ペットロス。愛犬の死から50日。

7月23日に飼っていたわんこの「元気ちゃん」が亡くなりました。それから50日。

3週間か4週間ほど前でしょうか。

朝の散歩の時、元気を可愛がってくれていた優しい近所のおじさまが

「今頃天国で『私良いとこで飼ってもらっとってん』って自慢してますよ」と。

こんな嬉しい言葉をかけてくださるなんて、と泣きそうになりました。

 

亡くなってから毎日毎日、一日の最初朝起きたら一番に、一日の最後夜寝る前も元気のことを思い出す生活です。

特に夜は泣きながら寝ることも多いです。

この先、他のどんな楽しみを体験したとしても、元気の存在の埋め合わせはできないな、と実感しています。

私は自己研鑽のために自己投資をするのも好きですし、丁寧に作られたアクセサリーや洋服、家具などに囲まれて、それらを見て、目を喜ばせることが大好きです。

なかなか買えませんが高級ジュエリーも大好きで、「あれが手に入ったらものすごく嬉しくて大喜びするだろうな。そして何年も大切に使うんだろうな。楽しみ~。」と、想像するのですが、それが手に入ったとしても、元気の存在には叶わない。

もし神様に

「この先収入が大幅にアップして、好きなだけ高級ジュエリーが買える生活」か

「この先収入はきつく、高級ジュエリーは一つも買えないけど奇跡が起きて一日だけ元気と一緒に過ごせる」

どちらかを選べるよと言われたら・・・・。

やっぱり後者を選ぶ。

好きな物というのは見ているだけで幸せになりますし、自分に力を与えてくれるセラピー効果もありますが、それでも、生きているいのちであった、唯一無二のあの子という存在は誰も作ることができないし、あの子があの子でいる、あの子だからこそ、可愛いし愛おしいのです。

物で心を満たすこともそれはそれで幸せを感じますが、物の場合は手に入れた先にある「本当に感じたい感情」を感じられればOKなわけで。

究極のところ物自体が無くても、その感情さえ感じられれば満足なのですね。

でも、「いのち」の場合は、今回は元気というわんこですが、ご家族だったり友人だったり、その存在が「わたし」に向かって語りかけてくれたり、「わたし」の反応によって相手もまた変わるというか、相互のやりとりがあり、お互いに影響を与え合うというか・・・。

だから、たとえ収入が大変だとしても。たった一日だけでも、奇跡が起きて会うことができたらどんなに嬉しいか。

その一日が、一生の中でも最も大切な一日になるでしょう。

元気の他にも家族はいるので、大切な日というのは本当は毎日がそうなのでしょうが・・・。

家族や友人、一人ひとりが唯一無二でかけがえのない存在であり、今何気なく過ごしているこの瞬間も本当はありえないくらい奇跡的な瞬間なのですよね。

毎日元気の声を思い出し、耳や頭、背中を撫でたときの感触を思い出し、噛まれた時に手に当たる歯の硬さを思い出し、「元気ーーー!!」と大きな声で呼んだ時の自分ののどの動きを思い出し・・・・もう同じ体験は二度とできないのだなと。

元気のことを思い出す一方で、やはり心の防衛が働いているのか、お金を貯めてあれ買いたいこれ買いたいと色々考えてしまいます。

他にも、身の周りを整理したりお金のことやら家族の保険やら、面倒くさいという思いからちゃんと直視できておらず、今までなんとなく把握する程度だったのを、はっきり明確にわかっておきたいなと、色々と引っ張りだしてきて整理やらお金の計算やらをしております。

元気以外の別のことに気を逸らしたいのでしょうね。

この喪失はしばらく続きそうです。

 

今日もお読みくださりありがとうございました。