昔は不安が強い人間でした。

この記事は自分自身の物事の受け止め方を振り返って書いています。

コロナのことで強い不安を感じている人が多い中、私自身は不安はあまり感じていません。

これはかかる可能性がないと思っているわけではなく、私も家族もかかる可能性もありますし、かかって死ぬ可能性もあるとは思うのですが、感情的に不安に振り回されなくなってきたということです。

いつのまにこのような物事の受け止め方に変化したのかなあと思いますが、自分の内面を見つめ、真理の探究に夢中になっているうちに色々なことがわかるようになり、こうなっていました。

元々は不安を強く感じるタイプの子どもで、幼少期は擦り傷程度のケガであっても心配で心配でたまらなくなった記憶があります。

よく転んでひざを擦りむくことが多かったのですが、その時は消毒が不十分でカサブタが黒っぽくなってしまっていたのですね。

ばい菌が増えているからこんな色になったんだ、このまま全身にばい菌が広がったら大変なことになる。死ぬかもしれない。

と子どもながらに本気で心配し、親に言うと余計に過剰に反応されることでより一層心配が大きくなるのがイヤで、自分一人で抱え込んでいました。

ばい菌が広がるのが怖くて、自分でその黒くなったカサブタをはがし、消毒し、ばんそうこうを貼って治るのを待ちました。

これが5歳の頃です。

他にも似たようなエピソードは複数あります。

風邪でのどが痛くなった際も、本当はもっと重い病気なのではないかと思ったりもしました。

大きくなるにつれこのように過剰に不安になることは減っていきました。

自分自身の体験から得た教訓としてですが、浄化反応として、病気だったり事故だったり、一時的に痛い目に遭うのだなということが腑に落ちているので自分の中に浄化する必要があって、必要なことが起こっているのだなと思えるようになりました。

実際に死に直面して、死の先があるのだ、この世とは別の次元が存在するのだと感じてから、死に対する恐怖がずいぶんと薄らいだように思います。

ですので、実際に病気になったとしたら肉体的には苦しむことは苦しむでしょうし、死ぬ可能性もあるでしょうが、不安な気持ちはほとんどないのです。

死ぬ瞬間、一瞬恐怖を感じたとしても、その先もまた意識は続くと本当に思っているので、死ぬことに関してもその時が来たらそれはもう仕方のないことと思っています。

今、コロナで生活が激変したので、そのことで自分のやりたいようにやれないもどかしさや閉塞感の方が不安よりも強いです。

それから、私だけが平気であっても、コロナ感染を不安に思っている人が大半であり、実際に誰がかかるかはわからない状況です。

不安を感じている人が大半な中、その思いに寄り添うことはやはり大切だと思っています。

マスクをしたり消毒をしたり、活動の形態を変えるなどということをしていますが、これは自分のためというよりも接する人を不安にさせないという意味の方が強いです。

「コロナのことは平気だだからマスクはしない」と私一人が言ったとして、私に接する人にとってはかかるかもしれない恐怖を感じるわけで、それは愛ではないですからね。私の行動は自分勝手ということになってしまいます。

それほど不安に感じていないのは事実であり、このことは人よりもかなり精神的にらくなのだと思います。

幼少期の自分とは全く違うことに自分でも不思議です。

スピリチュアルケアの「寄り添い」にも似ています。

自分自身は神様や大いなる存在を信じていて、死後の世界もある、日常も常に守られている、と確信していたとしても、目の前の苦悩を抱えている人が「神も仏もいない」と言ったら、やはりその気持ちに共感します。

私にとっては、神も仏もいる。しかし、人それぞれ、信じている世界は異なりますし、人は自分の信じた世界の中に生きているので、その人にとったら「神も仏もいない」というのは実感として本当に感じていることなのです。

自分の考えは自分の考えとしてお伝えすることはあるかもしれませんが、「あなたもそう思わないとだめですよ」などと押し付けることはありません。

 

コロナのことも、人それぞで、受け止め方が違うと思います。

かかってしまって実際に亡くなる人もいらっしゃいます。お別れもできない状況というのは、自分でも現実だと受け止めることが難しく、後の人生にも影響を与えるのではないかと思います。

また別の病気で入院中であっても、コロナ感染防止のため、家族と会えないという状況もあります。

またコロナのことで差別や偏見が怖くなっている方もいるでしょう。

経済的なことが最もしんどいという方もおられるでしょう。

自由に動けないのが辛い、人と会えないのが辛いという方も。

それから逆に多くの活動がネット上で行われることによって、今までは遠くて交流が不可能だった人ともネットで繋がれるということもあります。

コロナに限らず、何か起きた際、思考や感情が反応するわけですが結局は自分自身の中に答えがあるというか、「本当はどうしたいの?」ということが問われているように思います。

それから本当に進みたい道に進み始めた人にとっては「本当にそれをあなたはやりたいの?」「本気なの?」ということも問われているように思います。

問われているというのは、内なる自分に問われている、ということです。

愛からの行動なのか、恐れや不安からの行動なのか。

今日も読んでくださりありがとうございました。

 

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