悟後の修行。悟りの後の修行ということですが、ここで語句の説明を簡単に。
人によって呼び方は異なるでしょうが、多くの場合、
「悟り」というのは定着した状態を言うとのこと。悟ったらずっとその状態。
修行が必要となるのは定着していないから必要となるのですね。
そのような一時的な体験は悟りというよりも「覚醒」「一瞥体験」と呼ばれています。
その後また元通りに眠ってしまう場合も多いのです。
一瞥というのはちらっと見たという意味。
覚醒も一瞥も一時的な体験ということになります。
悟りと同じ状態を一時的に体験するものの、戻ってしまうのですね。
戻ってしまうというのは、普段の状態。
何か作業をしながら別のことが気になってしまったり、人と話していても取り繕ってしまったり・・・。
過去のことを引きずって今目の前のことに集中できない、未来への不安が気になって本心からやりたいことではなく、その不安を解消するための行動を取ってしまう・・・。
「今ここ」にいられないというのは、意識が過去の心の傷だったり、未来への不安など別のことが気になってしまう状態であり、そうなってしまうのは仕方ないですが、過去・未来は「幻想」、真実は「今」しか存在しません。
ずっと覚醒している状態が悟りになります。
そのような状態というのは常に「今ここ」で心を開いて目の前の人・ことに対応していくこと。
まずは自分の心、どう感じているのかということを自分にうそをつかずにキャッチしていくことから。
「今ここ」で心地いい時間を増やして、まずは自分自身を満たすのですね。
今いかに幸せで満たされているか。
その「満たされた今」を感じる時間を日常で増やしていく。
悟後の修行、これは一回でも真実の世界をかいま見て、気づいた人であれば、上記のことが理解できるかと思います。
そして、悟りや覚醒などということをいちいち意識していない、普通に生きている人、周りの人の方が私よりも「今ここ」に生きているんじゃないか。
あれ?今ここにいなかったのは私の方なのかな。
ひょっとすると私が今ここでいられることで、そう見えるのかな。
最初から世界は優しかったのかな。
などという感覚を感じたりします。
でも難しいのですよね、幻想とはいえ過去や未来に気持ちが行ってしまうものです。
それもまた、残っている業を燃やしているのだと思います。
一瞥体験をしたからといって、その時は至福に包まれますが、それがずっと続くわけではなく、精神的に辛い時もありますし、人とももめることもあるでしょう。
ふとした景色や人の言葉で、過去の心の傷が開いてどんぞこまで辛くなったり、「今ここ」でいられる時間が増え、覚醒している時の意識状態に近づくと今度はどうしようもない恐怖や不安が襲ってきたり・・・。
私の場合も色々とありますが、あの一瞥体験の感覚が戻ってくるときは周りの人に対して本当に愛と感謝の念が強くなり、本当に幸せな気分でいられますが、しばらくすると逆に家族に何かあったらどうしようなどものすごく不安になることもありました。
今もまた覚醒した状態が戻ってきつつあります。スピリチュアルケアの研修を受けた時と似た感覚で、非常に敏感になっている時期ですね。
また不安は出てくるかもしれません。
そして、究極のところ、すべての人がみな本当は悟っているのです、気が付かないだけで。