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自己犠牲していないですか?本来の自分を取り戻そう。他人に優しくする前にまずは自分に優しく

本来の自分を取り戻す

人のために色々やっているのになぜかしんどい。それって自己犠牲ではないですか?

人に優しくしないといけない。

怒ってはいけない。

感謝しないといけない。

このようなビリーフ、価値観を割と多くの人が抱えていると思います。

親や先生といった存在もこのように振舞うよう言ってくるかことが多いと思います。

子ども時代はそれが正しいと思っていましたが、心のことがわかるようになった今では

このように言ってくる人自身が

「癒されてないんだな」

「我慢ばかりしてきたんだな」

と思えてきます。

確かにそう振舞った方がらくな状況というのはありますし、必要な場面もあるでしょう。

しかし、断りたいのに断れなくて自分を犠牲にしているのであれば本当にしんどいですよね。

あまりにも自己不一致の状態が続くとしんどくなります。

 

どうして

人に対して愛情も関心もないのに優しいフリをしないといけないのか?

本当は怒っているのに怒っていないフリをしないといけないのか?

「足らない。もっと」と思っているのに感謝しているフリをしないといけないのか?

 

生き生きと生きられないのはなぜなのか?

外の世界に現れる現象、出来事から何を感じ、どんなことに心をコントロールされるのでしょう。

私たちはあらゆる出来事を体験し、さまざまな感情を味わいます。

 

「過去の傷やトラウマの感情にコントロールされ、「今ここ」目の前のことに集中できない」

「過去の辛かった出来事が原因で今の生活がしんどい」

「誰かと揉めて怒りの感情のあまり殴ってしまい、後で後悔」

 

などの状況はまさに自分が「主」ではなく、感情が「主」となり支配されている状態と言っていいでしょう。

感情に振り回されている状態です。

怒りの奥にある本当の感情は何だったのでしょうか?

 

何度もこのブログで書いていることですが、「感情」自体は悪くありません。

自然にわいてくるものなので、

「怒り」があってもいいし、

「悲しみ」「苦しみ」「嫉妬」などの感情も

沸き上がればそれを「そうなんだ」と認めればいいのです。

 

感情に巻き込まれる状態の時、心の中で何が起きているのか

私たちの心の中はいろいろな感情が沸いては消え、沸いては消えの繰り返しです。

世間から良い人、聖人などと呼ばれる人であっても

嬉しい、楽しいという感情はもちろん、

怒りや嫉妬、不安、恐怖、性欲などの感情があるでしょう。

犯罪を犯すようないわゆる悪人と呼ばれる人であっても

同じような感情を抱くことはあるでしょう。

そしてごく普通の人々も同じような感情を抱くかと思います。

それでも「聖人」はあまり自分のことで苦しんでいるように思えないですよね。

(「聖人」とされる人みんながそうではないでしょうが、ほんものの「聖人」であればの話です。)

それは沸き上がった感情を流せるから

感情を感じたとしてもそれによって自分自身をコントロールされないからです。

感情に自分をコントロールされる割合が高いほど、

人生に苦しみや悲しみ、恨みや嫉妬、怒り、無力感、罪責感などを感じ、

それを流すことができずに

巻き込まれてしまうため、

生きることがしんどく、また自分の良いところを発揮できずに

苦しむことが増えていきます。

このように、感情に自分をコントロールされている状態を仏教では

「執着」だとか「煩悩」だとか言います。

キリスト教では「罪」という言葉で言っています。

神様の望む生き方に逆らっているという意味ですね。

心理学の用語では「コンプレックス」と表現することもあります。

要は、本来の宇宙の流れ、自分を生かし他者も生かすという神仏が望む生き方を邪魔するのが

感情にコントロールされる、感情に呑み込まれてしまうということです。

宇宙の流れに乗った自然な状態というのは、

無理せずとも他者への慈愛、優しさを発揮できる状態、

そして自分自身のたましいの喜びにもつながっている状態です。

(100パーセントのその状態になるのは難しいですし、

執着があるのは悪いことではありませんが、

それに心をとらわれるとしんどいですよね。)

そしてキーワードは「今ここ」で自分にも他人にも心を開いているということ。

考えれば考えるほどわけがわからなくなるのですが

本当は人生は「今ここ」しか存在しない。

過去も未来も「想像の中」にしか無くて、

その過去、未来に心がとらわれているから「今、生き生きと生きられない」ということ。

それができないというのは

やはりここ」以外に意識を持っていかれているから

「自分の満たされない気持ち(過去の痛み)」

「自分を守ろうとする気持ち(未来への不安)」

「うまくいかない、どうして自分ばかりがこんな目に(過去の痛み)」

と自分のことにとらわれて、

目の前のことに集中したくても集中できない状態になります。

また他者への思いやりの心がなくなり、自分のことばかり考える利己的な心が表面化することもあります。

 

感情に振り回されるという言葉で表現するとどうしても「怒り」などの激しいイメージを抱くかと思いますが、

無気力や不満といった一見「地味」な感情であっても、

自分の主体性を奪われることは同じです。

やるべきことが手につかない、

人の顔色ばかりうかがって本心を言えない、

物事を先延ばしにする癖がある、なども当てはまります。

だったらその感情は放っておいて、とにかく人のために行動すればいいのか

 

放っておくのではなく、

まずは気持ちにしっかり向き合うことで

感情のコントロールから徐々に解放されるようになっていきます。

今まで「ある」ものを「無い」ようにしてある意味放っておいた、

自分をごまかして我慢してきたからしんどいのです。

我慢してきた感情を今度は我慢せずに受け止め、

あの時本当は何が欲しかったのか、

誰にどうしてほしかったのかという置き去りにした本心を拾い上げるのです。

怒りの奥の本当の欲求

悲しみの奥の本当の欲求

嫉妬の奥の本当の欲求はなんでしょうか。

「そんな感情はあったらいけない。もっと強く優しくならないといけない。」と

本音をごまかして自分にうそをついて、別の自分になるよう頑張ることばかりを強要してきたことが

余計にしんどさの元となっているのです。

「それくらい我慢しなさい」とか

「もっと辛い人がいる。あなたはまだマシ」とか

「辛い状況でも耐えましょう。その力があなたにはある」とか

「人を悪く思ってはいけない」とか

「あなたの言動がどれほど人を傷つけたと思っているの」とか。

 

辛い、悔しい、腹が立つといった気持ちを親身になって

じっくり耳を傾けて聴いてくれた人はいたでしょうか。

自分の本当の気持ちを誰かに受け止めて認めてもらった、共感してもらったことが多いという人は

未完結の感情が少なく

感情に囚われて苦しくなるということは少ないかもしれません。

その都度、自分にも他人にも正直に心を開いて本心で接していると、心残りの感情の発生しようがありません。

一時的に怒りなどを感じても割とすぐに手放せるのではないでしょうか。

共感してもらうことが少なかった人、

さらには自分でも辛い気持ちを我慢してきた人、

苦しい感情がわいても「無いこと」にしてごまかしてきたという人は

過去に受け止められなかったさまざまな痛みが増幅して

「感情」が主となって振り回されているのではないでしょうか

 

外から見て感情に振り回されているのがわかやすい場合もあれば

未完結の感情を抱えているにも関わらず、

そのような行動にすら出さずに我慢を重ね

身体的、精神的な病気として現れる場合もあります。

身体も意識の一部です。

気持ちで表現できなかったことは身体に現れることは多いです。

他者に優しくしないといけない、怒ってはいけない、感謝しないといけない

道徳的には正しいかもしれませんが

本心ではそう思っていないのにそんなフリをしてきたことが問題です。

一体なにがそうさせてしまったのか。

「嫌われたくない?」

「いい人に思われたい?」

「自分で自分のことをいい人だと思いたい?」

「いい人でなければいけない?」

 

行動を変えても本心は変わりません。

まずは自分に対して優しくなりましょう。

怒りたいことがあったら安全な場を確保して怒りの感情を出しましょう。

できれば信頼できる人に聴いてもらって受け止めてもらうといいです。

感情に振り回されるというのは、心の奥の本心が雑草のように中途半端に出てきているということなので

刈っても刈っても終わらない。

もっと奥、根っこの部分を表面に引っ張り出し、

どっぷりとその感情を味わいつくすこと。

 

まずはそうやって自分に愛情を注げば

それが自然と他者にも流れます。

自分に優しくできた分以上に人に優しくはできません。

自分勝手なのではないかと思うかもしれませんが、自分に優しくすることが

心の執着を手放す方法のひとつです。

「大事にされなかった」ことが怒りや嫉妬、諦めや絶望、不安や不満などの執着を生むことのひとつでもあります。

自分を大事な存在だと思えるようになって

執着から自由になれば自然と他者に愛情を注ぐことができるようになります。

「フリ」ではなく本ものの慈愛です。

にせものではなく、心からの感謝の念を抱くようになるでしょう。

セルフモニタリングで一人カウンセリング効果

このような心の問題に向き合う場というのがカウンセリングやセラピーのセッションということになります。

自分で自分の心が見えてくれば

ある程度それが一人でもできるようになります。

瞑想も効果があり、瞑想することで自覚がなかった過去の傷などを思い出し、

洞察につながるということがよくあります。

 

あなたをコントロールする感情の奥にある欲求、望みは一体何なのか。

それが満たされていないから今辛い、生きづらい、人生つまらない。

一体何が満たされていなかったのか。

執着や感情を手放すにはそれを無かったことにするのではなく

しっかりともう一度感じ、

振り回される以上に、それにどっぷり入り込み

その正体は一体何だったのか

本当の欲求を今度は受け止めて満たすということが必要です。

 

そうするうちに感情に振り回されることが少なくなってきます。

感情自体が無くなるという意味ではなく、

以前ほど感情が力を持たなくなるということです。

過去のことを思い出して辛くて辛くて仕事も手につかなかった

思い出すと腹が立ってやけ食いが止まらなかったという状態

思い出したら今でも涙が出るけど、引きずることもなく、ちゃんと切り替えができるようになった、

やるべきことに集中できるようになった

という風に変わってきます。

例えて言うならとても悲しい映画を見て泣きまくった後

「いい映画だったね」と目の前の友人とディナーを楽しんでいるのと似ています。

以上、「他人に優しくするよりはまず自分に優しくすること」でした。

 

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