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ライフワークまでの道のり⑤ これは使命につながる道では?「グリーフケア」という言葉を知る

グリーフケアという言葉に出会う

ライフワークまでの道のり④および

「退院後 グリーフケアという言葉さえ知らなかった」

という記事と内容がかぶります。

 

ーーーーーーここから2012年執筆記事ーーーーーーーー

入院中の様々な経験から、人のために生きるのが人生だと感じた。

 

「あなたは私、私はあなた」という感覚になったからだ。

 

 

 

・・・・・・他人を自分だと思って出来るだけのことをしよう。

 

自分が他人のためにしたことが、他人に影響を与える・・・・・・それが「生きる」ということのような気がする。

 

 

3人目の赤ちゃんは短い一生を終えたけど、ほんの短い生涯で私や周りの人に大きな影響を与え、気づきをもたらした。

 

死産という形ではあったけど、確かにそこには「いのち」が存在し、肉体は無くなってもそれは生きている。

 

 

 

・・・・・こう思ったのが退院後の今から5年半前。

 

「他人のために」という考えは今でも変わらないが、当時はまだ何が他人のためになることなのかについては漠然としていた。

 

 

入院中に見たあのヴィジョン、ビリビリときて自分の使命らしきものを見た体験は強烈で、退院後人の心を癒すような仕事をリサーチすることにした。

 

そんな中、自宅の教室は閉め、2007年幼稚園のPTA副会長、次の年は会長を経験。

 

それからワールドヴィジョンのチャイルドサポーターのボランティアに4年間携わった。

 

2009年からは塾の講師、大学の非常勤講師などを経験。

 

講師の仕事を選んだのは入院前から興味があったから。

 

 

2012年からは大学の非常勤講師を続けつつ、本格的に学校に通いグリーフケアを学ぶこととなった。

 

死産で亡くなった赤ちゃんのために、お見送りの服を作るボランティアも経験した(今は中々作ることができていない)。

  

 

最近は「人のため」という概念が最近ははっきりとしてきた。

 

他人のわがままや不満、利己的な心を満たすためではなく、もっと心の奥からの魂の叫びに寄り添ったり、その人の存在そのものを尊重することではないか。

 

 

その人がその人自身で生きられるよう、本当に大事なこと、やりたいことに気づくよう助言をするなど。

 

心よりもっと奥の魂、「いのち」のレベルで人と関わることが私のやりたいことだ。

 

人から求められたからといって、浅い表層レベルの要求、例えば一時的な娯楽を楽しむための援助とか、対した悩みではないグチのはけ口にされるなどということはやりたくない。

 

 

 

ダイレクトに人の深い部分と関わりたいのだと気づいた。

ーーーーーーここまで2012年執筆記事ーーーーーーー

 

 

個人を超えた領域の「心」、潜在意識や深層心理を深く探ると、「闇」にも出くわす

自分の悲嘆を癒すグリーフワークを

それがグリーフワークと

呼ばれているということすら知らず

自然とやっていたわけですが

年月とともにその行動も徐々に落ち着いてきました。

 

そして収入が必要なので英語の仕事に就こうと

英検1級の勉強に取り組みました。

 

スピリチュアルな事柄への探求は続いておりましたが

一方で私の感じたかった感情を、

欲しかった感情を感じたであろう人に対して

どうしようもない「嫉妬心」も抱いておりました。

 

心の中に抱えていた

自分にとってのこだわりや過去の傷、

心残りな事柄が元になっての感情ですが、

そのようなネガティブとされる感情も

大半は生死をさまよった際に浄化されたものの

いくつかは残っているのです。

 

普段は表面には現れていないかもしれませんが

心の中に抱えているもの、

心の中がどうなっているのか

自分はどうしたいのか

など深く深く見つめ、

ああ、自分のたましいはこういうことを望んでいるんだ」

「あの神秘体験の時に感じた叡智は忘れられない」

など、スピリチュアルな領域に深く入っていくプロセスの中で

自分ではネガティブなものはもう抱いてない、

まだ抱いていると思いたくない

という気持ちがあったりしますが、

どうしても「闇を見るプロセス」

通らないといけないのかもしれません。

 

心の中を深く探ると

個人の経験を超えた叡智、

スピリチュアルな領域にまで行きますが

途中で「闇」「魔的」なものが潜む領域があります。

(それを超えると、「本当の自分」や「真我」に繋がり、

自由に好きなように生きられ、

自分のすることが自然と

他者への貢献になるようです。)

 

自分のコントロールを超えて

他人への敵意や自分の存在への嫌悪として

現れてくることもあるようです。

 

私の場合も

数か月という期間

私の欲しいもの、感じたかった感情を

手に入れているであろう

ある人物を嫉妬し、不幸を願うという

日々を過ごしていたことがありました。

 

その人が直接どうにかなることよりも

その人の家族や子どもに不幸が降りかかればいいのにと

思っていました。

 

女性として愛されているということに対して嫉妬していました。

私は3人目は死産で亡くしましたが、

赤ちゃんのことで嫉妬したのではなく、

幼少期からの満たされなかった感情が現れたのです。

 

そしてその怒りと嫉妬が原動力に英語学習をしていました。

「なにくそ!」

「見返すからな!」と。

 

時期が過ぎるとどうしてあんな風な思いに

取りつかれていたのか不思議に思います。

 

本当に「憑き物が落ちた」ように

全くその人に対して嫉妬の感情が無くなり、

むしろ好意的な感情を感じるようになりました。

もちろん、その人には何の非もありません。

私の心に抱えていたものにぴったりフィットしてしまい。

過去の感情が再浮上しということなのです。

 

 

以前から知っている人で、

元々好意的に感じてはいたのですが、

本当に一時期敵意を向けておりました。

私に対して何か嫌なことを言ったとかいうこともなく、

私が自分の心の中でいろいろ想像して、

その想像が本当であるかのように、

変な思いに取りつかれていたのです。

英語講師の仕事に合格してから急に嫉妬の感情が収まりました。

 

しかし当時は

「入院中のあの体験はなんだったのか。」

「人のために貢献したい」

と心の底から感じたはずなのに

「なぜ反対に人に対して悪い感情を持ってしまうのか」

苦しい思いも抱いていました。

 

 

瞑想修行でも

ある段階で「魔」に出くわすとありますが

心が発達していく過程ではこういうことがあるのでしょう。

 

自分にとって未解決な問題や

心の奥に封印していたことが

心を探るというプロセスで掘り起こされて出てきます。

状況によっては

他者という投影を通して現れてきます。

(この「嫉妬」ですがこの時に収まりましたが

解決したわけではなく、

また別の状況で数年後にまた現れることになります。)

 

人間には本当に神様から与えられた「使命」「天命」「天職」「生まれてきた意味」があるのかという探求

自分の使命を視た体験は

私にとってとても大きな出来事でした。

しかし、やはり半信半疑になってしまうのです。

たましいで感じたことだったはずですが、

以前の私同様に「アタマ」で判断する癖で

いろいろと探って疑ってしまうのです。

 

 

スピリチュアルな世界は本当にあるのか

神様や仏様はいるのかなど

証拠集め」をして安心を得ていました。

 

またいろいろな探求をすることは楽しくもありました。

あれはこういう意味?

これはああいう意味?

と探求するということは

「今ここ」で生きたいけれども

生きていないから

表面意識では楽しくても

深層意識ではそれが苦痛で

「答え」や「意味」を見つけようとして

探求してしまうのかもしれません

 

使命のビジョンを視た時から、

心のケアをする仕事に就くには

どのようなところで学べばいいのかということについて

常に意識をしていました。

 

「どんな仕事があるのか」

「どんな仕事に就きたいのか」

 

精神保健福祉士や臨床心理士などの

仕事についても調べました。

しかしいまいちピンときません。

心が動かなかったのです。

 

そんな中、まずは英語の仕事に就いて

収入を確保しないといけないと思っていました。

当時英語の通訳学校の基礎クラスにも通っていました。

 

2008年2月、江原啓之さんの出ている

オーラの泉という番組の最後に

アメリカなど海外では「グリーフケア」といって

大切な人を亡くした方への心のケアが盛んである

というような情報を知りました。

グリーフケアという言葉自体

初めて耳にしましたが

「これだ」とピンときました。

当時はネットで調べても

まだ「グリーフケア」に関する情報を

見つけることはできませんでしたが

「とりあえずこの言葉を覚えておいて

今後探ってみよう」

と思いました。

 

その後2009年に英語の仕事に就いて

最初の1,2年は教えることに情熱を持って

授業の準備も楽しくやっていたのですが、

2011年に東日本大震災があり、

「10年20年先に心のケアの仕事を

やろうと思ってたけど、

今からやりたい。」

 

「使命を視たからといって

行動を起こさずにいたら

もしかすると何もやらずに

死んでしまうかもしれない。」

 

「人はいつ死ぬかわからない。

悔いのないようにやりたいことをやろう」

 

という気持ちになり、どこか学べるところを探すことになりました。

そこで入学したのが

「上智大学グリーフケア研究所」です

続きます。ライフワークまでの道のり⑥ 身近な所に掲示されていた啓示。上智大学グリーフケア研究所で学び始める

 

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