ケアとは、目の前にいる人の本来性の発現を助けること
その人がその人自身でいられること。飾らず、取り繕わず、ありのままのその人でいられること。
またその人が自分をよく見せたい、取り繕わないとやっていけないという気持ちを抱いていたら、それもまた、「そんな気持ちなんだね」とありのまま受け止めるということ。
ミルトン・メイヤロフ著「ケアの本質―生きることの意味」。英語版「On Caring」タイトル通り、「本質」を語ってくれていて、何度も読み返したい本です。
スピリチュアルケアが行われている現場というと医療や福祉の現場がまず挙げられます。
そういった現場では患者さんや利用者さんがその人らしくいられるようサポートします。
スピリチュアルケアはなにも特殊なことではなく、日常生活の中で自然と行っていることもあるでしょう。
子育てにおける親子関係もそうですし、先生と生徒という教育の場やスポーツの世界でもそうかもしれません。
目の前の我が子や生徒さんが、めいっぱいその子らしさを発揮して生き生きと生きていけるよう、サポートする。
自然とこれができている親御さん、先生方もいらっしゃるでしょうが、普通はとても難しいのではないかと思います。
ついつい自分の思い通りに子どもをコントロールしたくなったり、理想とする方向へ誘導したくなったりします。
「それ、子どものためじゃなくて自分がらくになりたいからだよね。」そう思わざるを得ない親御さんの言葉や行動、結構ありますよね。
また、「こんな話は辛すぎて聴きたくない」という思いからつい無意識に別の質問をしたりして話題を変え、逃げることもあるでしょう。
ケアをする側が自分自身の本来性、本当の自分で生きている以上のことは目の前の人にはできません。
完璧に「本当の自分」で生きている人はほとんどいないでしょうが、ある程度の自己実現ができており、日常に少々の不満や嫌なことも抱えながらも、それでも自分自身をちゃんと生きているという感覚を持っている人。
他人の「あなたはこういう人だから」という決めつけに屈しないで、「私のありかた」で今ここにしっかりコミットして生きている人。
自己受容ができており、短所や欠点、苦手なこと、情けないところ、大きな心の傷や悲嘆、そういうものを抱えながらも、「こんな私だけど、自分が好き」と自己肯定ができている人。
簡単にいうとどんな自分であっても自分を愛している人。
自分を愛している以上に人を愛することはできない。誰かのケアをしたいのであれば、まずは自分がケアされることが大切になります。