私自身の過去の経験から学んだことを書いてみました。
過去からの友人関係、恋愛関係、パートナーとの関係、両親を見ていて思ったこと・・・。
まだ学びの途中ですが、私なりに掴んだことです。
「あの人がもっと〇〇だったらな」「もっと〇〇してほしいな」は相手に対する期待・要望
今回のタイトルは「相手ではなく自分に向き合う」
私たちは人間関係において悩みやトラブルを抱えた時、解決したいと思います。
そしてその相手と直接向き合い、話し合いたいと思うものです。
でもそれって、実は動機によってかえってこじらせることになるよ、という話です。
結論から言います。
動機が「自分と相手に対する愛」で、心を開いてコミュニケーションを取ろう、分かち合おうというのであれば、
結果はどうであれ受け止められます。
私の気持ちを聴いてほしいし、相手の気持ちも聴きたい。
健全なコミュニケーションです。
期待した結果が得られることもあれば、得られないこともある。
けれど、相手と対話し、本心の部分で「出会う」。
すると結論には納得できるというか、納得できなくても「納得できない自分」を受け止められる。
相手と対話できたこと自体、心から話し合えたこと自体、本心本音で相手と出会えたこと自体に意味を見出せます。
結果お互いが同じ方向を向くようになるかもしれませんし、別々の道を歩む決断に至るかもしれません。
しかしどちらにしろそれは本当の意味での「出会い」です。
ほとんどの人は相手と本当の意味で「出会っていない」のでは?
だからずるずるとお茶を濁しながら結婚生活を続けてしまうし(うちの両親)、
本当の意味で「出会う」と離婚に至る場合の方が多いかと思います。
しかし離婚経験者がみんなそうという意味ではありません。
今回はそれとは真逆の動機で「相手に変わってほしい」とクレクレ精神で向き合おうとする場合について。
私たちはしばしば、他人が自分の期待通りに変わってほしいと願います。
どうしてそのように願うのでしょうか。
それは、その人が自分の理想通りに変わってくれたら自分が満たされるからです。
自分の欲求を満たしたいがために他人に変わってほしいという利己的な動機です。
そんな動機で相手と向き合っても、それは向き合ったことにすらなりません。
「私の欲求をもっと聞いてよ」
→クレクレ意識
「あなたのこういうところが私を傷つけ、苦しめてるのよ」
→被害者意識
「他の人(家庭)は〇〇なのになんであなたは同じようにできないの?」
→理想と比較
これらすべて相手の在り方を否定しています。
相手の在り方を否定しているうちは、いくら話し合ってもそれは対話にはなりません。
押しつけや強制です。
こんなことを言われたら
「私が欲求を抱くのはいけないことなの?」
「傷つけられて苦しいのに、それは相手のせいにしたらいけないの?我慢するべき?」
「あの人の家庭は〇〇で羨ましいし、嫉妬してしまう。だって私も同じようにしてほしいから。」
こんな気持ちを抱くこともダメなの?
と思うかもしれませんがダメではありません。
正直な気持ちを拾い上げることはむしろ必要。
ネガティブとされるような感情、
例えば
怒りや理不尽さ、
不平不満、
嫉妬、
投げやりな気持ち、
みじめな気持ちや、
相手を責めたい気持ち、
独占欲、
相手の不幸を願う気持ちなど、
見ないフリをするのではなく、ちゃんと見る。
ご自身がどう感じているか、を受け止めることはとても大切です。
他者との関係を良くしたいのなら、まずは自分との関係を良くすること。
どんな感情を抱いていたとしても、それは悪いことではありません。
そう感じてしまうのですから、それは自然なことであり、抑圧して存在しないことにする方が毒になります。
しかし、相手に伝える際は相手が受け止められるような形に変換する必要がありますね。
攻撃したいのであれば別ですが、相手と向き合って関係を改善したいのなら、
上記のような気持ちのまま相手に伝えても、相手を責めたり否定しているメッセージが伝わってしまうよ、ということ。
「満たされないから満たして」
は不足・不満が動機となっています。
それだと本心が伝わらないのですね。
本心というのは、もっと純粋でシンプルなもの。
相手に対する欲求の奥には何がありますか?
あなたは本当はどう在りたいのか?
どんな自分でいたいから、相手にその欲求を抱いているのか?
その願いを叶えて欲しいのは本当にその相手なのか?
「わかり合いたい」
と自分では思っているつもりでも、
本当に「その人」とわかり合いたいのか・・・。
「その人」と向き合う前にまずは自分と向き合う必要がある・・・。
私もまだ未熟ですので自分を見つめる意味を込めて書いてみました。
次回は、愛からの動機を実践するにあたり、それは相手の抱く価値観、相手の枠組みで、相手にとっての「愛」なのか。
相手の枠組みの中で「愛」を実践すると、「私にとってそれは愛でない」という現象が起きる
ということを書いてみたいと思います。
今日もお読みくださりありがとうございました。