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ライフワークまでの道のり② それまでの人生の振り返りと利他の心「大我」の行動?

誰かのために。利他の心。大我の心
・それまでの人生の振り返り

・それは本当に相手のためになるに違いない・・・けど違和感も。大我に見せかけた小我

 

それまでの人生の振り返り                  

2005年頃に江原啓之さんの著書を読んだのがきっかけで

自分のことをかえりみるようになっていました。

今でこそ、自分の行動のパターンや信念が

幼少期に育ってきた環境の影響が大いにあるという知識はあり、

ケア提供者として生育歴を振り返るということも

やってきましたが

当時は無意識のうちに自然と

それまでの人生で体験してきた大きな出来事を

振り返っていました。

今思うと、2007年3人目の子と自分の死に直面させられましたが

その準備として、

この世以外の次元の存在のことを知識として持っておきなさい、

と勉強させられたのではないかと思います。

また自分の半生を何度も思い出した作業は

たましいの浄化作用や気づきとなり、

自然と「瞑想したような効果」「一人カウンセリング」のような

効果があったのではないかと思います。

 

江原さんの著書の中で

小我と大我について書かれてありますが、

(小我は自分の欲求・エゴ、大我は他者への愛、利他の心)

人生での大きな出来事を振り返り、

あの時の自分はどう考えていた、どう思っていた、どうしたかった

などということを思い出していました

 

またなかなか癒されない傷や思い込みのせいで

心が乱れることもありました。

それが根本から癒されるということは

江原さんの著書を何度も読み込んだからといって無かったです。

しかし、その後の大きな気づきに至る「下地」となりました。

 

おそらく小さな傷やちょっとしたメンタルブロックのようなものは

浄化されてはいたのだと思いますが

大きなものに関してはそのまま抱えておりました。

 

それは本当に相手のためになるに違いない・・・けど違和感も。利他の心「大我」に見せかけた「小我」

これもこの先生きていく上での必要なステップでした。

本を読んで役に立ったのは

「傷や生きづらさ抱えつつも、日常生活ではちょっとわきに置く」

ことができる時間が増えたことでしょうか。

 

日常とは異なったスピリチュアルな視点を思い出すことで

「この気持ちは小我かも」

「こうしたほうが相手のためになるよね」と

行動する上で役に立ったと思います。

 

当時としてはとても役にたったのですが

今振り返ると場合によっては

相手のことを考えて行動はしているのですが、

自分自身の「本心本音」が置き去りではあるので

根本から癒されているわけではないのですね。

 

2006年時点では

「法則に行動を当てはめている」状態です。

アタマで考えて「この方が良いんだろうな」と。

心が動くから、そうしたいからというよりは

「こうした方が大我ではないか。」

「こうした方が結局自分のところにいい行いとして返ってくる」

 

 

小我・エゴからの行動をできるだけ抑えて

本当にその人のためになるようにという

「大我・愛からの行動」を取れるようにしてきました。

それはある時は、本当にその人のためになる行動を取っていたのだと思いますが

しかし別な時は「大我・愛からの行動」のフリをして

自分の本心を偽った、本心を言わずに我慢し、犠牲になった結果の行動

にもなっていたと思います。

 

行動や言動は相手のためになっていたかもしれないが、

それを行う私の心の動機が

「そうすることが相手のため。自分は言いたいことがあっても我慢しよう」

「相手に与えたものが自分にも返ってくるんだから。」

と結局言動の動機は表面的な部分では「相手のため」

しかし根本の動機は「自分のため」だったのではないか。

 

なにか波風を立てて揉めるのはいや。

こんなこと言って怒られるのはいや。

怒られないように、機嫌を損ねないように「大我」の心で接しないと・・・。

 

今思うとそれは「今ここ」目の前の人との

触れ合いを自ら避けていた行動ともとれます。

 

それも必要なステップではあります。

 

 

行動そのものを見てそれが大我からのものなのか小我からのものなのか

区別がつくわけではありません。

同じ行動でも動機が全く違うということはよくあることです。

 

このころを振り返ると

もちろん、特に子ども立には純粋な「大我」で接することも多かったと思うのですが

中には「大我」だと思っていたけど

人とぶつかりたくないという自分を守るための

「小我」の行動だったものもあったと思います。

両方混ざっていたのでしょう

 

 

例えば知り合いのお祝いごとにいくら包むという場合など

相手の幸せを願って本心からお祝いを包むのは大我ですが、

「こういう場合はお祝いを包んで快く渡すのが大我の心だ」

とアタマでわかっていながらお祝いを包みはするけれども

本心では「本当はそれほど祝い気持ちがあるわけではないけど

そうするのが大我だからそうしないとね。」

と思う気持ちはやはりまだまだ小我だと思うのです。

 

 

しかし、「そうすることが大我だから」

「そうすることが愛だから」という気持ち自体に

この先「大我で生きていきたい」「愛に生きていきたい」という

大我・愛の心・仏性をちょっと垣間見ることができるかと思います

 

行動と本心が一致せず、「今ここ」目の前の人に本心で関われていはいないのですが

この先そうすることができるようになる、徐々に行動と本心の一致進んでくる上での

プロセスなのでしょう。

 

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続きます。ライフワークまでの道のり③ 危機的状況を乗り切るため準備させられていた!?お母さんを選ぶ赤ちゃん

 

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