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お世話になった人の訃報を聞き、ショックを受けています

つい先日、10年来の知人が実は亡くなっていたいたということを知りました。

私よりもずっと若い方で、ケアの方面ですごくお世話になっていました。

個人的にも何度かメッセージのやりとりがありました。

 

本当にショックで昨日、今日とそのことばかり考えてしまいます。

 

一生懸命お仕事をしている姿からは優しさや誠実さ、繊細さが伝わってくる方でした。

将来有望、人生これからという時に本当に残念というか・・・・。

信じられない気持ちでいっぱいです。

 

日頃、仕事柄人の訃報をよく耳にするのですが、高齢の方や重い病気の方が多く、ある意味「ある程度は予想している死」です。

それでも、ショックを受けるのですが。

今回は全く予想すらしておらず・・・・。

考えたこともなく。

 

亡くなった原因もまだ存じ上げておりません。

 

一生懸命生きていても、いのちを取り上げられることはあるのですね。

取り上げられるという言い方は「エゴからのものの見方」ですが、人間だからどうしてもそう感じてしまいます。

 

たましいの次元から見ると、この世での修行が無事に終わったという見方ができるのでしょうけど。

 

いなくなった寂しさ、辛さで泣いてしまいます。

「なんであの子なん?」と思ってしまう。

 

 

若くて元気な姿しか知らなかったので、本当にショックです。

 

身近な人の死から、私自身の生き方を問われます。

 

私はこの人生、「生き切った!!!」と言って死んでいけるだろうか。

 

本当の意味で「自分を生きた」と言える人生にしたい。

 

本心から突き動かされることがあるのに、他人の目が気になってそれができないなんて本当にもったいない。

 

失敗しても少々人に迷惑をかけてもいいんじゃないか。

 

それを恐れて、「生きていない」方がよっぽど罪深いことなのではないか・・・。

 

 

言葉が出てこなくなったので一旦休み・・・・。

 

 

 

7時間ほど経ちました。続きを書きます。

 

時々津留晃一さんの言葉をネットで読むのですが、ちょっとほっとする言葉を見つけました。

引用元サイト:このごろ思うこと

死とは魂の飛翔の瞬間であり、急激な魂の成長が、もはやこの肉体に留まり続けることが不可能となり、おきてくる現象です。

どんな死に方であれ、例外なしに死とは魂の急激な成長の時です。

我々の本質は生でもなければ、死であるわけでもありません。

「生」と「死」、その間にあるもの、それこそが我々の本質そのものです。

そのどちらでもなく、その間にいて永遠であるもの、それが貴方です。

 

どのような死に方であれ、その人のたましいが大きく飛翔したと思えたら、残された者は救われる気がします。

たましい次元で理解できたら、それはその通りなのですよね。

でも3次元の人間意識に意識の重心がある間は、信じられないし、辛いし、寂しいと感じてしまいます。

もう2度とその人自身に会えないわけだから。

 

今回は自分ごとであり、事実を受け入れるまでちょっと時間がかかりそうです。

ちゃんとお別れをする機会が無かったので、今度そのような場に参加させていただきたいと思っています。

 

 

人の死からは自分の生き方を問われます。

 

今やっていることは本当にやりたいこと?

 

一緒にいる人は本当に一緒にいたい人?

 

謝りたい人はいない?

 

好きな人に好きって伝えた?

 

誰かの目や常識、世間体を優先して「こんなもんだ」と自分の幸せを諦めてない?

 

 

 

今日もお読みくださりありがとうございました。

 

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