7月23日にうちのわんこ「元気」が亡くなり3週間。
3週間経っても散歩コースを歩きます。毎日元気を撫でたときの柔らかい毛の感触、抱っこした時の重み、カツカツ鳴る足音、声を思い出しては、生きていたあの日々がどれだけ大切で尊く、貴重なものだったのかと・・・。
今はこの本をゆっくり読んでいます。
ありがとう。また逢えるよね。 ペットロス 心の相談室 増補改訂版
肉体を去った後も、たましいは残るよね、それを感じたいよね、と。
「元気の足音聞こえないかな」
「お供えちょっと減ってないかな」
などと、姿は見えなくてもたましいとなった元気の存在をどうにかして感じたいと思ってしまいます。
この話に関しては不思議なエピソードがあるのでまた別の機会に(*^-^*)
今回は亡くなった直後から私と家族の心境がどんな風に変わっていったのか綴っていきたいと思います。
23日の昼過ぎに夫の抱かれた状態で息を引き取った元気。
闘病期間といっても約3か月弱。
当日は調子が悪いものの病院に行って処置を受ければ回復すると思い込んでいて、まさか亡くなるとは思っておりませんでした。
私は前日の夜中に元気の発作の対応で寝れなかったこともあり、23日は午前中病院から帰宅した後1時間半ほど昼寝をしたほどです。
そんなに悪い状態であれば病院は「入院」を勧めるだろうと思っていて、実際には勧められなかったので大丈夫だと思って眠気がやってきたのだと思います。
次女は自室で勉強をしており、夫が元気を見てくれていました。
帰宅後しばらくは落ち着いていたみたいなのですが、また発作が起きるようになり、夫が抱っこすると落ち着いたそうなのです。
長女はそんな様子を心配しながらバイトにでかけていきました。
私は少し寝た後に、夫の昼ご飯を用意し、夫が食べている間元気を抱っこして、垂れてくるよだれを拭いていました。
夕飯の食材が無かったので、その後スーパーに買い物に行きました。
その間また元気を夫に託して。
その時もまさか死ぬとは思っておりませんでした。
病院で座薬もしたので、しばらくしたら落ち着くのではないかと。
ただ、状態が悪いのはわかるのでまたすぐに病院に連絡しないといけないかもしれないとは考えておりました。
帰宅後、息も絶え絶えになっている元気の様子を見て、夫が「絶命するんとちゃうか?」と。
近寄った際にはもうほとんど息を引き取る瞬間で、
「え?うそやろ?」
「え?」
「亡くなった・・・・?」
「え?うそやん。」
「まだ息しとるんちゃう?」
次女を呼びに3階に。
次女には「元気が・・・」としか言えず涙をこらえることができませんでした。
「え?なんでもっと早く言ってくれんかったん!!」
と元気の様子を見るなり次女が怒っていましたが、
「今の今まで生きてたんや」と夫。
床にタオルとペットシーツを敷いた上に元気を寝かせ、次女も私も何度も何度も元気の顔を撫で、耳を撫で、頭を撫で、まだ温かいお腹を撫でては、泣きました。
目が開いていたので、まぶたをそっと押さえて閉じました。
発作のため舌が出ていましたが、完全に引っ込めることはできず、無理に口を閉じると舌が葉で噛みちぎれそうになるので、亡くなった後も数ミリ舌が出ている状態でした。
亡くなったのは14時20分から30分頃だったでしょうか。
正確な時間は覚えていないのですが、15時半前に長女に連絡をしています。
葬儀をしないといけないのですが、月曜日は夫も私も仕事がありました。
本当は2日間くらいは一緒に過ごしたかったのですが、夏場ですし、腐敗が進むとかわいそうにも思い、次の日の日曜日に葬儀を頼もうということになったのです。
次の日の日曜日に葬儀をしないといけないので、長女と次女の予定も揃えないといけません。
バイト中の長女には帰宅後に元気が亡くなったということを伝えようとしましたが、次の日の予定を空けといてもらわないといけません。
とりあえず、元気のことは言わずに明日の予定の確認をしましたが、途中で気づいたようなので伝えました。
このLINEが当時のやりとりです。
(※途中の
「なに?」
「携帯?」
というのは近々携帯の契約を変更するから、バイトの無い日ソフトバンクのショップに一緒来るようにと言っていたので、そのことで明日の予定を訊かれてると思ったみたいです。)
15時からバイトということなので、午前中に葬儀をすることも考えましたが、少しでも元気と長くいたかったので、結局午後の13時半から葬儀をすることになりました。
スーパーから帰宅後、すぐに元気が亡くなってしまったので、ずっとマスクも帽子も身に着けたまま数十分。
夫に指摘されて帽子もマスクも外しました。
17時前くらいに長女が帰宅しましたが、次女同様、ショックを受けておりました。
この日の夕飯はほとんど喉を通らず。
ほとんどの時間を泣いて過ごしました。
リビングのタオルの上に寝ている元気に保冷剤を添え、上から元気の毛布をかけ、何度も何度も撫でました。
右側を下にして横向きに寝かせていたと思います。
ピンク色だった耳は白く冷たくなり、お腹はゆっくりと冷たくなっていきました。
脚の硬直は割と早く始まり、動かせなくなっていきました。
飛び出ている下は乾燥し、硬くなっていきました。
葬儀会社に着いてからの元気の最後の写真は撮りましたが、亡くなってからの家での写真は撮っておりませんでした。
写真を撮るという発想が浮かんでこず、ただただ涙があふれてばかりでした。
この日は次女が自室ではなく、元気と一緒にリビングで寝ていました。
ペットロスとグリーフワークの話はまた続きます。
今日もお読みくださりありがとうございました。