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⑥闘病記。敗血症、DIC、多臓器不全から生還。5日目に意識回復

闘病記。敗血症。DIC。多臓器不全。生還。妊婦。

搬送先の病院。

救急車で運ばれたにも関わらず、

私はまさか自分のいのちが

その時ぎりぎりだったと思っておらず、

死ぬかもしれないなどということは

考えなかった。

 

医療の知識がなかったのが

幸いしたのかもしれない。

危ない状態だと知っていたら

もしかしたら精神力が持たずに

死んでいたかもしれない。

 

こんな姿見せて夫と両親に心配させて悪いなあと思い、

ICUに入る前に

何か家族に言うことはないかと言われたのか

「お父さんとお母ちゃんのほうが心配や。」と。

この時夫は

「戻って来いよ。」と私に声をかけたらしいですが

覚えていません。

夫によると

「もうだめなのではないか」という気持ちも

半分あったようです。

 

そしてICU。

婦人科の先生が

言葉をかけてくださいました。

 

私の住んでいる自宅と最寄り駅が一緒とのこと。

この言葉にどれだけ救われたかわかりません。

わけのわからなくなっている状態で

その先生と自分と共通点があるということで

なぜか「大丈夫」「助かる」と安堵しました。

 

この後人工呼吸器をつけられ、

筋弛緩剤を打たれたのか

意識はあるのに体が全く動かず

呼吸がとても苦しかったです。

 

これから何が起こるのか全くわからず、

帝王切開で上の子たちを産んだのですが

その体験から

おそらくまた手術かなという思いがよぎりました。

自分の呼吸ではないため、

浅い息しかできず、

コントロールが効かずにものすごく苦しい。

 

さらに目も半開きにも関わらず

まぶたを閉じることもできない。

つま先、手の指も全く動かない。

おそらく血圧を上げる薬の影響か

意識が昼間よりもはっきりしていた。

 

「このまま麻酔が効かないまま手術されたらどうしよう。」

「今おなか切られて痛くても叫ぶことすらできんのか。」

「苦しい・・・苦しすぎる・・・」

「呼吸器が止まったら確実に死ぬ。」

「まな板の上の鯉やな。

もうどうすることもできん。

神様!!!」

 

薬の影響で眠りに落ちることは聞いていたけど、

数分間は意識があったので苦しく、

早く眠りに落ちて

起きた時には楽になっていたいと

願っていたと思います。

 

その後、目が覚めたのは入院5日目の

1月25日木曜日の夕方でした。

 

続きます。

⑦闘病記。せん妄様症状も!?次々に浮かび上がる「気づき」と「インスピレーション」

 

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