過剰適応について。組織が合わない私の話。もしかしてあなたにもそうでは?

過剰適応。四角い枠にはめ込まれて育ったスイカの気分です。

以下は2014年の日記から。

今日は教育分析に行ってきました。

家族や生育環境に問題があっても、社会に適応していればさほど気にすることはない。

社会不適応の人は誰が見ても問題を抱えているのはわかる。
しかし、過剰適応の人は一見適応しているようだが、家庭や行動(チカンや依存症)などによって、溜まっているものを発散させてしまうので、それもまた問題、ということを聞いた。

午後は明日の授業の準備と家事をします。
毎週金曜日は4時半起きです。毎回あまりに疲れるので、金曜日は風呂に入らないという習慣が出来上がってしまいました。

「過剰適応の人は一見適応しているようだが、家庭や行動(チカンや依存症)などによって、溜まっているものを発散」

そうそう、そうなのだ。

合わないことを自分に無理やり強要し、人から見ればちゃんとしているように見える。

自分に合っていることでもそれが抱えきれないくらいの量になると自分に無理をさせることとなる。

でも外から見ればちゃんとできているので、実はそれが合ってない・無理をしているということが自分でもわかりにくい。

当然人にも伝わりにくい。

上の日記にも書いてありますが、風呂にすらまともに入る気力体力が無くなるのは、やはり外で余計なエネルギーを使っているからでしょう。

過剰適応は自覚できる場合、自覚できない場合の両方ありますが、風呂に入れなくなってくるとちょっとやばいかなと。

そんな状態の人は自身を見つめて、このままでいいのか、環境変える方がいいのか考えた方がいいかもしれません。

思っている以上に心が疲弊している可能性があります。

そして「適応障害」や「燃え尽き症候群」といった症状に陥ったり、さらに進むとうつ病にまで発展します。

自分の感性よりも、周りの人の考えや常識に合わせてしまっているので、小さなことからでいいのでそれをやめていくことが自分を救う道なのではないかと思います。

同時にそうなってしまったのは多くの場合幼少期からの育った環境に根っこがあることがほとんどなので、インナーチャイルドの傷を癒すよう取り組むことです。

 

私の場合、会社などの組織に属して働くということ自体がしんどい

お金を稼がないといけないのに働かないでどうするんだとか、

子どもの将来や自分の将来のためにお金は必要、そのためには福利厚生のしっかりした会社や組織に属する方が安心とか言われても・・・・・。

いくら周りの人間関係が良くても、合ってないことをやっているといのちが枯渇する気分です。

 

もともと何でも自分で作り上げてやっていきたいタイプであり、それが本質なので仕方ない。

そして人の心の本音に触れたいのでスピリチュアルケアに惹かれるのです。深い話をするのが好きなのです。

何が苦手なのかというと

すでに決められた「型」や「枠」の中で、

間違わないように、はみ出さないように、外の基準に合わせてものごとをきっちりこなすということ。

ものすごくエネルギーを使い、やり終わった後も大して喜びを感じない。

例えば役所に提出するような書類の作成とか、会計の書類作成とか、データ入力とか。

マニュアル通りにしないといけないとか、フォーマットに沿って何かを作成しないといけないとか、本当に苦痛になってくる。

何事にも手順があって、毎回それに従う必要があるということなんかも。

 

しかし見た目がまじめそうに見えるので、私のことをよく知らない人からはそういう仕事が向いていると思われがちなのです。

得意分野、好きな分野に関してはまじめに取り組むのです。得意分野というのは型にはまらず、感性が生かせる事柄です。どう転ぶか決まってないことを瞬間瞬間、臨機応変に対応していくことが向いているのです。

そうった分野ではまじめにやれるので他のこともちゃんとできると思われがちなのですが、相当無理を強いることになってしまいます。

そして気質もおとなしめなので、自分から何かを始めたり、起業したりするタイプには見られず、世間の価値観や枠組み、決まったルールに従順に従って安全着実にやっていきたいいわゆる「世間一般にいる常識的な人」だという印象を与えているかもしれません。

夫の私に対する印象も実は同じで、「田舎出身だから素直で従順」な人と見られていました。夫のその思い込みがあったから「きっとこの子は堅実で何事もちゃんとする子なんだろう」と思われ、結婚するに至ったといっても過言ではないでしょう。

ちゃんとするんですけどね、それは無理した状態の「ちゃんとする」なのです。だから過剰適応。本来はいびつな形なのに「型」にはめている状態。自分に強制している。

当然その分野を「天職」としている人、その分野に情熱を傾けている人には私がいくら頑張ったところで、たとえその人の10倍20倍努力してところで絶対にかないません。

グリーフケア、スピリチュアルケアの活動は無理していないのです。自然にできることであり、頼まれなくてもやらずにおれないことであります。そしてやりたいことがあふれてきます。今はその1パーセントもできていませんが。

そして残念なことに夫は私を「常識的な人」という枠で見ているため、苦悩のうちにある人の話を聴けるような器だとおそらく思っていない。

生死をさまよった時は私の宗教的体験に真摯に耳を傾けてくれていましたが、数年経ち、元気になると私が死にかけたことも薄れ、そういった気持ちも忘れてしまうようです。

夫を含め、世間一般のほとんどの人がそうだと思いますが、学歴や職業、役職、目に見える成果や効率、データといったものに価値判断をゆだねています。人が決めた「枠」の中でいかに優秀であるか、有利な立場であるかどうか。

昔と違って私はもうそういったものには興味関心がありません。枠の中の他人の評価によって自分の価値が変動して喜んだり落ち込んだりするよりも、自分で自分を判断します。

本当は自分で何でも作り上げてやっていきたい一匹オオカミタイプです。周りにはあまりそう思われていませんが。

これは「気質」がおっとりしているため、そう見えないというだけで、内側は熱い情熱のかたまりなんですけど伝わる人にしか伝わりません。

本当にごく近い友人か、スピリチュアルケアの研修で深く触れ合った人たちにしか通じていないのです。そういった人たちは家族以上に深いところを理解してくれているように感じます。

でももうこの過剰適応からは抜け出せそうです。一度14、15年続けてきた英語の仕事を辞めたという一大決心をしております。その体験が弾みとなって次の「辞める」決断もできました。

自分を押し殺して外の価値観に合わせるのではなく、自分のたましいが知っている「人生の目的」にフォーカスすることを意識します。

この体験がいつか同じように迷っている人の役に立つことを信じて、自分のやりたいことをやり続けます。

以上、自分の話でした。読んでくださりありがとうございました。

 

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