2012年に執筆した記事です。言葉足らずな部分、説明不足の部分がありますが、
そのまま載せます。今になってようやく、この時に何が起きていたのか、
どの次元に繋がったのかなど、少しわかってきました。
体験自体は2007年です。
入院中、「千と千尋の神隠し」を見ていたら頭に電流が走ったという話。
興奮してその日はあまり寝られず・・・・。
次の日の朝。
輪廻転生を象徴したような夢をみた。
詳細は忘れたが、「畏れ、優しさ」を感じた夢だった。
目が覚めてからも昨晩の啓示?のことが頭から離れず、それどころか何だか不思議な精神状態なのだ。
「全てがわかるようでわからん。わからんようでわかる。」
頭の中ではこの世のことが全てわかるような全知全能感みたいなものが勝手に沸いてくる。
同時にぼ~っとしていて把握しきれない感じ。
その「変な感覚」がずっと続くわけではなく、通常の意識状態に戻ったりもする。
言葉では伝えるのが難しい。
あまりに変だし、「何もかもがわかる」という感覚は妙で、この状態はこれから先ずっと続くのか?と思い、昨晩のことと合わせてノートに書いておいほどた。
そのとき、意識の中に勝手に入ってきた情報?考え?というのはこんな感じ。
・・・・周りのもの全てに意味がある。
人はみんな全てを知っている。
普段は意識していないけど、心の奥では全て知っていて、
ふとしたせりふ、意図しない会話にもその叡智からの情報を伝えることがある。
意識せずに言った何気ない言葉が、真実を伝えていることがあるのは、
表面では何も知らなくても本当は心、魂で知っているから。
普段は「知っている」という感覚はない。
人はみな一人でぽつんと存在しているのではなく、互いに支えあっている。
生まれてくること、仕事をすること、全て人と関わっている。
この世にいらない人間なんていない。
みんな意識しなくとも誰かの役に立っていて支えあっている。
「コーナン」(ホームセンター)のレシート一枚でさえ、
意味のないものではなく、意味がある。
レジを打った人の名前が責任者として記録されているし、
ものが作られて、売られて、買うという行為によって生み出された一枚のレシート。
背景には多数の人が関わっている・・・・・・。
財布から出したそのレシートを感慨深い思いで見て、
「はあ~すごい、一枚のレシートにこんな意味があるんかあ。でもこれはもう必要ないから捨てよう。」と捨てた。
(本当にたった一枚のレシートが存在する背景には、紙とインクとレジがなければならないし、その紙が作られた経緯とかレジの機械が作られた経緯を考えるだけでも多くの部品から成り立っているわけだし、その中のネジ一つでさえ、作られた背景には多くの人が存在する。)
時折、通常の意識に戻るのだが、周囲のなにもかもが機械のように完璧な働きをしているということを感じる。
自然もそうだし、人間もそう。私もそう。
人の行いに「間違い」はない。
全部神が想定した範囲で動いている。
原因があり、結果がある。
人も出来事も単独で存在するのではなく、
相互に関係しあって絡み合いながら現実が創られていく。
そして細胞、人間、家、地球、宇宙のなにもかもが循環している。
同じ状態が続いているというのは一瞬もない。
全てのことが狂いなく完璧な動きをしている!
まるでスーパーコンピューター。
・・・・考えようとしていないにも関わらずこういう情報が勝手に入ってくるのだ。
(大学の哲学の授業で習ったことが記憶の片隅にあってそれが表面にでてきただけかもしれないが)
昨晩の寝不足もあり、午前中かなり眠たい状態だったが眠れなかった。
文章に書いてしまえば、普通にこの世のことを認識していて当たり前のことを書いているように感じるかもしれない。
いや、当たり前のことなのだ。
「当たり前やのに何で今まで気づかへんかったんやろう!」
「こんな簡単なこと知ってたはずやのに、忘れとった!」
大学時代にちょっとだけ哲学の授業を取っていたり、
入院する2年前ほどから江原啓之氏の本が面白くて読んでいたことも影響しているのかもしれない。
あまりに変な状態と、普通の状態が繰り返された。
売店に行ったり、看護師さんが来たりすると普段の状態に戻る。
買ってきた飲むヨーグルトを飲み、眠気があるので寝ようとしたら、
また勝手に頭の中に情報が入ってきた。
20歳のときに夫と出会い、付き合っていたときのことだ。
そのときもこの入院同様、夫は色々と私のことを助けてくれた。
このことは付き合っている当時から自分で意識していたし感謝していたが、
それが本当に涙のでるほどのことだったと魂が震えてベッドの中で涙が止まらなかった。
夫は私の心を救ってくれたのだ。
考えよう、思い出そうとして夫との出会いのことを思い出したのではなく、
本当に心が勝手に思い出していて、夫にとっても私との出会いが良いものだったと頭に入ってきた。
涙を流していたら助産師さんが入ってきたが、特に泣いているわけを聞かれるわけでもなく、点滴等の処置をして出て行った。
この助産師さんにこの日の午後再びお世話になり、
私の人生に影響を及ぼすことになる。
夫との出会いに今更ながら運命の赤い糸を感じ、
この感動を伝えようと公衆電話から夫に電話をし、
ぜひこの感動を伝えたいから午後の見舞いは一人で来て欲しいと言った。
・・・運命の赤い糸、複数あるかもしれないが(爆)追記
続きます