この記事は個人的な日記になります。
先週と本日、以前1年半ほど働いていたグループホームに行ってきました。
一緒に働いていた職員さんも数名おられました。
利用者さんの中にはお亡くなりになった方もいましたが、知っている方が3分の2ほどの人数ですがいらっしゃいました。
私のいた階では当時いらした9名中6名がご存命。
6名中3名はデイケアに行っていてお会いできませんでしたが、飾ってある写真からはお元気そうな様子が。
3名中2名の認知症がかなり進んでいる方たちには認識されませんでしたが、比較的しっかりしているMさんは私のことを覚えてくれていました。
座っている席に挨拶に行くと、私の顔を触り、「ツルツルやなあ」「色白なったなあ」と。
「Mさんもツルツルやで」
「元気にしてる?」
昨年ひ孫ちゃんが生まれたそうです。
私のことは先週、今日とも「(当時働いている時に)優しくしてもらった」と言っていただきました。
そう言っていただけて何というか、とても嬉しい。
私の方こそ癒されました。
立場という垣根を越えて、本心でコミュニケーションができる瞬間が本当に嬉しいですね。
私だけが心を開こうとしても、相手が閉じていたらこんな風にはなりません。
心を開いてもらえる自分になっていないと、相手も心を開きません。
利用者さんたちには当時から「優しい」とよく言っていただけたのですが、優しくしようと思って接していたというより、仕事をしていただけなのですが、自然とそうなっていたようです。
介護の仕事をする前にスピリチュアルケアで培ったものが大きいのでしょうか。
自分自身の「あり方」。
でも私個人の手柄ではありませんし、頑張ってそうなったのではなく・・・・。
ケアの訓練は自分に優しくすることから始まります。
「道徳的・常識的に正しい人」になることを求められるのではなく。
人格的には全く立派ではない私ですが。そんな自分でも良いと受容した結果、他者に対してほんのちょっとは優しくあれるのかなと思います。
「目の前の人と一緒にいたいか」「そばにいて気持ちを共有したいか」が問われますね。
介護職は優しい人が多いですね。
他人のためにここまでできるの?と驚くことも多く、しかも無理しているという感じは全くなし。尊敬する人いっぱいいます。
一度に複数のトラブル発生でその人に一気に仕事がのしかかった時も、決して不機嫌になることなく、「大変大変」と言いながらもなんだか楽しそうに仕事をしてたり、本当に尊敬します。
3年前のちょうどコロナ禍、Mさんはお孫さんの結婚式に行きたいと言っていたのですが、コロナのため外出は禁止。
後日お孫さんのDVDを嬉しそうに見ている姿が印象的でした。
コロナ禍ではご家族の面会が禁止になり、ただでさえ孤独を感じるような状況にあるのにますますそれが強まった数年間。
身体の症状が急に悪化する方がおられて、「孤独」が追い打ちをかけたのではないかと思いました。
先週、今日とグループホームに行ってみて、やはり人は誰でも関心を持ってほしいし、優しくされたら嬉しいのだな、と改めて感じました。
今日もお読みくださりありがとうございました。