「死ぬ気でやれば何でもできる」のわな

死ぬ気でやれば何でもできる

絶対乗り切らないといけない試練を耐えるための言葉

人生で大きな壁が立ちはだかり、もうがむしゃらにやらなきゃどうにもならないという状況に陥ることがあります。

そんな時、よく耳にするのが

「人生死ぬ気でやればなんでもできる」という言葉です。

確かにピンチに陥った時にこの言葉を目にすると

「どうにかここは踏ん張って耐えよう」とか

もっとひどい状況を思い浮かべたりもっとひどい目に遭っている人のことを思い

「あの状況よりはまし」

と自分を慰めどうにか乗り切ることができたりします。

「死ぬ気でやれば」という言葉は私にとっては

本当に死にそうになったという実体験があるので

そのような体験のない人に比べたらより一層リアルなものとして

あの状況と比べたらこんなこと・・・と確かに耐えることはできるのです。

確かに耐えることはできるし、死ぬような状況を体験しただけあって我慢強くもあるのですが、

それも一長一短。

間違った努力をしていても我慢強さがあるゆえ、間違いに気づくのが遅くなるというデメリットもあります。

死ぬ気でやれば・・・と思うあまり自分を殺していないだろうか

本来、「死ぬ気でやれば」と思うような状況というのは

過酷であるけれどもそれに耐え抜いたら希望が見えるからこそ

「死ぬ気でやれば」と思えると言えます。

そして努力や苦労、我慢の末自分の限界を超えて、事態が好転するということもあります。

陰陽の法則です。

確かにそういう現象はあって、私自身も体験しております。

しかし「死ぬ気なればなんでもできる」という言葉の暗示にかかり

他人の気に入るように振る舞ったり

自分の機嫌よりも他人の機嫌を優先して

本当の意味で「生きる」ということから遠ざかってしまうことがあるとわかりました。

「嫌だけど、死ぬよりましだからしぶしぶあの人の言うこと聞いておこう」

「自分に合わないことだけど、死ぬ気で努力すればどうにかなる」

このような気持ちを抱いて、希望を持って頑張っているうちはまだいいのですが

いつのまにか希望も喜びも無くなりただ「耐え忍ぶ」みたいな状況になっていることがあります。

「死ぬ気になればなんでもできる」という気持ちを抱いているつもりで

もうすでに「死んでいる」精神状態です。

何のために「死ぬ気になれば」なのか。

それは「生きるため」

自分の心、自分の本質が生きるためです。

幸せになるためです。

自分の本質ではないものにNOを言うことはとても大事です。

そのために「死ぬ気になる」という意味です。

日本人は育ってきた環境の影響で

「自由にしたらダメなんだ」

「親や社会の求める理想の人にならないといけない」

「自分の本心にふたをして他人に好かれないといけない」

「やりたいことではなく、社会が求める歯車として、不満を抱きつつ生きていくのが当たり前」

という思い込みを抱えていることが多く、

この言葉はより一層そういう状態を強化することもあると思います。

ありのままの自分、生まれ持った個性を存分に生かせる自分になるため、

その個性のあなたとして生きていく、そのための「死ぬ気」です。

自分ではないもの、欠けたものを埋めるために死ぬ気になるのとは違います。

ここを勘違いしているといくら頑張っても報われません。

不平不満が溜まるばかりです。

「死ぬ気でやれば・・・」は自分を生きるための言葉ということになります。

 

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