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2012年執筆。「スピリチュアル・ケアの生き方」を読んで

スピリチュアルケアは出生前から死後までを網羅する

2012年に書いた以下の本に関するブックレポートです。

近藤裕『スピリチュアル・ケアの生き方』地湧社、2004年

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スピリチュアルケアはターミナルケアや緩和ケア、遺族会といった場所から広まっていますが、本来は生きている限りずっと関わっていくものです。

赤ちゃんがおなかにいるときから、出産、子育て、教育・・・。

「いのちを大切にする」とはいったいどういうことなのか、2012年当時に書いた自分の思いと今の思いはほとんど変わっておりません。

スピリチュアル・ケアは、死が間近に迫った人のみが必要とするのではない。生まれる前から死ぬまで、生活のあらゆる場面でスピリチュアル・ケア、スピリチュアリティが生かされることが必要だ。

著者の述べるスピリチュアリティとは人間に宿るいのちである。

生命とは少し違ったニュアンスで、生命とは主に肉体に宿る命である。データで現すことが可能で、医療での治療対象になるもののことである。いのちとはそれを生かしている根本のことをいう。

一人ひとり、全ての人間に宿っているものがいのちであり、スピリチュアリティである。そのいのちが輝くことが生きるうえで最も大切というのが本書の主張することだ。

体の機能が衰えたり、障害があるからという理由で、スピリチュアリティが活性していないというのは間違いである。そして、いのちは個々に宿るに留まらず、根っこの部分で全てと繋がっているということを著者は述べている。

「私が考えている“いのち”とは、人間を含めた生きものの個々の生命のことではない。それらのすべての生きものの生命を支える“いのち”を意味する。自然界全体の“いのち”、地球にあふれ、地球を包む“いのち”、宇宙に遍在する“いのち”。そして、その大きな“いのち”の一部が人間の肉体(生命)に宿っていると考えている。」(近藤 2004:146)

本書からは自分の生き方、自分のスピリチュアリティを輝かせることとは何か、いかに生きるかについて考えを深めることができる。

自分のいのちを大切にすることで、他人のいのちも大切にすることができると考えられる。スピリチュアル・ケアは死に近い人だけのためではなく、私たちの日常生活でこそ大切にすべきだ。

スピリチュアリティを輝かせる生き方とは、表面的な欲求や一時的な娯楽を楽しむだけに留まらず、もっと心の奥にある本心、魂の欲求を満たすことではないかと気づきを得ることができる。

魂の欲求とは、他人との関わりの中で、その人のスピリチュアリティに触れることではないだろうか。人はみな意識しなくとも潜在的に、存在を認められたいという欲求がある。

それは自分のスピリチュアリティを認められたい、魂を認められたい、いのちを認められたいという想いだ。大事にされ、慈しみあう関係でいることがもっとも大切だ。

しかし、社会を見渡すとそれが出来ていないことが多いと感じる。残虐な方法を用いた殺人がたびたび起こる。

加害者となる側は育つ過程でスピリチュアリティを大事にされてこなかったためではないだろうか。表面的な欲求やわがままを聞き入れてもらうことと存在自体を大事に扱われることは異なる。

その人の存在そのもの、いのちそのものが大事にされ、自分でも愛されているという実感が乏しかったために自分の存在を尊重することができない。それを意識しているかどうかはわからないが、自分を大事にするとは、生命の奥にあるいのちを生かすことだ。

自分のいのちを生かすとは、他人のいのちと触れ合い、認められた充足感や幸福感を感じることだ。他人の尊厳を傷つけ、生命を奪うという行為は、本当は自分自身を傷つけているに他ならない。

そうなってしまう加害者を生み出すこの社会は、物質的には便利で豊かに見えても、スピリチュアリティが生かされていない。

子どもを育てる親はにとって大切なのは、まず自分のいのちが本当はいかに大切なものなのかを実感し、その大切ないのちを生かすためには、子どもに自分の価値観を押し付けるのではなく、いのちそのものを慈しみ、存在をまるごと受け入れることなのだ。

そうやって育てられた子どもは、自分のいのちを尊重にし、他人のいのちも尊重することができるのではないだろうか。

本書は出生前から死後までの日常生活全てにおいてスピリチュアル・ケアを実践することの重要性を説いており、病院だけでなく今後の家庭教育や学校教育でのスピリチュアル・ケアが広まることが期待できるのではないだろうか。

著者によるといのちは、生きている人も死んでしまった人もその存在の大元と繋がっている。

大元とは神やサムシンググレートとも呼ばれる。愛する人が死んでしまって肉体は消滅するが、いのちあるいは魂は故郷に帰るので消滅はしないという著者の主張は、愛する人を亡くし、悲嘆に陥っている人の心の支えとなるのではないだろうか。

グリーフケアで扱う「死」や「病気」、「障害」を多くの人はマイナスのこととして捉えがちだが、スピリチュアリティという視点でみると、人はどのような状態にあったとしても一人ひとりにいのちは存在する。

そのいのちは健康な人と同じ方法では表現できないかもしれない。しかし、別の方法でいのちを表現し、周りの人のいのちに対して目には見えなくとも影響を与えていることが大いにある。

いのちを表現するために「死」や「病気」、「障害」という手段があるのかとさえ感じられるような、全ての人のいのちを慈しむ感性を育む本だ。

ケアをする側がこのような視点を持つことは、故人の死を否定的に捉えるのではなく、いのちの存在そのものを慈しみ、生き抜いたことを尊重するために必要なことだと考えられる。

私自身、亡くした子を「魂の強い子」と助産師さんが尊重してくれた経験があり、悲しみは消えなくとも、確かに存在したいのちを感じ、心の支えにして日々を送ってきた。いのちそのものを尊重する視点が得られる本だ。

以上です。
読んでくださりありがとうございました。

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