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ゼロと1。易とデジタル。円を描く=縁を描く。糸掛け曼荼羅から得たインスピレーション

64ピン。糸かけ曼荼羅。

数と非二元・ノンデュアリティ。この世に現れた現象は
「数学」で表すことができるのではないか。

それを読み解くことは現象の背後に

隠された意味を読み解くということ。

 

ゼロと1。

宇宙は一つ

universe  の

uni は一つのという意味。

verseは回転する。

universe =「回転して一つになったもの」。

人間以外の生物にとって、数という概念はもともとは存在しない。

ものを「分ける」ことによって数という考えができた。

 

「数」の概念と同じようにこれとそれ、これとあれという風に区別するために「名前」がある。

これも人間が作ったもの。

 

0・ゼロは「空」。あらゆる可能性をはらんでいる。

背後にあり、現象界を支えているもの、すべてを含む。

 

「光」とも似ている。

「光」つまり「透明」な光は色が無いように見えるが、実は赤、黄、青、緑、黒、水色・・・・すべての色を含んでいる。

可視光線で捉えられる範囲を超えて、目に見えない波長も「光」である。

 

ある時は赤にもなり、ある時は黄色にもなる。

1は「色」、この世に現れた現象。

色即是空、空即是色

0と1は表裏一体ということか。

 

十進法で0~9までの記号を使い、数を表すことが一般的。

1~9はもともと1のものを分けているので、

元に戻して1。

 

ゼロと1、二進法ですべての数を表すことができる。

ものごとは個別で存在しているように見えるが、

本当はつながっている。

 

易、二進法、デジタル。

東洋思想。

陰と陽。

一つの現象には必ず二つの側面が存在する。

 

利己心と利他心。

「陰極まれば陽転す」の言葉にあるように

どちらか「極」に行き着くと必ず反転するようになっている。

 

素数の糸かけ曼荼羅は、起点ゼロから出発。

円を描きながら、すべてのピンを回って最後必ずゼロに戻ってくる。

 

円を描く・・・縁を描く。

 

素数とはあらゆる数の「素」となる数。

英語でprime numberと呼ばれる。

primeは「素となる」という意味。

2、3、5、7、11、13、17、19、

21、23・・・・・

 

自然界のあらゆる数は素数が素となって成り立っている。

例えば4は 素数2×2

10は 素数2×5

20は 素数2×2×5

素数の現れ方に規則性を見つけ出そうと

数多くの数学者たちが挑戦し続けているらしい。

 

まだ解明されてはいないが、

どうやら円周率のπ(パイ)との関連があるかもしれないとのこと。

 

この本もなかなか面白かった。

素数はなぜ人を惹きつけるのか (朝日新書)

以下は私が感じていること。

 

個人が体験した象が素数2とする。

その後、その人が体験した別の現象が自然数6だとする。

自然数6が引き起こされるには

元もと体験していた素数2の体験が必ず影響していて

素数2の時点で業のようなものを抱えているということではないか。

 

「いつも同じような目にあう」

「なぜか自分を傷つける人ばかり好きになる」

「挑戦しようとすることが毎回うまくいく」

「『トラウマの再演』のように繰り返し傷つく環境に身を置いてしまう」

「くじに当たる確率が他の人より断然高い」

このような現象も素数と素数から成るもっと大きな自然数と関連しているように感じる。

スピリチュアルの世界では「出したものが返ってくる」と言われる。

ある結果をもたらす原因は「行動」でななく、それを行った際の「エネルギー」。

自分の出したエネルギー・波動が巡り巡って返ってくるということ。

 

人の行動パターンも数学で現わすことができるかもしれない。

すでにAIがやっていそうだ。

 

曼荼羅は「本質」「宇宙」を表す。

また宇宙は自分自身でもある。

「本質」はすでに私の中にあり、あなたの中にある。

 

曼荼羅の中には自分がいて、

他者の存在や自分を支えるあらゆるものが配置されている。

自分もまた同時に誰かの支えになっていることがわかる。

 

完成した糸掛け曼荼羅のピンを一つ抜いみたらどうなるか。

糸をほどくと曼荼羅としてはもう成り立たなくなってしまう。

ピンが一つ無いというだけで、宇宙が崩れる。

 

すべてのピンがそろい、さまざまな色の糸は

人が抱くさまざまな「意図」のようにも感じる。

 

宇宙の中で、「個」として存在する自分から発した

思いや行動はほかの人を通して、

巡ってまわって、

最後に自分に還ってくることを因果応報と呼ぶ。

 

これは「個」としての枠の中で生きている次元でのみ働く法則。

素数の糸掛け曼荼羅も、

起点「ゼロ」からスタートし、

全てのピンに糸をかけ終わったときに

必ず最後、元の起点に戻る。

 

他人と自分は別の存在、

この世ではそうとらえるのが普通だ。

しかし本当は分かれて存在しているのではなく、

つながっていてすべては一つ、自分、宇宙だから。

 

誰かを傷つけた、誰かに親切にした。

そのような行為は巡り巡って還ってくるといわれている。

それは他人に対して行ったようで、

実は自分が自分自身に行った行為だから。

 

でもそれ「超えたら」関係なくなるのかも。

>>>>糸かけ曼荼羅は動的瞑想。作成のプロセスで起こることは自分自身を現す

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