心残りな体験、辛かった体験を「主観的に」語ること。心の鎧がそれを邪魔する

カウンセリング。主観的に語る。心のブロック・制限。

カウンセリングのセッションを受ける際、またはスピリチュアルケア提供者のトレーニングで

自身の体験を語る時に大切なのが

主観的に語ることと言われています。

しかし「主観的」と言われてもどのように語ればいいのか、

どのように伝えればいいのかわかりづらいなあと過去に私は思いました。

主観的に語るというのはどういう意味でしょうか。

主観的に語るとは?「自分だけの見方」ということ

自身の体験というのは当然過去に起こった出来事のことを語りますが

その体験を自分はどう感じ、どのような心残り、未完結な感情を感じているかということを語ります。

ありのままに感じた感覚を語ります。

例えば、子どもの頃の体験で習い事(ピアノ)に行きたかったが、

家庭の経済事情でその希望が叶わなかったという体験を語るとします。

その時に感じたとされる

「ピアノが弾けるようになりたい」という憧れの気持ちや

「友達はピアノを習っていてうらやましい」

「ピアノ教室の前を通るとピアノの音が聞こえてきて、私も習いたいのにと悔しくて泣いた」

「親に対してどうしてうちは貧乏なんだという怒りの感情がわいた」

などという風に語ります。

(実際の語りはもっと詳細になりますが、そこは割愛します。)

主観的にというわけで、自分だけの見方、偏見など偏った見方もあってOK、

心が感じたまま語ればいいです。

 

主観的に語ることは難しい?頭の分析が入ってしまう場合が多い

私たちは普段主観的に語ることをNGとされる場面が多いです。

あからさまにダメと言われるわけではありませんが、

その場の空気を読んで、自分が感じていることよりも

周りの意見に合わせるようなものの言い方をしてしまいます。

ですから先ほどの例でいうと、

ピアノを習いたかったが習えなかったという話を

「親も当時は大変で、私と弟のために一生懸命働いていたけどなかなか経済状況も好転せずに、

とうとうピアノを習うことはできなかった。親の状況はわかるんですよ・・・。」

 

「私よりももっと大変な子もいたし、うちは両親もいて弟もいてそれだけで恵まれているから贅沢は言ってはいけないんですが・・・。」

文章にするとわかりにくいのですが、

ピアノを習いたい!貧乏はイヤ!お父さんもっと稼いでほしい!〇〇ちゃんはピアノ習ってずるい!お父さんお母さん頑張ってるのに良くならないのもどかしい!状況わかってるけど我慢ばっかりイヤ!

という心の声を頭の分析でどうにか納得させようと押さえつけています。

普段の会話では頭の分析が優位になることが多く、

その癖にすら気が付かなかったりしますが

自身の心と向き合うには「自分の本当の気持ち」を拾い上げることがとても大切です。

頭の分析としてよくあるのが

「あの人、悪い人じゃないんだけど・・・」→本当はイヤ

「人と比べるのは悪いとわかってるけど・・・」→なんで私ばっかりこんな目に

「やろうと思ってたんだけど・・・」→やる気がでない。そんなにせかさないで

左が頭の分析、右が心の声です。

一例ですので、左の言葉が発せられた場合、毎回心の中では右の感情を感じているというわけではありません。

その都度、状況によって異なります。

主観的に語れない。そのこと自体があなたの抱えている課題

日常生活では主観的に語ることは少なく

周りの雰囲気を壊さないように頭の分析や合理化、「~すべき」といった

「道徳的にどうか」「人としてどうか」といったことが優先されることが多いです。

そのため本当の気持ちを語るということが難しいです。

本当に心の中を打ち明けられる人にしか話さないことが普通です。

そのような自分の気持ちを抑えないといけない環境で生きているからこそ

心の中に不満やネガティブな感情が蓄積され、

どんどん生きづらい状況になっていくため

それを受け止め解放される場が必要となるというわけです。

日常で感情を解放できればそれが一番いいですがそれが難しい。

ですから、傾聴だったり、カウンセリングだったり、グループワークだったり、セラピーなどが

必要とされるのです。

カウンセリングなどの場はまさに「主観的な」「自分本位の」話を聴く場でもあるのですが、

そのような場ですら人によっては「頭の分析」からなかなか抜けられません。

その場合は、どうしてそうなってしまうのか、

なにが本当の自分の表出を妨げているのか

ということが課題かもしれません。

自分本位な見方で語ってもいいとわかってはいても、ブロックされている状態です。

・本当のことを言ったら嫌われる

・怒られないように言動する、行動することが当たり前になっている

・自分でも頭の声の影響が強く、本当に感じていることがわからない

・いやだ、欲しい、嫉妬、億劫、などの気持ちを感じてはいけないと思い込んでいる

・自分を表現することに罪悪感を感じる

このような「心に鎧を着た状態」になっているかもしれません。

こうなってしまった原因は今までの人生の中で

自分の気持ちを表現することを許されなかった背景があり、

その部分にこそ抱えている苦悩の元があるような気がします。

 

私たちはみな、自分だけの心のフィルターを通してしか起こったできごとを判断できません。

同じ出来事でもAさんとBさんの受け止め方が異なるのは

それぞれの心のフィルターつまりものの見方が違うからです。

違って当たり前で、一人ひとりが自分だけの世界を生きているということです。

カウンセリングセッションや、スピリチュアルケア提供者のトレーニングで

主観的な語りが大切とされるのは

その語りの中にその人自身が映し出されるので

偏見をもってネガティブな感情を感じたままであってもそれを言ってもらっていいですし、

正直に表現していただくことで

その方がどのようなビリーフを抱えているのかが見えてきて気づきや癒しにつながっていきます。

主観的に語るのが難しいという場合

自分本位の見方で語ろうとしても、「他者はどうみているだろうか」という

他者の心のフィルターを想定した語り

自分の見方の中に他者目線が入った語りとなってしまいます。

そのこと自体が自分のフィルターともいえます。

そうなってしまう方はストレートに主観的な話ができる人に比べて

気持ちを抑えてしまうという制限や生きづらさを抱えているといっていいでしょう。

いろんな制限を自分に課しているからしんどいわけです。

このような場合でも、自分の感情や感覚に意識を向け、

他人の考えや理想、頭の分析との区別はできるようになっていきます。

「本当はこう感じる」

「本当は〇〇したい」

「本当は〇〇したくない」

どんな感情も欲望も沸き上がってくること自体は自然なことです。

まずは他者目線の頭の分析と、感情の区別ができるといいですね。

以下は、自分の気持ちを取り戻すのにヒントが書かれてある本です。
生きづらさから自由になる 気持ちのキセキ


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