この記事は日記です。
このブログにはあまり家族のやり取りは書かないようにしてきたのですが、今回は書いています。後日削除するかもしれません。
つい先日母が事故に遭い入院。本当なら今日の夜見舞いのため帰省するはずだったのですが、コロナの感染予防のため県外の人は病院に入ることができないとのこと。
実家の手伝いなどもあるので行きたかったのですが、大阪から帰ってこられても万が一コロナに感染していたとしたら大変なことになるので来ない方がいいと言われてしまいました。
入院しているのは個室ということで、おそらくこれもコロナ対策なのかなと思いました。普通大部屋になると思うので。幸い部屋が空いていたということもあるのでしょう。
見舞いも制限され、人との交流時間が減るというのはしんどいですね。特に入院中というのは、自分の身体の苦痛もありますから本当に大変だと思います。
父はまだ一度も見舞いに行っていないらしく、逆に母に対して怒りをぶつけたということを聞きました。
追い打ちをかけるように、色々なことがますます苦しさを増しているようにも感じます。
見舞いにも行けない、実家の手伝いもできないというのは無力を感じます。
母の姉であるおばも同居していますが、もともと障害があるのと高齢なので、しばらく施設でお世話になるとのこと。
弟夫婦が近くにいるので色々やってもらっています。本当に感謝です。
私自身、やっとライフワークでやっていけるかも!と意気込んだ矢先に強烈な不安が押し寄せてきたりという過去があります。
そこからはもう抜けたのですが、自分を支えてくれる仲間、素の自分でいられる場ができるにつれ、逆方向に働く力に気づくことがあります。
私自身は心の声に従い、本当に自分の思う道を進もうかどうしようか、もう迷うということはないのですが、今回の母のこともそうですが、家族の誰かが問題を起こしたり問題に巻き込まれたりと、ここ数か月なかなかハードでした。
2月には夫が事故を起こし(自転車の女性が止まらずに飛び出してきた。)、これも大変だったのです。
娘も最近では大学の授業がほぼほぼオンラインになったため、課題の提出やらなんやらが追いつかずに、単位を落としそうな科目が出てきました。心配した先生から連絡があり、そのことで夫婦で大学を訪問。
対面での授業だったらこなせるであろう課題も、メール連絡になると見落としだらけになるようで・・・。
丁寧で親切な先生には本当にお世話になっています・・・。
幸い今まで自己探求を続けてきて、こういった現象も自我の働きが他者を通じて現れたものなのだとわかっているので、冷静に対応することができています。
しかしまあ疲れは感じています。
コロナでなかなか一人の時間が取れず、もっと濃く深い内容の記事を書きたくても、その意識状態まで深めることが難しいですし。
一定の深さで集中ができれば色々なことがわかるのです。意識に降りてくるのですが、集中が途切れるともう書けないのですね。
瞑想する頻度も減りました。丹光と呼ばれる光は見えます。そして最近はたまに映像が見えたりします。幽体離脱も月に2、3回あります。
こういった現象にとらわれると変な方向に行ってしまうこともあるので注意ですが、瞑想して心を浄化するのは、自分の人生を自分らしく生きていくためです。
この自分だからこそできることをやって、誰かの役に立てることをして、生きたいように生きていくためです。
なかなかそれが難しいのですが、それを邪魔しているのがまさに自分で自分にかけた制限や思い込みなのですね。
ブレーキをかけているから、自分らしくしたくても、それができない、他人の顔色をうかがってしまい、生きづらさを抱えてしまう。
それを解放していくのが瞑想であり、自分を見つめることであり、他者の助けを借りるのであれば、スピリチュアルケアやカウンセリングがその方法ということになります。
瞑想中に光が見えたり、幽体離脱を体験したり、ある種の超能力が芽生えたりするのは、本来の自分になる途中で出てくる能力であり、そのような現象が出てくるということは、それなりに進歩しているととらえるようにしています。
コロナのことも、結局は自分の心が外の現象に現れているので、自分を含め人間の集合意識で気づきや癒しが深まるとコロナも落ち着いてくるのではと思います。
以上、日記でした。
読んでくださりありがとうございました。