与えるものが与えられる。ただし結果に執着しなければ

引き寄せの法則やスピリチュアル、精神世界のことを探求していると、

あなたの与えるものが与えられる

あなたの求めるものを与えなさい

という言葉に出会います。

誰もが満たされた暮らしを送りたい、自分らしくいたい、人から傷つけられたくないと思っています。

心身の健康、人間関係、経済状況を良く保っていたいと思っていますね。

今の状況を良くしたい

今まで色々なことをやってきて、現実面でも努力を重ねてきたのに、うまくいかない。

頑張れば頑張るほどうまく行かない気がする

このようなことが続くと、目に見えない世界に何か答えがあるのでは?という思いを抱く場合も多いです。

与えるものが与えられる

という言葉に出会い「そうか、何か欲しいものやなってほしい状況を作るには自分から与えればいいんだ」と思うようになります。

この言葉は真実ですが、間違って解釈してしまうと逆に人から奪う行為になってしまいます。

単純な例を挙げますがお金が欲しいという場合。

寄付をしたらお金が入ってくると聞いた。

だから寄付をした。

けどなかなか入ってこない。

これは与えているのではなく、取引にならないでしょうか。

物理的にはお金を出していますが、エネルギー的にはどうでしょうか?行為の元になっている本心はどうでしょうか?

「自分がお金が欲しいから、お金を得るために寄付をする」

という動機ではないでしょうか。

物理的にお金を出しているので、それと同額分はどこかからいずれ入ってくる可能性は高いですが、それ以上を期待しておそらく寄付をしたのだと思いますので、期待するような結果は起こらないでしょう。

一方で、本当に困っている状況を知りその人たちのために少しでも役に立てればという優しさからの寄付をするという場合はどうでしょうか。

このような思いで寄付をする場合は、自分の元にお金が入ってくるかどうかは気にせずに行いますね。

寄付をした金額が少額であっても、エネルギー的には優しさの心で行った行為です。

自分の与えたものが返ってくるとしたら、エネルギーが返ってくるということです。

そのエネルギーがお金という形をとるのか、誰かからの優しさという形をとるのか、人との出会いという形で返ってくるのか、いつどのような形で返ってくるのかはわかりません。

日々の生活にも同じことが言えますね。

見返りを求めない優しさのエネルギーで人と接しているということもまた、自分が与えているつもりはなくても、相手が安心できる状況や、喜びを与えているということになります。

結果、人から親切にされますし、大切に接してもらえるようになっていきますね。

相手のことを本当に大切に思って接するということも、結局は自分が自分に対して行っていることなのですね。

究極的には他人も自分なので、あなたが他人に優しくしたら、他人(その相手である場合もあれば、別の相手かもしれませんが)もあなたに優しくします。全ての行いは結局は自分が自分に行っているということ。

だから「与えるものが与えられる」のです。

わかっているけど、やっぱり欲しいと思ってしまう。与える気にはならないという時

自然と人に優しくできる状態というのは、やはり自分がある程度みたされていないと難しいのですね。

満たされていないのに「与えなさい」と言われても、心がついていかないのです。

「与えなさい」と言われて人に親切にしているのにちっとも人間関係が良くならないじゃないか

このように思ってしまうのは、先ほどの例とお感じ、与えているようで取引ですね。

自分が欲しいから、形の上では「与えている」のだけれども、エネルギー的には「これだけやったのだからちょうだいよ」と奪っています。

このような動機で人と接した場合、相手の方も違和感を感じるわけですね。

人って通じ合ってしまうもので、受け手側も「親切にしてくれたけど、なんだか嬉しくない、しんどい」という風に違和感を感じることもあります。

それでも、表面上は親切にしてくれたので違和感を感じつつもお礼を言ったりして、「あんまりありがたくなかったんだけど、そう思う私ってダメなのかしら」という気持ちを抱いたり。

また、感謝されなかったら「せっかくやってあげたのに」と感じるのは、やはり満たされていないまま与えたからだと言えます。

「与える気持ちになんてなれない」という場合、

まずは

1.人に与えるのをやめる。やりたくないことをやめる

2.自分を満たすこと

です。

ここでいう「人に与える」とは「本当は自分が何かの結果が欲しくて、本心ではイヤなのにやっていること」をやめるという意味です。

形の上では与えているつもりの親切で、実は取引や奪っている行為のことを言います。

今までは人のためだと思ってやってきたこと、与えているつもりでやってきたことなど、実は我慢が積み重なっている自己犠牲です。

「与えているつもりの取引」は、実は自分のエネルギーが枯渇し続けているということです。

本心では不足や不満、我慢を感じているため、これを繰り返しても良くなっていきません。

まず、やりたくないことをやめていく、そして自分を満たしていきましょう。

いきなり大きなことやめるのはハードルが高いので、まずはやめれそうな小さなことから。

毎日目に入ってきてストレスを感じるがらくたを捨てる

気の進まないお誘いを3回に1回は断る

全部自分一人でやろうとしていた家事をやめ、一部は人に頼んでみる

人の目を気にして我慢してきちんとした格好をしていたのをやめ、着たい服を着る

小さなことであっても、やめたことによる解放感は爽快です。

その爽快は解放感を何度も味わううちに、満たされた気持ちも感じやすくなっていきます。

それから、自分を満たすことについてですが、なかなかそれが難しいどうしても自虐的、自己犠牲的になってしまうという場合は、過去の満たされない思いで心がいっぱいになっているのかもしれません。

人によっては自分を満たすことにちょっとやそっと取り組んだくらいでは追いつけないトラウマや心の傷、つまりインナーチャイルドが傷ついていることがあります。

そのような場合はセラピーやカウンセリングが役に立ちますね。心の癒しによって、本来の自分に戻ると自分が満たされ、自然と「与えられる人」になります。

 

真の意味で与えることができるというのは、まずは自分が満たされ、あふれたものが外に出て、結果的に誰かに与えられ、それが循環して自分に還ってくるということです。

今日も読んでくださりありがとうございました。

 

 

 

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