そんなのどうだっていい!おれはお前と一緒にいたいんだ!~かぐや姫の物語

スピリチュアルケアにおける寄り添い、共感、傾聴、自分のビリーフや価値観を脇におき、相手の価値観の中に入って受け止めること、色々な学びがありました。

今回はここ2,3年私がずっと書きたかったジブリ映画「かぐや姫の物語」における

スピリチュアリティについて綴っていきます。

ネタばれになるかもしれませんので、まだ観ていない方は先に観ることをお勧めします。

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寄り添うとは?共にいるとは?捨て丸兄ちゃんのセリフに学ぶスピリチュアルケアの姿勢

グリーフケア、スピリチュアルケア、ターミナルケア、傾聴、カウンセリング・・・・。

「ケア提供者は自分の意見や考えを押し付けてはならない。」

「ただ黙って、うなずき、ひたすら聴き役に徹すること。」

多くの場合が上記の態度、姿勢に徹することで相手の本心や心の深い部分に光を当てることができるでしょう。

沈黙の時間、ただ信じて待っていてくれることで、うずくまっていた痛みが浮かび上がってくるという不思議な癒しの体験をすることがあります。

しかし、時には「ただ黙って聴く」のとは全く逆のアプローチが相手の心を解きほぐし、その人本来の姿を取り戻すことにつながる場合があるのではないでしょうか

 

月へ帰されることは避けられない。解決不可能な問題。それにどう応えるか。

かぐや姫の物語での捨丸のこの言葉「そんなのどうだっていい」にヒントがありました。

物語の背景

月の住人たちがもうすぐかぐや姫を迎えに来るということがわかり、どうあがいても絶対避けられないという状況。

今まで暮らしてきたこの地球を離れなければならない。

父様、母様、幼馴染、お世話になった人たちとの別れの時が迫っていて、人間として過ごした記憶も全部なにもかもが消され、月に帰らなければならない。

逃げたい!だけど逃げたくても絶対に逃げられない。

かぐや姫は母様に言います。

「月になんか帰りたくない!」

「私、必死でお願いしたんです、でどうかいさせてくださいって。この地に。でもダメだって。今月の15日には迎えに行くって」

 

「私は・・・生きるために生まれてきたのに。鳥や獣のように。」

あのうたをかぐや姫がうたいます。

※「わらべ唄」「天女の歌」の歌詞、関連記事はこちら

関連記事:かぐや姫の物語「わらべ唄」「天女の歌」にみられる神秘性とスピリチュアリティ

「鳥、虫、けもの、草木、花。

まわれめぐれめぐれよ はるかなときよ

めぐって心をよびかえせ

めぐって心をよびかえせ・・・・」

 

「その昔、この地から帰ってきた人がこの歌を口ずさむのをつきの都で聞きました。

月のはごろもをまとうと、この地の記憶はすべて無くしてしまいます。

悲しみも悩みもありません。

なのに、歌うたびに涙が一筋、その人の目からこぼれるのです。

その不思議さに、なぜか私の心も締め付けられて・・・ああ、いまならわかります、あの人の気持ちが。

・・・あの人は・・・あの人もまた本当はこの地に帰ってきたかったのです。」

後悔の念

月の住人が歌う神秘的なあの歌。

この地へのあこがれ。

生きるために生まれてきたのに。鳥や獣のように・・・。

私はいったい何をしていたのか。

もう一度この地で精いっぱい生きたい。

本当の意味で「生きていなかった」ことをかぐや姫は後悔し、月への帰還の日が迫ってくる中、どうしても会いたい人に会いに行きます。

それが幼馴染の捨丸です。

かぐや姫はこっそり生まれ育った故郷を訪れます。

数年ぶりの再会を果たせた二人。

「捨て丸兄ちゃん!」

「たけのこ」

子ども時代の呼び名でお互い呼びあいます。

かぐや姫はやっと自分の本心に正直になりましたが、もう遅すぎた、逃げられないということを捨丸に伝えます。

月へ帰ることはどんなことをしても避けられない、どこにいても逃げられない運命にあります。

まるで死を避けられない私たち人間、生き物の宿命とも重なる部分を感じます。

私は唯一無二の存在になりたい

かぐや姫:「もう見つかっている」

捨丸:「いいじゃないか見つかってても!それがなんだ!そんなことどうだっていい。俺はお前と逃げたいんだ!」

「もう見つかっている」というのはもうどうにもこうにも逃げられない。何をやっても無理。解決策などないというかぐや姫の言葉です。

その言葉に対して捨丸は辛いね、どうすればいいんだろうね、と一緒に悩んだのでも共感したのでもなく「そんなことどうだっていい!」と。

さらに「俺はお前と逃げたいんだ!」です。

全存在をかけて「一緒にいたい」と言ってくれる人の存在。

背負っている運命、宿命に飲み込まれたとしても、その過酷さに勝るほどの気持ち。

(私も言われてみたい〜😭😭思わず本音が‼️)

捨丸のこの言葉に私自身、かぐや姫の深い心の痛みが報われたような、最後の瞬間は「生きることができた」「本来の姿を取り戻した」とほっとする気持ちになりました。

 

月の羽衣を身にまとうとこの地での記憶はすべて消えてしまいます。

悲しみや苦しみだけでなく喜びも嬉しさも。

記憶が無くなるとは自分の存在がどうなるかわからないという苦しみにも通じます。

またどんな記憶であれこの地で過ごした日々は愛おしい。

喜びや胸躍るような出来事だけでなく、悲しみ苦しみ、くやしさや孤独、胸を痛めたことでさえも生きている彩りを与えてくれたかけがえのない体験だった。

愛する人たちと別れなければならない。

いずれやってくる死から逃れることはできない。

かぐや姫の場合は、この地を離れる時間が迫っているということがわかっていました。

ですから、「最後だけはどうしても!」という思いがあったのです。

幼いころに過ごした懐かしい故郷に帰って、密かに思いを寄せていた捨て丸兄ちゃんにどうしても会っておきたかったのですね。

ただ黙って、その人の奥からなにかが出てくるのを待ってくれるという態度も、その時を一緒に目いっぱい楽しむ・一緒にいる時間を味わい尽くすというのも、どちらも形は違えど「一緒にいたい」という気持ちが根底にあるということ。

ほかの人ではなくこの人だからこそ聴いてほしい。

私の最も暗く弱いところをさらけ出し受け止めてほしい。

こんな気持ちを抱いたことを思い出しました。

以上、読んでくださりありがとうございました。

なお、物語に関する解釈は私独自のものです。人によって感じ方が全く異なることもありますのでその点ご理解ください。

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追記。ほかの誰でもない唯一無二の存在になりたい。映画「天気の子」もそのような心理描写があり、胸キュン💕でした。

以上読んでくださりありがとうございました。