近年「スピリチュアル」という言葉が
社会にもずいぶんと浸透してきていると実感していますが、
スピリチュアルとは一体なんなのでしょうか?
世間一般でとらえられている「スピリチュアル」について考えてみました。
目に見えない世界や次元があり、目に見えるこの世となんらかの関わりがあるのではとの思い
もともと人間の社会には
死者や死後の世界、宗教や占い、加持祈祷などを
大切にしてきた歴史があります。
科学が発達し、文明社会になったことで
そのような目に見えないものを大切にする感性が
忘れられてきた背景があります。
しかし近年、そのような次元の存在との交流を語る霊能者、
守護霊やオーラ、過去生、
また子どもは親を選んで生まれてくるといった話もポピュラーになってきました。
目に見えない次元と自身の潜在意識はつながっていて、
潜在意識を変えれば現実も変わるといった「引き寄せの法則」。
また素粒子物理学や量子力学で言っていることと
仏教をはじめさまざまな宗教で言われてきたことが共通しています。
目に見えない次元「スピリチュアル」について
関心を持つ者が増えてきたように思います。
もしかすると増えてきたというより、
文明社会の中で一時的に忘れられていたけれど、
昔から人間の心の奥底の支えとなっていた
神様や仏様といった存在や、
死者はあの世で生きているといったようなとらえ方を
もう一度思い出すといった現象なのかもしれません。
もともとそのような存在を求める心が
人間の無意識レベルの欲求なのかもしれません。
目に見えない世界を「感じる」人。「ある」と想像し信じようとする人。否定する人
A) 目に見えないスピリチュアルな次元を実感として感じる状態(まれに病的な症状をスピリチュアルな次元として感じていることも)
B) 目に見えないスピリチュアルな次元を「あるかもしれない」、シンクロニシティ(共時性)や不思議体験を「メッセージかもしれない」と憶測、想像、イメージする状態。
C) めったに不思議な体験はしないものの、「信じる」「信じたい」という希望を持っている状態。また人によって幽霊は信じるが、神様の存在は信じない、逆に神様は信じるけど幽霊は信じないなど人によって異なる
D) 漠然と「あるかもしれない」と思う気持ちと、そんなのあるわけないと否定する気持ちを抱く状態
E) 普段はそのようなことを意識することもなく、興味もない状態
F) 否定。別次元の存在などないと心の底から思っている状態。例えば身内の墓参りなどであっても、「故人はもう存在しないのだから意味がない」と思っていることも
上記のように
人によってとらえ方はさまざまですし、
同じ人であっても
ある時はAのように実感として感じることがあって
スピリチュアルな次元の存在をその時は確信していても
日常生活を送る中で
同じような体験をすることが無くなってしまったりすれば
「もしかしたらあれば自分の妄想だったのかもしれない」
ととらえ方が変わることもあります。
一人の人間の中で
ある時はB、ある時はCというように
その時の心境や生活の状態から
揺れ動くものであります。
「内容」についての話は、異なるとらえ方をしている人には通じにくい
A~Fまでいろいろなとらえ方がありますが、
たとえばBの状態を過去に体験した人で、
現在もBの状態、信じているという状態で
EやFしか体験したことがない人にそのことを話しても
話が通じないというのが普通です。
過去にBを体験したものの、
現在は「あれは幻覚だったのだ」と思っているならば
EやFの状態の人と話が通じ合うのではないでしょうか。
スピリチュアルな体験を科学的に証明したりして
「やっぱり脳の中で起こった幻覚だったんだ」と
二人で賛同しあうかもしれません。
またAの人とFの人はあまりにもかけ離れていますので
話の内容を分かち合えないことが普通でしょう。
Fの人がAの人のことを心配して病院に連れていくという可能性もあります。
また、Dのような状態の人で
「そのようなスピリチュアルな世界を信じたい。守護霊の言葉を聴きたい。」
と思っている人にAの人が
「亡くなったあなたのひいおじいちゃんが、こんなメッセージを伝えていますよ。」と
伝える場合、
Aの人の言うことを信じるかもしれませんし、
Aの人が感じている次元やひいおじいさんの存在を
少しでも実感レベルでその時に感じることができ、
涙を流すなどとった癒しにつながることもあるでしょう。
スピリチュアルな次元を生きている人との間で
信頼や共感が深まると、感覚が研ぎ澄まされることはあるようです。
逆に、Dの人がAの人を信じられなかったり、
そのような話を聴きたいとも思っていらず、
心構えができていない状態であれば
話は通じず、実感レベルで感じることはないので
「亡くなったひいおじいちゃんが・・・」という言葉は
Dの人にとっては単なる情報ということになります。
場合によっては聴く構えもできていない状態で伝えられたことに対して
Aの人の態度に不信感を持つことになるかもしれません。
話を聴いて信じるかどうかは
その話し手との関係にもよります。
たとえ自分がスピリチュアルな次元の存在を感じ、信じていても
ほかの人の同じような体験を聴いた際に
「私の体験は本物だけど、あの人のは違う」などと
否定したくなることもあるでしょう。
お互いが共感することはできるのか
他者の話を聴く訓練を受けている者であれば
それぞれの違いがあっても
話す内容ではなく、
その奥にある気持ちに共感し寄り添うことが可能です。
しかし、そのような訓練を受けていない人が
お互いに理解しあおうというのであれば
まず「信頼関係」と
気持ちそのものに寄り添う共感力が必要です。
それらを持ち合わせていれば
内容そのものには同意できなくても
自分はこうだけど、相手にとってはその人がとらえていることが真実で
それが相手の世界なんだと理解、共感することができます。
A~Fとスピリチュアルな次元をとらえている状態を説明しましたが、
Aに近づくほど、いろいろな状態を体験済み
という傾向があるかと思います。
そういった意味では
Fの人がAの人に共感するよりも
Aの人がFの人に共感できる傾向にあるでしょう。
しかし必ずしもそうとは限らず、
共感というのは結局は人間力ともいえるので
Fの人がAの人の体験は理解できずわからなくても、
そういうこともあるのだと共感することもあるでしょう。
A~Fはあくまでスピリチュアルな次元について
どれだけ感じるか、信じているかということですので、
人間としての優劣ではありません。
ケア提供者はどうふるまうべきか
遺族会などのグリーフケアの場面では
亡くなった故人はあの世でどうしているのか、
といった話が出ます。
私のとらえ方は違うけれど、
「あなたにとってはそうなのですね。
あなたはそう感じるのですね。」と
否定せず共感することが大切です。
また人は実感をともなったことしか心に響きません。
ケア提供者がAの状態で、
「スピリチュアルな次元のことを
ぜひ苦しんでいる人に伝えて少しでも楽になってもらいたい」
と思うがあまり、
相手がその話に興味を持っていない、
特に聴きたいとも思っていない、
実感として感じることのできない状態で伝えても
「情報」としては受け取るかもしれませんが、
相手の心が楽になることはほとんどないでしょう。
このブログでも
私の体験したことを書いておりますが、
興味のない人はこのようなブログはスルーするでしょうし、
宗教的な体験のことも
その人にとってあまりに突飛に感じると
「変なこと言ってるおばさん」
くらいにとらえる人もいることでしょう。
読んでくださりありがとうございました。