人の話を聴くという行為は私にとって自然にやってきたこと。私が無理なく自然にできる他者貢献
物心ついた時から人の話にちゃんと耳を傾けることは普通にできていました。
途中で口を挟んだり、話の腰を折ったりということもあまりしません。
人によっては「傾聴」することがとても難しく、どうしても自分の話に持っていってしまうようですが私にとっては無理せずに自然にできることでした。
「カウンセラーとしての聴き方」という点を考えるともちろんもっと高い技術を持った人はいらっしゃいます。
人と比べるとどんなに得意なことであっても必ず上がいます。
現場に出ると私と同じように訓練を積んだ仲間がおり、私よりもできる方はいます。
人と比べるということではなく、自分の中の能力として他にもいろいろなことができますが、その中でも傾聴や共感は無理せずに、頑張らずにできることです。
自分の気質に向いていない、例えば人前でテキパキ動くということは私にとっては努力が必要で、無理して頑張ってそう振る舞うことができたとしても疲れてストレスが溜まります。
しかし人によってはそのように活発に活動する方が向いていて、それが無理なく自然にできてますます元気になるという人もいるでしょう。
私の場合はじっくりと心の深いところで話を聴くことが自然に無理なくできることです。
それが誰かの役に立って、感謝されるとは思ったことは小さいころはなかったのですが、中学時代に友人にとても感謝された記憶があります。
このことがカウンセラーという仕事に興味を持つようになったきっかけです。
大学進学の際に心理方面にいくか引き続き英語を学ぶかで迷いましたが。
他、大人になってからは母の話を聴いてラクになったと言われたことが何度もあります。
聴くということは昔からやっていて、今もやっている。
昔からずっとやりたかったことなのでしょう。
他者の気持ちに敏感になった理由
もともと気質がゆったりのんびりしているため、自分からあまりわいわいがやがやと活発に活動するタイプではありません。
おそらく生まれた時から敏感なのでしょう。
他者の気持ちに敏感なため相手がどのようなことを求めているか、その人の言葉の奥にある本当の感情を感じてしまうことが多いです。
幼少期の家庭環境の影響です。
少し前の世代は戦争を体験していて、何人もの人が亡くなっています。
そのため残された家族は異常なほど心配性になり、母が祖父母から受け継いだ性格でもあります。
ちょっと体調が悪い、頭を打ったなどというようなことですぐに病院に連れていかれる環境でした。
親がそのように、外からやってくる病気や困難などに常に意識しているような人で、それは何のためかというと大きな病気や事故、災難に遭わないよう慎重に慎重に、どうにか生き延びるためということを第一に考えていたのです。
ちょっとでも「変なこと」があると敏感にならざるを得ない、生きていくということにそれほど影響しないような些細なことであっても「大丈夫かな、大丈夫かな」と親の感情が不安定になるということが影響していると思います。
私自身の喪失~私こそが話を聴いてほしい人だった
人の話を聴くという行為は子どものころから知らず知らずやってきました。
具体的には親の話を聴いていました。
聴くということに関しては自然にできますが聴くだけでなく私も話したいと思う時は当然あります。
友達とけんかしたとか、ああしたい、こうしたい、あれはいや、これはいや。
ケア提供者のトレーニングの際に気づいたことですが、幼少時から子ども時代、私の話は聴いてもらえなかったのです。
言葉のやりとりはあります。
情報としてのやりとりはあるのです。
私の話す内容に嘘はなく、いつも正直ではいるのですが、それは情報を報告している状態であって、心が開いているかというと開いていないことの方が多いのです。
原因は、話をしても心から共感してくれる人がおらず、表面上のコミュニケーションはうまくいっているように見えても敏感さゆえ相手が私の話をわかってくれてないという気持ちを感じ取ってしまいます。
どうせ話しても聴いてくれない、だったら心を閉ざしていよう、言うべき内容、言うべき情報だけ伝えようとなってしまったようなのです。
真の意味で話を聴いてもらったことがなかった、心の声を聴いてもらったことがなかったということに気づき、愕然としました。
辛いことがあった際に、その気持ちに「辛かったね」と寄り添ってもらったという実感がないということに気がついたのです。
これは2018年の今の私にとってもとても辛いことでした。
泣くと泣き止むように言われ、何か言うと黙っているように言われる。
〇〇したいというと、「〇〇したいんやね。」と共感してくれるのではなく
「あかん。」と言われる。
辛い時、悲しいとき「辛いよね。」「悲しいよね。」と寄り添ってもらえていたらどんな風に育っただろうか。
もっとのびのびと育ったのではないだろうか・・・。
(辛い気持ちに寄り添ってもらえた体験は死産をした際のある医療者との関りと、
何回か参加したケア提供者のトレーニングの際です。
寄り添う、共感とはこういうことなのかと、心の底から揺さぶられ癒された体験でした。)
「自己開示」という言葉がありますが、あんな辛いことがあった、こんなひどい目にあってきたとインパクトを与えるような出来事を体験し、そのインパクトのある事実、すごい事実を伝えることを「自己開示」と思いがちですがそうではありません。
自分の心を開いてどう感じているかをありのままに正直に伝えることが「自己開示」です。
心を開くことをいいます。
子ども時代、人前で心を開くことが難しかったです。
自分をさらけ出すのことがなぜかとてもしんどい。
人との心の交流を避けてきたわけです。
どうしてそうなったのかをじっくり考えてみると両親が人目を気にする性格であったため他人から見てちゃんとしていることを小さな私にも求めるわけです。
親としては「どうにか生きていく」という「生存」に焦点を当てていて、それは「他者がいる社会で受け入れられなければならない」という親自身の価値観でもあったのです。
そして子どもである私の話、私の気持ちに耳を傾けない。
とにかく生きていくこと、社会で受け入れられることを考えていたので子どもにとっての自由や、天真爛漫にふるまうことは二の次だったのでしょう。
しんどいながらもそれに従い続けるうちに
どうせ私のことなんかみんな関心がない。
誰もわかってくれない。
いないほうがいい。
本当の自分は誰も受け入れてくれないから
受け入れられる性格になるよう努力しなければならない。
などという思いが潜在意識に蓄積されることになります。
でも、心の奥には
本当の自分を受け入れてほしい。
話を聴いてほしい。
本当に感じていることをわかってほしい。
という思いが存在していました。
まさに「聴いてほしい」「わかってほしい」という思いは
は私自身が聴いてもらえなくて、わかってもらえなくて得られなかったもの、失ってきたものでもあります。
人の話を聴くこと、共感できることは私の持っている強みでもありますが同時にとても大きな喪失でもあったのです。
聴いてほしいという思いは心の中でずっと感じていたはずですが、ちゃんと自覚するには至っていませんでいた。
自覚はできていなくても、なんかモヤモヤする、イライラするといった感情がずっとありました。
言葉で表現できない、聴いてもらえないということが続くと身体や行動がその苦しさを表現するのですね。
病気になったり、人間関係でトラブルがあったり。
6歳の時のおおやけどから始まり、
学生時代はインパクトのあるような出来事がいくつも降りかかりました。
28歳、最終的には死に直面しました。
私のたましいの叫びだったのでしょう。
「わかってほしい。」という。
聴いてほしい、という思いがあったからこそ他者の「聴いてほしい」という思いに心が揺さぶられるのだと思います。
敏感さが心を開くのを妨げていたと同時に、敏感さゆえ他者の未熟な態度からも愛を感じることができた
目の前の相手が私の話に興味があるのかどうかをすぐにキャッチしてしまいます。
子ども時代から、私の話は受け入れられないんだなということを敏感に感じていたので興味を持ってもらえない話題を、相手の反応を気にせずに話し続けるということができませんでした。
話したいことがあっても相手の様子を伺って、話せ無さそうな時が多かったので引っ込んでいました。
「こんな私でも大丈夫」と思えたならもっと積極的に話しかけることができたと思いますが、育てられ方の影響で「自分はダメだ」と思っているからなのか、あるいは嫌われるのが怖かったのかもしれません。
相手の感情に敏感なのでとにかく相手が私に関心を持っている間に急いで言いたいことを伝えないと相手の気持ちがまたどこかに行ってしまうのではと不安になる。
話をするときはディテールは省き、伝えたい核心を短く伝えるというパターンになってしまったように思います。
これは話が的を射ていて無駄がないという長所にもなり、説明不足になってしまうこともあり相手によっては情報が少ないため理解しにくいという短所にもなります。
話を聴いてもらえない、わかってもらえない状況で育ち、何か発言すると「でもこういう考え方もある」などと逆に親の言い分を聞かされて不本意ながらしぶしぶ従うことが多かったです。
敏感であるがゆえの長所は、親のふるまいが未熟なため「わかってもらえなくて残念、悔しい」半面そのような親の態度からも「そのようなふるまいを通して、親なりの私に対する愛情だったのだ」と感じることができるということです。
子ども時代からこれはできていて親が私にするアドバイスや注意自体に反発はするものの、敏感さゆえに根底には愛情があるということが感じられ、それなりにやってこれたということになります。
人生に寸分の狂いもなかった
というわけで私の中の「他者の心に対する敏感さ繊細さ」や「人の話を共感しながらじっくり聴く」という資質は
私が他者に与えられるものでもあり、自分が無理なく自然にできることでもあります。
敏感さは他者に心を開くことを制限させたり傷ついやすい面もありますが、逆に他者のちょっとした態度からも大きな愛を感じることもできる。
聴いてほしいという思いはまさに私の喪失でもあり、「聴いてもらえなかった」からこそ聴ける人に自然になっていきました。
一つの現象ですがまるでコインの表裏のように見方を変えれば喪失でもあり、ギフトでもあるのです。
子ども時代はとても生きづらかったように思います。
一つの面しか感じられなかったからでしょう。
しかし今、両面を見ることができます。
裏があるから表がある。
いつもしんどくて、無理していて、不満を抱えていましたがそれも「今」につながるためだったのだとわかると全て寸分の狂いもなかったのだなあと。
「今」つまり「現在」は英語でpresent。
今ここが「プレゼント」とはよく言ったもので、
ああ、そうだったのかと。
小さいころ、辛い思いに誰かが共感してくれていたら、
私の話に寄り添ってくれる人がいたら、
私の子ども時代は満たされていたかもしれない、もっと生きやすかったかもしれないという気持ちはあります。
しかしこのような喪失があるからこそ、今の満たされた片方の面を見ることができているというなんとも不思議な感覚です。
(もしかすると、意識の及ばないたましいレベルでは、話を聴いてもらえない状況を望んでいたかもしれません。
そうすることで話を聴ける人になるのであれば、話を聴いてもらえない状況は同じように話を聴いてもらえなくて苦しんでいる人の気持ちがわかるようになる、すばらしいトレーニングのようにも思えます(笑)。)
どんな出来事も、あっちにいってもこっちにいっても結局は「今」「present」につながる。正解はないし、逆に全部正解ということです。
4800字あまりも書いてしまいました。
やはり「聴いてほしい」思いがこのブログにも現れていますね。
読んでくださりありがとうございました。
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