これは2019年の話ですが、友人や仲間に寄り添ってもらった体験から書いています。
一見優しい、柔らかい印象の方が多いですが、実はものすごい底力を備えている存在の力を感じました。
聴いてもらうことは存在を受け入れてもらうこと。聴く力のすごさを改めて実感しました
これは私自身の体験から学んだことです。
話すことと、聞くことと、どっちが重要?どっちがインパクトある?って考えたら、大半の人が「話すこと」を選ぶと思います。
「聞くこと」、いえ「聴くこと」は一見地味で、目立たないので、何もやっていないように見えるかもしれません。
特に、普段自分が話すことに重きを置いている方の場合、聴くことがいかに力を持っているかなんて想像もしないのではないでしょうか。
話が上手な人は人を笑わせたり、納得させたりと、人の心をつかむのが上手ですし、そういう人のエネルギーによって元気づけられたりもします。
しかし、自分が悩んで落ち込んでどうしようもない時、ただそばで静かに誰かに話しを聴いてもらうということがどれだけ心強いでしょうか。
悩み自体は解決できなくても、どうにか生きていける、気力がアップするということを身をもって体験しました。
一人で悶々と悩んでいるだけではなかなからくにはなりません。
生きていると本当にいろいろな「問題」が降りかかってきます。
死別や離別、虐待、会社の倒産や犯罪、借金、不倫、就職活動の失敗、いじめ、子育ての悩みに自然災害、病気、依存症、家族との関係・・・・・・。
自分に落ち度はなくてこういう状況に巻き込まれる場合もあれば、良かれと思ってとった行動が失敗してしまい、結果破滅的な状況に陥るということもあります。
私の場合、後者のことを体験しており、数週間前まで精神的には問題なく、意欲も気力もある状態でした。
状況は悪かったのですが、自分のやっていることに対して信念があったのであまり気にせずにやってきておりました。
本当に「良かれと思って」の行動であり、社会にとっても自分にとっても、そしていずれは家族にとっても良い結果になると信じていました。
正直に言うと今でもそう信じていますが、今一時的に家族とのことで問題が出てきています。
詳しくは書きませんが私への不信感を感じさせる行動をとってしまい、ただただ誠実に正直にうそをつかないでいることを心がけるしかないという今の心境です。
自分でももうどうしようもないくらい、限界に達してしまったのがつい先日。
自分を信じて活動を続ける一方、やってもやっても大変、自分でどうにかしようコントロールしようと色々と手を出してしまった、家の家事なども私にばかり負担がかかり終わらない、「大変やから手伝って」と伝えようとするが気を使って家族とのコミュニケーションから逃げてしまう。負担が増えて重要なことにすら意識がまわらず、別のところにひずみが出てしまう。
急に燃え尽きたのか、うつ状態になり、意欲にあふれた状態だったのがうそのようにどん底状態にまで精神状態が悪化しました。
「実はしんどい」ということを夫にも正直に話し、数人の方に話を聴いてもらったり、メッセージをもらったりしました。
真剣に耳を傾けてくれる人がいる。
今回の件は私自身のどうしようもなさが原因なのですが、そのどうしようもない私の話を聴いてくれる人がいる。
うつ状態のようになり、なんの気力もわかない状態でこの先もう何もできないんじゃないかというほどの落ち込み状態が、元の状態に近いところまで持ちなおしました。
一人で考え込んで、お先まっくらだと思っていましたが、状況は変わらずとも気分は全然違います。
誰かが真剣に耳を傾けてくれるということが、こんなにありがたい。誰かに支えられているということによって力が戻ってくるのだとあらためて実感しました。
今回のことで夫からは活動を自粛してほしいと言われているのですが、聴くことの力のすごさを身をもって体験したので、これは絶対に社会に必要なことなのだという認識が強まりました。
しかし夫のことは大事なので、まずは夫の心を安心させることが私には必要です。
さまざまな痛み、悩み、苦しみ、スピリチュアルペインと呼ばれるたましいの苦悩を抱えている人たちにとって、真剣に耳を傾けてくれる人の存在は絶対に必要だと思いました。
もう死んでしまおうかと思い詰めている人はいっぱいいます。
そのような人たちを放っておくわけにはいかない。
抱えている問題自体は聴くことによって解決はできないことがほとんどですが、解決はできなくても、
そのままの自分を受け止めてもらうことで、本当に不思議ですが力が戻ってきます。
ほんのちょっとの力かもしれませんが、「生きていけない」と打ちひしがれている状態が、「ちょっと生きてみよう」と戻ってくるのです。
繰り返し、聴いてもらうことによって、徐々に自分の力を取り戻していき、問題を抱えている状況はあまり変わらなくても、心はずいぶんとらくになります。
グリーフケア・スピリチュアルケアの活動は社会にとって絶対必要だとより一層感じました。
しかしながら人間の根源的な苦悩を、ありのまま受け止められる人、スピリチュアルケアの専門職や臨床宗教師といった援助者がその役割を担うのでしょうが、まだまだ少ないのが現状です。
そしてまた、このような専門職の人たちが活動していくにはちゃんとした収入にならないとやっていけません。
今回私がうつ状態になったというのはお金のことが原因です。
信仰をしているということもあり、私のやっていることは大いなるものの意思でもあり、社会にとって必要なこと、だから絶対に野垂れ死ぬことはない、大丈夫、神様・仏様がちゃんと生きていけるように守って下さると信じるといいつつも、どこかで「ほんとに大丈夫かな」という自分自身の迷いも抱えての歩みでした。
それでもまだ「私のできることはほんの小さなことではあるけれど、人類のためでもあるし、自分の本質で生きる姿を見せることは子どもたちのためでもある、なにより宇宙の意思、大いなる存在が望んだことでもある」と私は感じています。
同じようにグリーフケア・スピリチュアルケアがこの社会に必要という信念を持って活動している仲間の存在があり、私がここでつぶれるようなことがあっては、社会に必要なことをする意味がわからなくなります。
グリーフケア・スピリチュアルケアをやりたい思いが強くても、できない、辞めようという人が出てくるでしょう。
人のため、社会のために活動をしているのに、家族を傷つけ不幸にすることになっては意味がわかりません。
スピリチュアルケアの軸の部分でもある「信仰」は一体なんだったのかということになります。
長くなるので、以下の記事に続きます。
読んでくださりありがとうございました。
>>>>スピリチュアルケア専門職・臨床宗教師が職業として認められることが必要
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