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母校の建物が無くなる、見慣れた景色が無くなるのも「喪失」

この記事は個人的な日記になります。

10月15日そして18日の今日、大学時代に住んでいた枚方市に行きました。

京都に行く際に通り過ぎることはあっても実際に寄ることはなく、19年半ぶりの思い出の地でした。

15日には牧野駅周辺、今日は枚方市から宮之阪あたりを少し。

住んでいたのは1997年から2001年の4年間。

大学時代の4年間というのは短いですが、その間本当に色んなことがあり、今まで思い出すことがなかったことも、その場に行って実際の景色を見るとよみがえってくるのですね、不思議ですが・・・・。

「この場所で〇〇ちゃんとこんなことを話した。」

「この建物なんか見覚えがある・・・。そういえば〇〇先輩と一緒に買い物に来たような気がする」

google earth で探索することもたまにやっていましたが、画面上で見るのと実際行くのでは違いますね。

 

約20年も経っているので当時あった建物が無くなって全く別の建物が建っていたり、以前の知っている景色が思い出せなくてそのこともまた寂しさを募らせました。

私の行っていた大学は関西外国語大学の片鉾キャンパスというところで、私たちが卒業して1年後には新キャンパスになっていたので取り壊されたというのは知っていました。

その跡地には図書館ともう一つの建物(当時の本館だったかな)があり、懐かしさのあまり図書館には中に入って写真も撮ってきました。

もう一つの方はまた別の施設になっていました。

何気なく過ごしていたように思いますが、実は日常がとても大事なものだったのだな、と改めて実感しました。

一時的に住むことになる場所であっても、誰か親しい知り合いや友人を作っておくことの大切さも感じました。

その場所を離れることになっても、数年後訪れた際に訪問できる関係の人がいるのといないのでは違いますね。

実はある飲み屋の親父さん(といっても私は3回程度行っただけなので関係性はないに等しいのですが)がとっても温かい人柄の人で、ネット上にファンからの情報がアップされていたり、コミュニティが出来ていたり。

しかしその親父さんも数年前に亡くなったということを友人から聞き、お店があった場所はもう全く別のものになっていました。

友人には枚方出身の子がいなかったので、訪問する人もいなくて寂しかったのですが、当時の思い出を共有する友人たちとまた一緒に行ける日があればと思いました。

他、住んでいたアパートは昔と変わらずあったり、所どころほとんど変わっていなかったりと嬉しさと寂しさを感じました。

しかし20年も経ったなんて信じられません。

ここ数日はノスタルジーに浸る日々を過ごしております。

母校の建物が無くなる、見慣れた景色が無くなるのも喪失ですね。

ネット上で当時の景色を思い出させるような古い写真がないか探してしまいます。

読んでくださりありがとうございました。

 

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