さてさて、今日は頭に浮かんだことをそのまま書いていきます。浮かんだままなのでゆるい内容になるかと思います。
生きる意味とは。
死ぬ意味とは。
私たちは生まれてきて育てられる段階で、色々な「条件付け」がなされます。
ああでないといけない。
こうしたほうがいい。
そんなことやっちゃだめ。
人に迷惑をかけてはいけない。
もっと優秀にならないといけない。
私たちは「こうあるべき」という理想を知らず知らずのうちに刷り込まれています。
その理想に自分を合わせていくことで、社会的に受け入れられ、その価値観に適応して生きていくようにになります。
少々の不満はあったとしてもそれを変えようと思うことも少ないのではないでしょうか。
何の疑問も持たずに、日々を過ごしていることがほとんどでしょう。
しかし、心を揺さぶるような大きな出来事を体験すると、それまで疑問にすら思わなかったその生き方に違和感を抱くようになります。
社会の価値観に合わせた生き方というのは、本当の自分を奥にしまって出さない生き方です。
本当の自分を出したら嫌われる。
人に迷惑をかける。
本当の自分では受け入れられない。
だから偽りの自分=社会に受け入れられる自分を演じないといけない。
あんなこともできて、こんなこともできる自分。
人に迷惑をかけない自分。
そうやって生きることで、生命を維持できているし、生活ができているんだから・・・と。
でもどこかで気づく時がくる。
本当にそうなのか?
本当にあんなこと、こんなことができないと人に受け入れられないのか?
人に迷惑をかけたら生きていけないのか?
何もできなくなったら路頭に迷うのか?
何もできなくなったら、生きていけなくなるのでは?
生活できなくなるのでは?
誰にも世話されずに死を待つだけなのでは?
自分は何もできなくなったら見捨てられる存在なのでは?
これらの幻想を幻想だと気づかせるために、病気や老いという現象があるのではないだろうか?
病気になって思うように動けなくなる。
やりたいことができなくなる。
老化が進んで身体機能・認知機能が衰えて、人に頼ることが多くなる。
自分の身体ですら思うように手が届かなくなったり、動きが不自由になっていく。
排泄すらコントロールが利かなくなり、誰かの世話に頼ることになる。
言葉で気持ちを表現することもだんだん難しくなってくる。
三次元の肉体面で見ると、物理的には困難なことが増えてくるわけです。
健康な頃や若い頃は「あれもできなきゃ。これもできなきゃ」と自分に条件を付けて
そうしないと人から受け入れられないと無意識レベルで思い込んでいたかもしれません。
病気や老いというのはその条件から解放されるために組み込まれたプログラムなのかもしれないと思った次第です。
何もできなくなっても、受け入れてくれる人がいる。
何もわからなくなっても、愛されている。
存在しているだけで、それでよかった。
それは、たぶん病気になる前も、若い時も同じだったはずですが、自分に条件を課していて自分で自分を縛っていたから見えなかったということ。
三次元、肉体の次元に意識の重心がある時は、苦しい、辛いという感覚が強まりますが、同時に人間は次元をまたぐ多次元の存在でもあります。
意識の重心がたましいの次元に移行するときがあります。
肉体の次元では「あれもない。これもない。」「あれもできない。これもできない」「希望もない」と不足感や不全感をどうしても感じてしまいます。
たましいの次元では「すべては自分の中にある」「三次元的な状況がどうであれ、常に幸せなのだ。ずっと天国にいたのだ」ということに気がつきます。
そして人生は本当に自分の心の中にあるものが外に現れているのだな、と。
何もできなくなった時、誰かに頼ることになり、人の優しさを肌で感じるようになります。
誰かが優しくしてくれるということは、その人自身が、自分で自分を愛せるようになってきたということでもあります。
自分の中の愛が他者を通して、還ってくるのですね。
あるいは優しく接してくれる人や助けてくれる人がいない場合でも、心の中は大いなる意識とつながっているので、深い安心や至福を感じたりと、誰もが真の意味で自分自身を受け入れた時、ずっと天国にいたのだという深い気づきを得るでしょう。
介護の仕事をするようになって改めて感じたことですし、私自身大きな病気をした時に心の底から湧き上がってきた気づきでもあります。
しかししかし!
ここまで書いていながら、三次元に意識の重心があり頭を悩ますのはローンやらコロナで生活が窮屈になったことやら・・・・。
この世が天国だったのだという気づきが薄れてしまっているのです。
「お金を稼がないと!」
「感染しない・させないように色々我慢しないと!」
とまた新たな条件付けを自分に課しているのです。
「ああせな、こうせな」の世界にまた逆戻りでは?
まだ自分を受け入れ切れていないのですねえ・・・。
この世は天国。
本当は何の制限もない。好きに生きたらいい。
そう知ってはいても、「ほんとに大丈夫かな」と歩みの一歩が小さくなってます。
読んで下さりありがとうございました。