糖尿病を患い、さらに認知症まで患っていた父方の祖母について過去に書いた記事をアップします。
亡くなった人は、生きているときのみならず、
亡くなった後も私たちを支えてくれる大きな存在のような気がします。
祖母が認知症になり、生前の姿からはかけ離れたまるで別人のように変わっていくのを見るのはとても辛いことでした。
祖母は若いころ助産師をしていたそうですが、
私が生まれたのは祖母が65歳のとき。
祖母が亡くなったとき、私はほとんど祖母のことを知らないということに気がついたのを思い出します。
認知症だった祖母のこと
昨日、藤川幸之助さんの講演「支える側が支えられるとき~認知症の母が教えてくれたこと~」に行き、高校入学前に亡くなった父方の祖母のことを思い出した。
祖母は私が小学四年頃に認知症が始まり、約6年後に亡くなった。
私が初孫だったこともあり、大変かわいがってくれた。
本当に愛情をかけてもらったと思うし、私が入院中にテレパシーで話した(!)のは多分祖母だと思う。
テレパシー自体、脳の現象の一つだったらそれまでなんだけど。
それくらい今でも思い出すし、亡くなってからも祖父、祖母ともによく夢に出てくるのだ。
おそらくアルツハイマー型認知症だと思うが、初めは誰かにお金を取られたという被害妄想が多かった。
次第に家族のことも忘れ、自分の子である父、夫である祖父のことも忘れることが多くなっていった。
調子のいいときもあり、確か私が中2のときはバスに乗って遊びにきてくれたのだ。
記憶が徐々に無くなり、性格もまるで別人のようになっていく様子を見るのは私も辛かった。
亡くなる2,3ヶ月前は真冬にも関わらず家の中で素足だった。
もはや寒さを感じることも出来なかったようだ。
そんな祖母を祖父が支えていた。
具合が悪くなって入院し、母が祖母のおむつを変えるときに「いたい、いたい。」と言っていて、「あ、まだ言葉が喋れるんだ。」と少しほっとしたのを思い出す。
その数日後に亡くなった。
記憶が無くなっていくのは本人にとっても辛いだろうし、見ている家族にとっても辛い。
これも喪失の一つだ。
亡くなった直後は「お化けになってもいいから姿を見せて欲しい。」と数週間思っていた。
その人に会えたら最高のグリーフケアになるのにと思う。
たとえ今はもうこの世にいないとしても、未だに生きている人の心に愛を与え、影響を与えている。
私だけでなく、みんながそんな体験をしていると思う。
肉体はもうないけど、思い出すとやっぱり心の支えになるし、自分の持っているものを誰かのために使おう、人のために与えようと元気が出てくる。
入院中のあのテレパシーは妄想かもしれない。
医療では「せん妄」として扱われるだろうし、脳のある部分を刺激するとテレパシーのような感覚を得ることも知っている。
そうだったとしてもあの時は安らぎと親しみを感じた。
その後の人生に大いに影響したのだ。
そしてあの時、お世話になった助産師さんとは今でも縁が続いている。
もしかしたら、生前助産師をやっていた祖母が引き合わせてくれたのかもしれない。