボディサイコセラピーに数回通いました。

3度目のスピリチュアルケア研修で自分でも予想外に突如幼少期の未解決な感情が浮上。

どうにか安定はできたものの数か月後にまたしんどい感覚に見舞われたこともあり、ボディサイコセラピーを受けに行ったのです。

詳しくはありませんが当時の記事があります。

ボディサイコセラピーを体験 「私の方が『親』だった」

大学に行くため一人暮らしをした時でさえでホームシックになったことがないのですが、2018年の夏は急にしんどくなり、幼少期のことを見つめようと思い立ちました。

幼少期は過保護に育てられた

アルバムを見ると赤ちゃんの頃毎日のように写真を撮ってもらっています。

当時は現像する料金も結構かさんだだろうにと思いますが・・・。

本当に愛されて育ってきたという実感がありました。

しかし反面過保護で過干渉だったので、「危ない」「失敗したらどうするんだ」という理由で色々なことを禁止されたり、自由度は低かったです。

名前を呼ばれるのも「〇〇ちゃん」とちゃん付け。保育園で初めて男の子に呼び捨てで呼ばれたことに傷つき泣いたということですし、祖父がある時私を呼び捨てで呼んだので幼心にショックを受け、親に頼んでちゃん付けにしてほしいと言ってもらったのでした。

いまだに実家に帰ると両親とも私のことを「〇〇ちゃん」と呼びます。

実家で飼っている犬に対する父の態度を見ていると私も同じように過保護に育てられたのだということがわかります。というのは散歩する際にきれいなところしか歩かせないようにと犬を抱っこして出ていくのです。

そして私も犬を飼っているので帰省する際に連れて帰りますが、うちの犬はちょっと狂暴なので父の犬とは顔を合わせることもさせてもらえず、毎回別室で隔離です。

こんな感じできっと私も危険を避けるよう、安全安心第一で育てられたのでしょう。

育てられた環境に加え、親に似たのか、もともと敏感で警戒心が強いところがあります。

幼少期、登園渋りが毎日続いたりと母が大好きで離れるのがとてもイヤだったのです。

保育園に行く直前までは自分でも「今日は大丈夫。泣かないで行ける。」と思うのですが、到着するともう涙が止まらないのです。

とにかく母と離れるのが辛くて辛くてたまりませんでした。

記憶にない気づきが浮上

前置きが長くなりましたが、おそらく3,4歳の頃のその体験が今になって浮上してきたのだろうと頭では思っておりました。

私が受けたボディサイコセラピーとは、セラピストが身体をなぞるように手を当てていき、どのような感覚を感じているのか尋ねられ、感じた感覚や浮上してきた気づきを言っていくというもの。

そしたら、記憶にないにも関わらず出てきたのです。

夜母と添い寝をしていて、母が私を寝かしつけた後に父の部屋に行く時の寂しい気持ちが!

私がもう寝たのだと母は思い、布団から出ていくのですが実は起きていて寝たふりをしていたようです。

「行かんといて。ずっと一緒におって。」

おそらく1歳か2歳でしょう。もしかしたら0歳かもしれません。

自分でもびっくりしました。

事実を確かめていないのでわからないのですが、たった数回のことだと思うのです。いつもべったりだったはずで、それこそ母が父の部屋に行くにしても本当に私が寝てから出ていくことの方が圧倒的に多かったはずですし、朝には戻ってきて横で添い寝をしていたので、自分では夜寂しいと思った記憶はないのです。

添い寝をしていた布団から母が出ていくなどというその発想すらなかったですし、思いもよらない「答え」でした。

その気づきが訪れて心はらくになりましたが、わかったからといって記憶にないのは変わりません。

顕在意識で思い出せる記憶はないにも関わらず、潜在意識の中にはちゃんと残っているということ、それをちゃんと「わかる」感覚があるのだなあと不思議な体験をしました。

さらにさかのぼると出生時に原因がある?

そして気づいたのですが、おそらく1歳か2歳の時のその体験もまた「焼き直し」ではないかと、きっと元の体験があるのですよ。

癒されてない感情体験というのは形を変えて焼き直し現象となって繰り返し現れるといいます。

現実は心の反映ということを考えても、おそらくこれは生まれた時にすでに「あった」ものだと思います。

数十年前、病院で生まれた人のほとんどがそうだと思いますが、出生直後に母親と肌と肌で触れ合うよりも先に医療的な措置を取られ、初めて抱っこされるまでに時間が経っていますよね。

「カンガルーケア」といって赤ちゃんが生まれたら比較的すぐにお母さんの胸に抱っこされて、しばらく時間を過ごすことが大切だと今では言われています。生まれた直後の赤ちゃんが目を見開いて「お母さん」と心を通わせている映像をみたことがあります。

しかし一昔前はカンガルーケアなどなかったため、出生直後のその体験が「寂しさ」「母恋しさ」となって結構多くの人が心の奥に抱えているのかもしれません。病院での出産が一般的になる以前はどうだったのかは知りませんが・・・。

出生直後に一定の時間引き離されるといっても、ほとんどの人はその後親の愛情をたっぷりと受けて育つので、生きていく上ではそれほど深刻な状態にはならないでしょうし、意識の奥に追いやられるので全く問題なく過ごすことがほとんど。

私も幼少期の登園渋りの際に浮上はしているものの、その後母が恋しくて寂しいといった気持ちに悩まされることはほとんどなかったのです。

色々な条件が重なったことで隠れていたものが浮上したのでしょう。生まれた時に感じた母に抱かれず寂しい気持ち、ずっと一緒にいてという気持ちが、その後1歳か2歳の「添い寝」体験、そして3歳4歳の登園渋り。そして2018年のホームシック。

こちらはバーストラウマについて何冊か本を読んで書いた記事です。

生まれた時の感情はその後の人生とリンクする !? バーストラウマという考え。赤ちゃんは本当に純粋無垢な存在なのか?

トランスパーソナル心理学の重鎮、スタニスラフ・グロフ博士のバーストラウマについての研究があります。

確か妊娠中から分娩、出産までの時期をいくつかに分けて、それぞれの時期に体験した心の傷が癒されなかった場合「クラスター」を形成すると。

そしてその「クラスター」がその後の人生のある段階だったり、ある条件が満たされた時だったりに、似たような感情を伴う体験として現象化する。

心の傷といったネガティブな体験だけではなくおそらくポジティブな体験も蓄積されるのでしょう。

仏教でいう「煩悩」「業」に当たるのではないでしょうか。

「やったー!!!」と喜んだ体験や「これが好きでたまらない」といったポジティブなものも、

「これがいいのよ!」「これじゃなきゃいや!」という心のとらわれになりますからね。

 

煩悩にとらわれる、すなわち執着として心に焼き付けられると、その後色々な条件が重なった際に現象化します。

グロフ博士は受精から誕生までをいくつかに分けていましたが、「誕生」というこの世に産まれ出る体験は赤ちゃんにとって苦痛を伴ったものです。

母親の子宮から外の世界へ出るということは「世界が変わる」体験であり、誕生は多くの場合は祝福される体験となりますね。

(※この世とは逆にあちらの世界では「大変かもしれないけど頑張っておいで~。」と赤ちゃんになるたましいを送り出し、死後には「よく頑張ったね~!」と祝福されながら迎えられると思っています。)

人が精神的に大きく成長したり、人格的に変容がある際、ものの見方が変わりますが、そのきっかけとなるのがたいてい大きな試練や大変な苦労だったりします。

生まれ変わったようにその人にとっての世界が良くなるという時、きっとそれは大きな試練の後ではないでしょうか。

このような現象もいわば過去の感情体験の焼き直しともいえるでしょう。

さかのぼるとやはり出生時の体験に行きつくように思います。

さらには過去生?

そして胎児の時期すでに業を抱えていると考えると、過去生にまでさかのぼることになりますね。

感情的にしんどいことを抱えていて、インナーチャイルドを癒してもまだしんどいという場合はヒプノセラピーによる過去生の癒しが効果的なこともあります。

しかし今生であれ過去生であれ、過去と未来は「幻想」なわけで、過去生もまた「今」という一瞬に作られるのではと個人的には思います。

話が難しくなりますが、真実の次元からみると時間というのは存在しない。「今」しか存在せず、それは同時に「永遠」でもある。

しかし3次元のこの世では過去、現在、未来が時間として展開される。

身体を持っている私たちにとってこの世は過去、現在、未来という時間が存在するので「過去生は過去のこと」という認識になります。

もしかすると過去は今作られるのかもしれない

2018年のホームシック、原因となったのは赤ちゃんの時の「添い寝」の体験であり、それがわかったら本当にすっきりとしたというボディサイコセラピーの体験だったのですが、もしかするとそのような添い寝していて母が出て行くという事実は全くなかったにも関わらず、私の潜在意識が勝手に作り上げたものかもしれません。

実際、生きづらさを抱えている女性がセラピーを受けに行き、思い出したのが幼少期に父親に虐待されている場面だったけど、確かめたら全く事実無根ということもよくあるようなのです。

そういった場合も「今」の時点で「過去」が作られているということになりますね。事実とは異なる過去ですが、自分で「ああそうだったのか」とわかることでセラピーの効果がある。

まああらかじめ似たような情報をどこかで得ていて、無意識にそういった過去を脳内で作ってしまっており、気づきといった形で現れるのかもしれません。

私の場合はその気づきによって実際にらくになったのですが、不思議ですね・・・・。

3次元で起きる出来事すら全部幻想といえばそうなのかもしれません。

しかし心の中には悲しみや寂しさが実際に存在していて、それが癒されるという状況を作るために、憶えていない子どものころのその出来事が必要だったのかもしれません。それが事実かどうか関係なく。

私たちが事実と呼んでいる出来事など本当は全て幻想、初めから何も起こっていないのではないでしょうか。

今回の話は書き終えるのに何日かかかってしまい、ちゃんとまとまっておらずわかりにくかったかもしれません。

読んでくださりありがとうございました。

 

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