カウンセラーなのに愚痴を聞くのが嫌いだ

パートが少しらくになってきてやれやれ、ライフワークに力を注げるのね!と意気込んでいたところ、パート先のエアコンが壊れ、日中ものすごく暑い中耐えることに。

もう何日も。

おかげで体力を消耗し、帰宅後8時とか9時に寝ていることも多く、今日はあるZoomの講座だったのですが寝てしまって参加できず。

ブログの更新も久々になりました。

さて、「カウンセラーなのに愚痴を聞くのが嫌いだ」というトピックですが、

これは私自身を見つめてみて気が付いたことです。

「私は人の話を聴くのが好きなのにどうして人の愚痴を聞くのはイヤなのだろうか?」と。

カウンセリングやグリーフケアの仕事では聴くのが当たり前で、話を聴いてほしい人がやってくるので、何も問題はありません。

なのでこの話は日常生活のことなのですが、特に悩み事をじっくり聴くのは好きなのです。

でも愚痴はイヤなんですね。

この違いは一体何なのか?

悩み事と愚痴に違いはあるのか?

悩みごとと愚痴の違いもあいまいですね。

どちらも「あれヤダ、これヤダ」っていう話なのですが、一方は助けになりたい気持ちになり、もう一方は早くどっかに行ってくれ、と思う。

たぶんこういうことではないかなと気づいたのですが、

悩み事や相談というのは、相談する側が心を開いて話してくれているのに対し、

愚痴は心が閉じているのではないかと。

同じような内容を話している場合でも、心が開いているというのは、「あなたに聴いてほしい」「あなたのことを信頼している」「気持ちに寄り添ってほしい」と心の奥で思っているのでしょう。

しかし心が閉じている愚痴の場合は、「誰でもいいからうっぷんを晴らしたい」「聴き手には興味がない」「聴き手がどう感じ、どう受け取るかに対して全く配慮がない」ということなのだと思います。

前者は相手のことを「人」として接しているのに対し、後者は「モノ」のように扱っているということなのでは?と思いました。

相手に対して配慮があるかということと、自分の不機嫌をまき散らしているのとの違いでもあります。

同じ人物であっても、その日の調子によって心が開いていたり、閉じていたりしますね。

また話す内容によっても、変わってきます。

「このことは心を開いて話せるけど、この件に関しては本当にむかついて仕方がない」といった場合など、最初は心を開いていたのに途中から話題が変わったりして心が閉じて愚痴に転じてしまう、ということもあります。

態度に変化が現れるのですよね。

うちの夫もよくそのような状態になり、最初はちゃんと会話になっていたのが、その話題がまだ終わっていないにも関わらず、途中からなぜか別の話題に変わり、愚痴に変化していることがあります。

そういう時は「今その話してなかったやん」と私に注意されるのです・・・・。

ちなみに普段の日常生活での聴き方と時間と場をセッティングして行うカウンセリングの聴き方は全く違います。

 

今回は短いですが以上です。

今日も読んでくださりありがとうございました。

 

 

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