心に響くことをやって生きていく!

心に響くことを追求した結果、仕事辞めました

私自身が心に響くことをやっていくことを大事にしています。

以前は勉強にしろ仕事にしろ心に響くかどうかなんて

考えたことはありませんでした。

勉強も仕事も好きな部分もあれば嫌いな部分もあります。

能力や技術を身に着ける上で、

本当はやりたくないけど、やらざるを得ないことが多いです。

でもそれは手に入れたい能力、技術のためであれば意味のある努力だと思います。

 

結果自分にとって満足ができれば多少嫌なことでも、

身に付けた後のことを思い浮かべて努力することができます。

 

仕事も同じです。

私は英語講師をしていたので、当然授業の準備をするのは当たり前。

多少時間がかかっても、

どのように説明すればわかりやすいか、

どのように指導すれば生徒さんが英語を身につけられるか

常に考え、工夫することは楽しくもありました。

特に自宅で英会話教室をやっていた20代の頃は、

英語学習について毎日あれこれ考え、

英語学習のサイトも運営していました。

そのくらい熱心に取り組んでいました。

 

2007年生死をさまよう

「生死をさまよった体験」にも書いた通り、

この時に人生観ががらりと変わります。
生まれる前に決めた自分の使命のようなビジョンが降ってきたのです。

そのビジョンでも「英語」がキーワードでしたので、

しばらくは英語の仕事でやっていくことが当たり前だと思っていました。
実際英語講師を続けながら、

使命と関連するであろう

「グリーフケア」「スピリチュアルケア」の学びも進めました。

 

英語講師の仕事に違和感

2009年からは外で英語を教えるようになりました。

このころは塾の個別指導と大学の非常勤講師をしていました。

大学での授業ということで

私は自分が学んでいたような英語の授業とまではいかなくとも、

それに近いことが授業でできたら楽しいだろうなと思って応募した仕事でした。

 

私が学んでいた英語と教えていた英語

小さいころからECCに通い、培った英語力で

関西外国語大学に入ります。

受験したのはこの大学だけです。

英検準1級を持っていたため

関関同立も合格圏内でしたが、

学びたい内容が違うと思い

名前は有名ではありませんが

確実に実力が上がるであろう授業のある大学ということを大事にしました。

 

そこではIES(Intensive English Studies)という特別選抜のコースを選択。

筆記試験と面接で合否とクラスが決定。

このコースに入るとプレゼンテーションやレポート課題が多いので、

クラブ活動やサークル活動、

アルバイトなどやる余裕はないというガイダンスでした。

一クラス25人前後で4クラスのみ。

一番上のAクラスに入ることができました。

 

クラスメイトは海外留学経験者が大半で帰国子女もいます。

ちなみに今でもこの時の仲間とは交流があり、

一生の友と出会ったと思っています。

 

授業は英語圏の大学に留学したような環境で、

英語を使って社会問題について学び、

ディスカッションをしたり文学作品に親しむといった授業でした。

 

英語を学習するというより、

すでに持っている英語力を使って授業を受ける

自分でも発信する

というものです。

入学してすぐに短いプレゼンをやったりと、かなりハイレベルなことをするコースでした。

このような授業を大学で受けていたので、

実際に教える立場になり、

これと同じというのは現実的に難しいけど、

それでも似たようなことができたらうれしいと思っていました。

 

実際、講師として教えるための研修があるのですが、

生徒さんがもともと持っている英語力を引き出す、

間違った答えを言っても、トライしたという態度をほめる

というとても良いものでした。

ここで学んだ指導法はまさに「スピリチュアルケア」に通ずるものがあります。

 

本当に今でもためになる研修だと思っているのですが、

実際に教えに行った大学では研修どおりにいきません。
英語が好きで、英語を学びたい学生に対してであれば、

研修でやったことが生かされるのだと思います。
しかし、担当した授業はみな

「英語嫌いだけど、必修だからしぶしぶ受けている」

「単位のために受けている」という学生がほとんど。
あるいは「本当は英語の勉強したくないけど、就職したらTOEICのスコアが必要」という学生。

以前だったら私も

「成績に必要だから」

「仕事に必要だから」

一生懸命頑張るということができました。
しかし生死をさまよって、

自分にとってなにが大切か、

ということをものすごく意識するようになっていたので、

「英語を勉強しなければならない」という学生の建前の気持ちよりも、

「本当は英語はやりたくない」という本音の気持ちに寄り添ってしまうのです。

 

人生長いようで短いんだから、

やりたくないことをやるより、

自分の本心にしたがって、

本当にやりたいことに時間を注ぐべきだと思っています。

 

英語を学びたいわけではなく、ただ単に「必修だから」と受けた授業ではほとんど身につきません。

授業を受ける前と受けた後の1年でほとんど何も変わりません。

 

本当はもっと大事なこと、情熱を注ぎたいことがあるだろうに、

無駄な時間を過ごさせてお金をもらっているという

罪悪感も感じるようになりました。

 

ですのでできるだけ楽しく過ごせるように授業も工夫はしましたし、

がっつり学習する時間というよりは、

英語の苦手な学生がペアワークやグループワークなどで

少しほっとできるような時間にしました。

グリーフケア、スピリチュアルケアで収入を得るのは難しい?

それでもお金のことを考えるとなかなか辞めることができませんでした。

また同僚の先生方も優しい方ばかりで、

人間関係で困ることは一度もなく、

居心地が良すぎることも辞める決断を引き延ばしました

 

2012年にグリーフケアを学ぶことになるのですが、

予定では2年後に病院で働けたらいいなという希望がありました。

しかし学校で学び始めてみると、

修了しても仕事がないということが判明。
もともと現場を持っている看護師や助産師、社会福祉士というような人が、

自分のやっている仕事の中でプラスアルファして

グリーフケアができるようになるというのが現状でした。

今も「グリーフケアの専門職」あるいは「スピリチュアルケアの専門職」で

収入を得にくい状況はほとんど変わっていないでしょう。

遺族会なども徐々に増えてはいますが、実際はボランティア活動なので

余裕のある人しかできません。

 

英語講師で働きながら、

2014年からはグリーフケアのボランティア活動と、

NPO法人虐待問題研究所にて講座をさせていただき、

少しですがお給料ももらい始めました。

 

好きなことだけで収入は得られないものなのか

英語の仕事はどうにかこうにか続けていましたが、

2016年ごろから精神的にしんどくなってきました。
実際、授業といっても人間同士のやりとりです。

場の雰囲気をキャッチし、前に立つとうまくはいきます。楽しい時間を過ごすことはできるのです。
人間同士の交流は私も好きですし、

だからこそグリーフケアをやっているわけで、

コミュニケーションをとることは問題ないのです。

しかし、英語を教えるということ自体がいやになってきました。

教壇に立つとうまく授業はできるものの

授業の準備に時間を取られることや

「ちゃんと授業できるだろうか」と心配になり、

無駄にエネルギーを使うのです。

ブログを書くことも好きで、ライフワークの一つですが、

書きたくても書けない、取り組むだけののエネルギーが残っていませんでした。

ですのでひと月の更新がとても少なかったです。

(ちなみにこのブログは2012年からやってるのですが、2017年に当時使っていたレンタルサーバーとの連絡がつかなくなり5年分の記事、300記事位?が消えてしまいました。)

 

そんな中、一週間の病院研修を受け、

心が癒され、潜在意識が浄化された結果

より深く自分自身とつながる体験をしました。

「辞めても大丈夫」

「好きなことでやっていく居場所はちゃんとある」

「どうにかなる」という内面からの自信、自己信頼の感覚が沸き起こってきました。

 

その後、いろいろな共時性的な「サイン」や「メッセージ」があったり、

メンターに相談して背中を押してもらったこともあり、

辞めるという決断ができました。

 

やりたいことが自分のたましいからくるものであれば、

神様や仏様、宇宙からのサポートがある。

エゴの欲求ではなく、自分の心の奥の神聖からの願いは

宇宙の願いでもあります。

 

結局自分のやりたいことと言ってはいますが、

それは自然に戻ることでもあるのです。

結局人間もアリやハチのように生きていくということなのでしょう。

携わっている仕事から直接収入があるかどうかわかりませんが、

ちゃんと別のどこかから

私が生きていけるだけのお金は入ってくるはずです。

 

人の行動の動機は2種類

愛からの行動か、恐れからの行動か。
愛からの行動を選べば、それは神様や宇宙とつながっているので結果うまくいく。

自分も充足を感じ、他人のためにもなる。

(このこと自体がまさに「スピリチュアル」であります。

私たち、グリーフケア、スピリチュアルケアの提供者は

特定の宗教に入る必要はないけれど、

そのようなスピリチュアルな感覚、

人間を超えた大きな力、わからない次元、いつも支えてくれている宇宙や神などを

信じていることも、

実は他者とサポートするうえで大きな力となります。)
恐れというのは自分の「エゴ」ということ。

やりたいからやるというより、やらなければならないという「強制」です。
やりたいという純粋な動機ではなく、

人から嫌われるかもしれない」

「お金が無くなるかもしれないから仕方ないからやる」

「〇〇さんにお世話になっているから、せめて恩返ししないと。」

人の目を気にしたり、

自分の不安を無くすためにというのは「恐れ」の動機です。
やるからには楽しんで、時間を忘れて取り組めることが「本来の自分の役割」です。

もしくはそれほど好きというわけでなくても

「無理なく、苦にならずにできること」だと思います。

 

疑問を持ちながら、

「早くこの時間が終わらないかな」と

取り組んでいることは

エゴの選んだ「やらなければならないこと」、我慢です。

 

生きている時間は有限。 ずっと元気に動けるかどうかもわからない

私は自分の生命が危うかった体験があるので、

そのような体験をしたことがない人に比べてよりリアルに、

「死ぬときは訪れる」ということが実感として感じます。

 

産院から救急搬送され、ICUに入院しました。

その時に私は意識がなかったので後から聴いた話ですが、

待合室で一緒にいた別の方のご家族は亡くなったそうです。

数日後目が覚めましたが

あと半日遅れていたら確実に死んでいたということです。

 

「命拾いしたねえ」

「ぎりぎりでした」

「普通死んどる」

 

などとお世話になった先生や看護師さんに言われました。

 

だからこそ、実感をもって言うことができます。

この人生で本当に取り組みたいことに時間とエネルギーを注ぐべきです。

好きなことをやっていいんです。

やりたくないこと、やらなくてもいいことをやっているために

エネルギーが枯渇している人はいっぱいいます。

 

今やっている仕事も、

やりたいかやりたくないかなんて意識することもない人が大勢います。

それはそれで幸せ、現状を変える方がしんどいのであれば、

今幸せに感じているので良いと思います。

安全に穏やかに生きていくことに価値を感じる人の気持ちも理解できます。

それが自分にとって一番大切であれば、

それを大事にして生きていってほしいと思います。

 

逆に「今やっていることはなんか違う。もっとほかにやりたいことがあるはずだ。でもそれがなんなのかわからない」

と違和感を感じ始めた人もいるでしょう。

だからこのブログにたどり着いたのかもしれません。
世間の価値観に合わせて生きてきた人の中には、

もはや自分の好きなことが何なのかもわからない人も多いです。

自分の感性の声に敏感になれば、

本当にやりたいことが浮かび上がってきます。

 

本当の自分を取り戻し、

自分を縛っている制限から自由になって、

持っている才能を引き出して

充実感や生きがいを感じながら生きていくことができます。

限りあるいのち、あなたは何のために使いたいですか?

読んでくださりありがとうございました。

 

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