自分がケア受けた体験から、カウンセリングや病院での診察など、相談することでかえって自己否定が強まったことがあります。
「この人の状況は厳しい」
「立ち直れるのだろうか」
「思ったよりも闇が深い」
「私が助けてあげないと」
こういう風にケア提供者側がクライアントさんには力が無い、弱い、と思っているとそれが伝わってしまうのですよね。
表面上は「大丈夫」と優しい笑顔で言っていて、本人にも自覚がなくても、本心の部分で信じていないというか。
結果、
「カウンセリングで話を聴いてもらったけど、なんだか自分が小さくなったような気になった」
「私の状況は絶望的なんだろうか。言葉は優しかったけど、救いようがないと言われたような気がする」
カウンセラーの側が、いくら言葉で「大丈夫」と伝えても、内心「この人はダメだろうな」と思っていたらそっちの思いが伝わってしまうことが多いです。
場合によってはカウンセラーには問題がなく、本心から「この人は必ず良くなる、大丈夫」と思っていても、クライアントさんに受け取る許可ができていないと、「そんなわけない」と自己否定を続けてしまいます。
この場合はカウンセラーとして全力で向き合った結果、そうなったのだからクライアントさんの心の問題です。
カウンセラーの側が相手の力を信頼できないと、それは誰のためのカウンセリングなの?となります。
もともと回復することを信じていないのに、なぜあなたはカウンセラーの仕事を続けるの?と。
でもこれは、なかなか自覚が難しいかもしれませんね。
表面上は相手を信頼していると思っているし、良くなって欲しいと思っているので。
深層では誰かを助けることによって、自分の心の闇を癒したい、そのためには自分よりも弱い人が必要だ
と思っている。
だから回復されたら本当は困るし、自分の存在意義が無くなると思っている・・・・。
それから、ケア提供者自身が解決できていない心の傷があり、その傷に関連したような事例に向き合った際にも、似たよう名ことが起きやすいです。
「自分もまだ癒えていないのに、無理ではないか」と無意識で思ってしまうのです。
ですので、限界は限界を認め、対応できない相談内容は対応するべきではなく、他を紹介することも必要になります。
サポートが必要な人はいても、自分より強い人間も弱い人間もいません。
クライアントさんも、深い部分では違和感を感じつつも、打ち消してしまうことも多いでしょう。
ご自身と向き合う作業は本当に辛い思いをすることが多いです。
セラピーの世界では、ケア提供者があえて「鬼になる」という場面もありますが、それは相手を信頼し、結果を受け止められる人が覚悟を持ってそうします。
自己探求が浅いレベルに留まったままで、相手の力を信じていると頭では思っていても実際は無力で弱い人間だと思っているのであれば、相手は自分が小さくなったように感じたり、無力さをより一層感じたり、不安が強まったりします。
でも、回復のプロセスなんだから、心を見つめる作業は辛いものだからそれが当たり前、と無駄に通い続けてしまうのですね。
心を見つめる作業は確かに大変なのですが、気づきを得た後は過去の傷や痛み自分のものとして統合でき、生きづらさが軽減していきます。
問題自体が解決していなくても、「親身になって聴いてくれた」と人間力のあるカウンセラーやセラピストの関わりによって、明日からまた頑張れると気力が回復します。
色々抱えているけど、こんな自分で大丈夫なんだ、と自分を受け入れることができてきます。
今日もお読みくださりありがとうございました。